20.決意
鼓膜から入った刺激――違うな、攻撃だわ。つまり、音なんて表現出来るもんじゃ無かった。
あまりの一撃にあっさりと魅了は解けて、吐き気と鉄臭さに苛まれる。うぇえ……両耳からの耳鳴りが止む気配ゼロだ。それでも一度力の抜けた四肢に力を込めて、調理台を支えに立ち上がろうと試みる。体、めっちゃくちゃフラフラしてるよ。
「最悪だ」と。自分にしか聞こえないくらい小さく呟きつつ、かろうじてまともな視覚を働かせれば、肩を竦めている的神が見えた。
「もしかしたら、悪巫山戯してるのがバレちゃったかな? 一応、君には近付かないって約束で彼女には協力してもらってる事がある。気になる事は多々有るけれど、別の機会にしよう」
的神は開きっ放しになっているドアへと歩いて行く。
「それじゃあ、魔術が解除される前にお暇するよ」
家庭科室を後にする的神。彼の姿が見えなくなるのと、周囲の生徒達がまたザワザワとし始めたのはほぼ同時だった。
「今の放送何だったんだ?」
「放送部が何か流し間違えたのか、誰かのイタズラじゃない? もう止まってるし……」
「ねえねえ、高咲さんが走って何処かに……」
聞こえてきた声はほとんどがあの歌に関してだが、時々サキの事を言いかけてる声が混じっている。
そうだ、あの子戻って来てない!
ハッと顔を上げれば、小夜曲さんと視線が重なった。
「土筆寺さん、まさか今?」
小声で話しかけてくる小夜曲さんに、私も声の大きさを合わせる。
「うん、時間止まってた」
「そうでしたか……。どうして貴女がそこで動けたかはさて置き、何が有ったか手短に説明してくださる?」
いや……何が有ったかは全くと言っていいほど分からなかったんだよね。
「貴女は椎倉颯太郎ですか」
「屈辱的にも程がある!」
使えない物を見る視線があまりに冷たく痛いため、予想以上に大声になってしまった。
余談だがこの瞬間、私と小夜曲さんの中で、椎倉の名前は人様を酷く侮辱する時に使う汚物以下の新たな名詞として成立する。
「それにしても千寿ちゃんは一体どうしたというのでしょう? 時計塔の鐘の件も『寝惚けて壊した』の一点張りで不可解ですし」
「不可解とかそういうレベルじゃ無いよね?」
ハッキリ言って嘘吐かれてるよ。あの子どんだけ無理ある嘘ぶっこいてんだ。寝惚けてても壊さないでしょ自分の体の倍以上デカい鐘なんて――
「まあ寝惚けて巨人を瞬殺した事有りましたから、あり得ないとは言い切れませんけれど」
……壊せるんだ。
もはや何でも有りな幼馴染にため息しか出ない。
すると、ガタンと勢いよく席を立つ音が聞こえてきた。日向さんだ。彼女の顔色は些か険しいものになっていた。
きっと今の私の表情は、そんな彼女のすぐ近くで唖然としている椿原先輩や椎倉と同じ事になっているだろう。
「ごめんね、ちょっと目にゴミが入っちゃったみたい。洗ってくる」
随分と威圧的な空気で目を洗いに行くと言った日向さんを見送る。雪色のツインテールをふわふわ揺らして家庭科室を後にする後ろ姿は、数日前に廊下で見たものとは重ならなかった。
「『途中で止まった』」
「え?」
小夜曲さんがジッと、今しがたまで日向さんが座っていた椅子を見て零した言葉に疑問を抱く。
「日向さんが内心で仰った事の一部ですわ。恐らく、あの歌の事でしょうけれど……最後まで聞き取れないと、モヤモヤするばかりですわね」
もしかして、あの放送は日向さんが仕組んだのだろうか?
