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04.悪魔


 これは五十嵐が、公園前で千寿を見つけるまでにあったその日の出来事だ。

 すでに昼休みの時間帯である。退屈としか言いようのない授業をほぼ睡眠でスルーした五十嵐は、屋上に来ていた。そこで二人の幼馴染と一緒に昼食をとる約束をしているからだ。


「ミカ」


 コンビニのメロンパンを頬張る幼馴染その一、土筆寺帝に、彼は疑問を投げかける。


「可愛い女の子を死ぬ気で捕まえるにはどうしたらいいでしょうか?」


 帝は大きくため息を吐いてから、パンをビニール袋へと戻した。


「……まさかとは思うけどアンタも、今めっちゃ騒がれてる治癒魔法の子にお熱? 悪いこと言わない。ありゃダメだ。学校をホストクラブか何かと間違ってる」


 彼女が言っているのは日向環菜という少女の事である。

 珍しい治癒の適正持ちだったのだが、その事実の発覚が鑑定検査では無く、普通科の授業中の事であったというこれまた珍しいケースから、彼女の名前はそれなりに学校中に知れ渡ったのだ。


 なかなか可愛らしい容姿で、ついでに男受けする性格なのか学校内で注目されていた顔の良い男共を篭絡した事の方が大きいが。


「分かってますよ」


 五十嵐の口調は少々冷たかった。当然だ。彼は彼女を嫌っているどころか、憎んでいるのだから。


 ――さっきもトイレの近くでぶつぶつと「うっふふ~。椿原君の攻略、意外と簡単だったな。次は――」とか訳の分からん事言ってニヤついてましたしね。


「その女じゃありません。そもそも他校生です」


 全く以てどうでもいい女の事は一旦他所へ置き、彼は己の脳内をランドセルで埋めようとする。

 人の思考を特殊な聴力で読めるお嬢様がいたら、今すぐ五十嵐を通報したに違いない。


「へー、どんな子?」

「小さくてランドセルがよく似合――」

「ストップ」


 再びパンに齧りつこうとしていた帝は、今度は頭痛を堪えるような表情でメロンパンを戻した。


「つまり、小学生?」

「はい。だから中々一緒に居られないんですよ。一昨日も今朝も全力で逃げられて」

「お前、幼気な女の子に何した?」

「まだ何も」


 信頼度が低いのか、完全に軽蔑の目を向けられている五十嵐。


「捕まえてハグしてペロペロしたいとか思ってない?」

「俺を何だと思ってるんですかね?」

「変態」


 帝は真顔で即答した。

 五十嵐の中の微かな怒りが、一瞬にしてショックの涙で流れて行く。


「そりゃ何度か胸を触ったりスカートをめくった事ありますけどっ、両方合わせても両手で数えられる程度なのに!」

「一回でもやったらアウトに決まってんでしょ」

「俺は、あの子の服の下を調べたいと思った事しかありません!」


 もしかしたら……否、確実に音速を越えた。

 ガシ。と、帝が五十嵐の襟元を掴んだ速度が。


「せーの――!」

「捨てないで! 俺をフェンスの向こうに捨てようとしないで!」


 このまま腕を振るわれれば、優にフェンスを越えてしまうと確信した五十嵐は必死に懇願した。

 全体重を足下に集中させ踏ん張るが、帝はゴリラも一発KO出来る力で彼を始末しようとしているのか、すでに五十嵐の片足はプラプラしている。


「うるさい。ゴミが人間様の言葉を喋ってんじゃ無ェ」

「誰かー!」


 彼が助けを求め叫んでいれば、手洗いから帰って来た榊織十が殺人事件数秒前の光景に目を瞬かせた。


「何をやって居るんですかミカさん?」

「子供の教育上よろしくない卑猥な生き物を処分しようとしてんの」

「待ってください!」


 止めに入った榊に、心の底から五十嵐は、


 ――さすがリトッ、俺の心の天使ッ、男じゃ無かったら求婚しているところだ!!


