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07.暗涙 (千寿)


「何をやっているんですか?」



 薄紫の髪の人が変態……じゃ無くて、お兄さんだと分かるのに時間はかからなかった。

 今、私じゃ、お兄さんに今抱っこされている。

 ……あうっ、頭しっかり抑えられた。動かすなって事?


「おやおや旦那様。今日はお一人で帰宅っすかぁ? 前とは違って余裕ですなぁ~」

「キミがこの子にちょっかいかけているのが見えたんですよ」

「うっわ、ロリコンの視力マジやべぇ」

「テメェが目立つんだよ。この緑ロリ」


 お兄さん、実は結構口悪い……。

 お兄さんの肩口に頭を押し付けられてままなので女の子の表情は見えないけれど、クスクスという楽しそうな笑い声は耳に入ってきた。


「その呼び方、ミドリムシに似ててな~んかイヤ何ですけどぉ」

「そんな事より、この子に何をしようと? 場合によっては皮を剥ぎますよ?」

「こっわ! 普通の高校生がさらっと口にする台詞じゃぁ無ぇですぜ」


 お兄さん、もしかして今凄く怖い顔してるかも。


「ふん。いつヒトの獲物を掻っ攫うか分かんねぇヒヨっ子に、ちょいと教育してやろうかと思っただけですよ」

「随分と荒っぽい手段に見えましたが?」

「…………そうだったとして、理由を教えるほどドールちゃんはお喋りじゃぁ無ぇですよっ」


 ブワッ、と。不自然な風圧が背中に当たった。

 お兄さんの向かいに居た女の子の気配が無くなってる。

 何処かへ行っちゃったみたい。


「大丈夫でしたか?」


 コクコクと頷いたけれど、お兄さんの表情、全然信用してないように見える。そしてその考えは当たりだった。私は抱っこのまま公園の奥にあるベンチまで連れて行かれ、そこに座らされてお兄さんに腕とか脚とか、怪我が無いかを確認された。


「本当になんとも無いようですね」

「ウソ吐いてないもん」


 ぷくぅっと頬を膨らませたら、お兄さんは苦笑を浮かべる。


「小さい子が悪魔と対峙してる場面なんて見たら、誰だって凄く心配しますよ」


 え……悪魔?

 少しの間だけ思考がフリーズしたら、今度は急に背筋が冷えた。

 悪魔だったんだあの子……。危なかった。悪魔なんて、もしケンカする事にでもなってたら確実に殺されてた。


「大丈夫ですよ。もし今度来たら、僕を呼んでください。アレはかなり癖がありますが、なんだかかんだ言って俺にはあまり逆らいませんから」


 お兄さんは、実はとんでもない人らしい。でも、どう見ても人間だよね? それとも凄く強い種族との混血なのかな?


「あ、ちなみに俺の名前は銀杏です」


 別に聞いてなかったのに。


「もちろん植物の銀杏ですよ」


 だから別に聞いてないよ。


「で、俺の教えたので君の名前も教えてくれませんか?」


 なるほど、それが目的か。


「そういう押し売りは駄目です。フェアじゃ無いから、‘‘ナナシちゃんと’’いう偽名を使う権利を主張する」

「薄々思っていたんですけど、もしかして俺の事嫌いですか?」


 半泣きになっているお兄さんに、首をフルフル横へ振った。


「違うよ。ただ変質者の仲間だとは思ってる」

「認識の酷さが尋常じゃ無かった!」


 お兄さんがゴンってベンチに突っ伏したら、甘い匂いがした。

 何だろう? 良い匂い。


「甘い匂い」

「あ、ズビビ――気付きました?」


 あの、鼻水が汚い。と、主張する前にお兄さんがブレザーのポケットに手を突っ込んだ。

 ゴソゴソと動いた手はすぐに出て来て、私の太ももをきちんと隠してるクリーム色のスカートの上に三つ、ラッピングされた丸い物が降ってきた。

 銀とピンク色のリボン付きで、お日様の光を反射する透明な袋に入っていたのは、茶色、白、濃いピンクの……何?