 キショい男になっていた。が、


「それではミカさんが捕まります。もっとアリバイを完璧にして完全犯罪を成立させるのです」


 別に助け船では無かったようだ。むしろ本気で殺る気だった。


「あれれ? おかしいな、天使の台詞が酷い気がする。耳掃除の詰めが甘かったんだろうか? リト君ー? もっぺん言って見てくださーい」


 すると、ミカの手がパッと離れた。


「思い出した。アンタと遊んでる場合じゃ無かったわ私。この後、小夜曲さんに呼ばれてるから行くね」


 彼女の口から出た名前に、五十嵐はギョッとした。

 メロンパンの最後の一口を口に押し込み立ち上がる帝の手を、無意識に掴む程反射的に。


「何?」

「いつ、小夜曲さんと知り合ったんですか?」


 真剣な表情で問う彼の脳裏をまず過ったのは『おかしい』の一言。

 彼の記憶では、帝と『小夜曲さん』の接点は、魔力鑑定の時しかなかったはずだから。

 今回、五十嵐は既にその機会を潰した。鑑定を手伝う委員にあらかじめ志願し、本来同じ列の前後に並ぶはずだった二人を、別の列――それもかなり離れた所に並ばせたのだ。クラスは同じになったが、『小夜曲さん』――小夜曲得子という少女は、学校では同じ中学出身の取り巻きとしか話さない。彼は、帝が自分から彼女に話しかけるとは一切思えなかった。


「昨日、歯医者でパッタリあったの。待合室で暇つぶしに話してたら意外と気が合って…………銀杏? 聞いてる?」

「あー……、俺も用事思い出しました」

「えっ、待って何処に――」


 帝の言葉を最後まで聞かず、五十嵐はその場を後にした。平然とした顔でそこに居る事が無理だったのだ。


 階段を降りて、一番近い渡り廊下へ向かう。

 現在いる校舎と女子用体育館の校舎を三階で繋ぐ廊下は、他と違って左右をガラス張りにしていた。

 誰も周囲にいない事を確認した五十嵐は、そのガラスの一枚に手を触れる。刹那、淡い光が陣を描いた。学校の中に、いくつか彼が仕掛けておいた転移魔術の一つだ。それを使って、五十嵐は誰もいない場所に移動した。


 辿り着いた先は、五十嵐自身も詳しくは知らない。ただ、今の方法でなければ来れない場所だ。

 小さい頃に、窓を開ける度、家を出る度、嫌でも目にした巨大な門の上。

 彼が中学に上がった時には唐突に消えていた。が、誰もそれを騒ぎにせず、元から無かったかのような反応だった事を彼は鮮明に思い出す。


「思えば、アレが地獄の予兆だったんですかね……」

「いやいやいや~、なぁにを言ってらっしゃるのか。旦那様がお望みになったんじゃぁねぇですか。それを地獄だなんて、プププー(笑)ですぜ!」


 深々とため息を吐いた五十嵐の耳に、高い少女の声が侵入した。

 音源は背後からだった。五十嵐はたちまち不機嫌な声で「ドール」と、少女の名を口にする。


「んっふふー。良い子のドールちゃんはちゃーんと言ったはずっすよ?」


 背後の声が、前方からのものに切り替わると、


「『その願いで、その契約で、旦那様は後悔しねぇんですか?』って」


 黒いチュールのスカートをふわふわさせながら。

 ドールと言う――あの日、五十嵐と契約した悪魔が、彼の目の前にその整った顔を見せた。


 いつ見ても、どんな鉄壁健全男もそういう趣味に変えてしまいそうな五才ほどの美幼女。

 という感想を彼女に対し五十嵐は抱く。

 如何に可愛かろうが悪魔であるため手を出したら最期。骨の髄までしゃぶられてポイされると分かっていても。


「旦那様ときたら地獄だ何だと、根性無ぇですねぇ。そんなに嫌なら辞めましょうか?」


 ニヤニヤと。彼との会話を楽しそうに続けるドールは、一見いたずら好きの子供っぽいが、よく見れば毒々しさの方が勝っている。

 慣れれば眉がピクリと動く程度で済むが、初めの方はこの笑みを見る度に、五十嵐は殺意が湧いたものだ。


「いいんですか? ここで辞めたら、キミが俺の願いを叶えられなかったペナルティーを負うんですよ?」

「む……」


 彼が挑発的に返してやれば、ドールは睨んでくる。が、幼女の愛くるしい外見故に迫力はカケラも無い。


「数千年に一度お目にかかるかどうかの逸材なのでしょう? 逃がしてしまって良いのですか?」


 追い打ちをかけるように言う五十嵐の声には余裕に似たものがあった。

 そうでなければ、簡単に口が達者なこの少女に何やかんや言葉でボコボコにされるという理由もあるが、そんな態度をとれる一番大きな理由は、ドールが彼の体を欲しているためだ。

 自分では全く以て分からないが、彼女等(悪魔)の目で見ると五十嵐の体は大変価値があるらしい。だから、ドールはあの日彼に契約話を持ち掛けたのだ。


『体でも何でも持って行けばいい。その代わり、あの子を助けるために俺に力を貸せ』


 大切な少女が死なない未来を。

 大切な少女が女狐に殺されない未来を。

 何よりも、自分がその子を殺さない未来を。


 その時点では、その未来を『自分で切り開け』と言われるなど、五十嵐は考えていなかった。

 当然ながら、それがどういう事なのかも。


 目的が達成されるまで、何度も何度も五十嵐の体はやり直しがきく。

 土筆寺帝が高校一年生で死ぬ度に、入学式前日の晩に戻る仕様になったのだ。

 しかし素直に喜ぶことは出来なかった。


 ――それは、ミカを余計に苦しませて、ただ無意味に死なせて、屍を増やすだけだから。


 感傷に浸る五十嵐だが、そんな彼目掛けて「旦那様の意地悪ー!」という文句と、軽い拳が一発入った。

 人間の子供のように瞳を潤ませている様に「あ゛?」と、五十嵐の声が低くなる。


「ちょーっと冗談言っただけじゃぁねぇですか! もう絶好っすよー!」


 逃げるように消えたドールに、彼はもう呆れっ放しだった。


「はぁぁ。俺が意地悪なら、お前は性悪だろうが」


 そんな愚痴を零しつつ、大人気なかったかもしれない事を小豆程度には反省する五十嵐だった。


「そろそろ、教室戻るか」






 そうして五時間目を居眠りで過ごし、六時間目前の休み時間の事だった。


「あっ、あの、正門前で先輩の生徒手帳を拾いまして、お……お届けにあがりましたっ」


 日直の仕事で黒板を消していた五十嵐だったが、同級生に呼ばれて後方の教室の入り口まで歩いてきた彼は、しばらく何も言えなかった。

 彼の生徒手帳を両手で壊れ物のように持ち、雪色の髪が甘いクリームに例えられそうな程頬を赤く染め、緑の目を潤ませる美少女が居たからだ。

 五十嵐は内心で盛大に舌打ちした。

 またかよコイツ、と。


「ありがとうございます。でも本当に正門前にあったんですか?」


 引き攣って、そのまま般若になりそうな表情筋を、五十嵐はどうにか笑顔でキープする。

 一方、彼に生徒手帳を差出す美少女――日向環菜は、恥ずかしい感情をあまり隠さずに赤い顔でコクコクと頷いていた。


「はい! ちゃんと、五十嵐銀杏先輩の物です」


 ちなみに、無駄だと分かっていながらも彼は今朝、強固な結界魔術を張った自室のクローゼットの奥に生徒手帳を置いて来ていた。

 『毎度毎度、何処ですられてんのか……』と、数回はほぼコレと言った対策をせず学校に持ってき続けたが、正門を通らずとも、家にずっと置いてきても、燃やしても。この女は、この日この時間に全く同じシチュエーションと台詞で、五十嵐の前に生徒手帳を突き出す。


 此処まで来れば『すられているのではない』と彼も気が付いた。

 瞬間移動系の魔術でも手帳に仕掛けられているように、勝手に手帳が移動していくのだ。

 前日、五十嵐は念入りに魔術が仕掛けられてないか調べたが、何も見つけられず日向の手に渡った事に、静かに腸を煮え繰り返していた。

 感情が表情に出る前に、五十嵐は生徒手帳を受け取り席に戻るつもりだった。だが、不意に顔の横――耳の近くの髪に手が添えられ、彼は息を呑む。

 これもお決まりの展開なのだが、忘れていたのだ。


「あっ、ごめんなさい。先輩の髪にこの子が」


 日向の手の中から、赤に黒い水玉のテントウムシがモゾモゾ現れる。


「ふふ、この子よく見たらナナホシテントウですね。先輩、きっといい事がありますよ。ナナホシテントウって幸運運んでくれるみたいですから」

「あはは、それはどうでしょうかねぇ」


 ああ。張り倒して、顔面を潰したい。――過去の自分の。


 五十嵐は切実にそう思った。

 最初、本当の意味で日向とのファーストコンタクトだったこの瞬間。こんな下らない――中身も何も無い台詞と仮面のような笑顔にすっかり騙された事が腹立たしい。

 幸福に飢えていた訳でも無いのに、何が嬉しかったのか。

 目の前の少女が言う事全てを特別に感じてしまい、本当にどうかしていた。


「え……?」

「どうかしましたか?」


 眉を顰めた日向に対し首を傾げると、「なんでもありませんよ!」と、逃げるように去っていく。

 その背中を見て、五十嵐は僅かに口元の形が変化する事を我慢出来なかった。


 ハッ、馬鹿め! お前が計算して想定してただろう台詞――『もう、目の前に運ばれて来たみたいです』――なんて首吊りたくなる事、吐くかっての。


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