「えーと……」

「もし帰りに会えたらあげようと思って、幼馴染に分けてもらったんです」

「香り付き消しゴム?」

「食べ物ですよ!? お菓子です! マカロンです!」


 お兄さんが目を丸くしている。もしかして、凄く一般的なお菓子だった?


「食べた事ないんですか? まさかとは、思いますが見た事も?」


 ……どう答えるのが普通なんだろう?

 『もう何年も甘い匂いのするお菓子、食べてない』なんて正直には言えないし、下手な嘘も言えない。


「美味しいですよ。是非ご賞味あれ」


 私は、茶色いのを一つ袋の中から取り出してみる。手触りはけっこうスベスベしてて、見た目より軽いな。匂いはチョコ?


 ……パク。


「ん~~~~っ!!」


 美味しい! 表面は柔らかいのに、中のしっとり生地がズッシリ歯と舌に絡んで、甘いチョコのクリームを運んでくる。でも甘過ぎなくて品がある。


「こ、これ。残り二つ、本当に貰って良いの?」


 初めて食べたお菓子と、お兄さんの顔を交互に見た。

 お兄さんが何故か鼻血を出して至福の笑みを浮かべてるけど、今はマカロンに免じてつっこまないでおく。


「はい、俺はもう学校で食べましたから」


 わーい! と、濃いピンクのマカロンも頬張った。甘酸っぱくて良い感じ、ラズベリーだ。

 あ、そうだ! 最後の白いの、持って帰ってお父さんにあげよう。


「お兄さん。最後の一個は、家に持って帰ってお父さんにあげても良い?」

「お父さんですか? もちろん」


 やった。OK出た。


「ありがとう、お兄さん!」






 マカロンをポケットに入れて、なるべく速く。でも転けないように早歩きで帰路に着いた。

 途中、何度も壊れてないか確かめると、ポケットの中で丸さを保ってるお菓子の形に自然と口元が緩む。

 お父さん喜んでくれるよね。昔は甘い物よく笑顔で食べてたもん。


 世界が繰り返している事は知らないお父さん。記憶よりも成長している私を見て気味悪いって思ってるんだよね。でも市役所で確認した記録や写真から、死んだお母さんが生んだ娘よりあり得ないくらい成長している私が娘だという現実を受け止めなければならなくて――――心が壊れていってる人。


『こういう菓子食べると、生きてて幸せって思うんだよなぁ』


 玄関の扉を開ける寸前。まだ私が幼稚園児だった頃、そう言ってケーキやクッキーを食べてたお父さんの顔を思い出した。

 もう一度、幸せって思ってくれたら……すぐにとはいかないだろうけど、また優しいお父さんに戻ってくれるかな。


「ただいま!」


 今日は夜勤だから、お父さんが家に居る事は知ってる。だからお父さんが居るだろうリビングに、元気にマカロンを持って駆け込んだ。そう言えば帰ってきた時の挨拶、久しぶりに言ったかも――


 ドンッ!


「あぐっ」


 頬に打撃。そのせいで、体が床に倒れた。

 誰にされた?

 そんなの考えなくても分かる。だってこの家には、私とお父さんしかいないのだから。


「此処は、お前の帰る家じゃない。仕方なく面倒見てやってるが、それが分かったら、二度とこの家でその言葉を使うな」

「――ッ!」


 まだマカロンを持ってた手を勢いよく踏み潰された。

 グリグリと足が動くと声にならない叫びが上がったけれど、お父さんは気にしない。

 私と入れ替わるように、家から出ていく。


 あーあ…………マカロン、私の指ごとグシャグシャ。お兄さん、勿体無いことしちゃって、ごめんなさい。


 暴力には、もう慣れたと思っていた。だけど、今日は久し振りに涙が溢れた。


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