……有り得るな。鐘が壊れている話を何処かで聞いたのなら。んー、でも鐘が鳴ったらハーレムルート突入って訳じゃ無いよね。鐘はあくまで条件を満たしたという合図。つまり必要なのは、鳴らす条件――攻略キャラ全員が家庭科室にやって来る事。けれどあの場には、あと一人足りなかった。日向さんは、馬鹿かもしれないけど愚鈍な脳ミソって訳じゃ無さそうだ。だから条件整ってなきゃ鐘鳴らしても無駄だって、分かり切ってると思うんだけど……。
刹那、背後から人肌の感触があった。
「ぅえっ? 何!?」
驚いて後ろを見れば、微かに橙色が見える。
え? これもしかして、サキが私の事を後ろから抱きついてない? いつの間に帰って来てたんだろう?
「サキ? どうしたの?」
「…………」
「サキー? サキさーん?」
「…………」
これは、どう考えてもめちゃくちゃ落ち込んでる。でも何で? 鐘は壊すわ放送鳴ったら飛び出すわ…………まさか、サキは私みたいにゲームの事を知っているんだろうか? でも、もしそうだったとしてもサキには関係の無い話だ。だってこの子には、何の被害も及ばないのだから。
「く……っ、なんつー羨ましい女だ土筆寺帝」
「ゼロ距離だぞ。男なら誰もが憧れる高咲さんの豊満なアレと、ゼロ距離だぞ!」
「どうして女子に――否、土筆寺家のまな板女に生まれなかった俺ぇええ!!」
八時の方角、距離およそ五メートル三七センチ。障害物はサキと馬鹿犬。よっしゃ、殺れる。
「わー! 土筆寺が高咲さん引っ付けたままミサイルみたいにごっふぅうう!」
「なんで俺まで!? まな板っつったのはコイぎゃあああああ!!」
「すんませんっ、 まな板っつってすんません! 板は板でも貴女様は大理石でいぎゅびゃ#*◇%$★¥∞*☆@~~~~!!」
***
場所は、屋上に続く階段だ。元よりあまり明るい場所とは言えないが、六月らしい季節の空模様の影響で、今日は更に暗い。
それ故か、その階段には日向以外に誰も居ない。また来る気配もない。だが、念のためにと自分の声を周囲に漏れないようにする結界を貼り、ガラケーだけにはその結界を無効に設定した日向は、「M」という相手に連絡をとっていた。
「放送、途中で止まったんだけど」
相手が通話ボタンを押した音を聞き取ると同時に、白く細い喉から聞いた生き物全てが凍てつきそうなほど低い声が放たれる。
〔ええ、知ってるわよ。見てたから〕
電話の相手が余裕綽々とした口調で言い切った瞬間、日向こめかみに青筋が小さく浮かんだ。
「アンタ、分かってんの? 私は、失敗する訳にはいかないのよ」
〔そうね。分かってるから怒らないで。全部は流れなかったけれど、ちょっとは流れたじゃない。十分、成功と言えるわ〕
「そうなの?」
〔あの場には、攻略キャラ達が全員居た。スピーカーがブチ切られた……いいえ、破壊されたのは、テレビに向かって誰かがいきなり消音ボタン押した程度の可愛いものよ〕
日向の表情には、少しばかり納得いかないという文字が浮かんでいた。しかし、相手の発言にあった気になる点について指摘する事を優先した。
「破壊されたってどういう事? 誰の仕業?」
〔破壊されたってのは文字通りの意味よ。魔力の大爆発で部屋ごと真っ黒焦げ。今頃教師達は騒いでるんじゃない? 火災報知器鳴ってないから生徒まで情報入ってないでしょうけど〕
「魔力の、大爆発? 意図的に?〕
〔うんにゃ。半分無意識、感情の爆発みたいな〕
日向は寒気を感じた。半分とは言え、意図せず爆発を起こしてしまうほどの高位魔力など、人間の常識を――陽属級を超えている。この高校に、そんな化け物がゼロという訳では無いが、日向はその全員を知っている。しかし、ゲームの登場キャラクターに限られるのだ。得体の知れない化け物の存在。その存在を今、初めて間近に感じた日向の反応は些か幼稚と言えよう。
〔今更、怖気付いた?〕
「……うっさい」
〔うふふ、相変わらず正直じゃないお口ね。でもまあ、そういう訳だから。今までみたいな浅はかな行動はとっちゃ駄目よ〕
日向は眉間に皺を寄せる。相手はまるで、その表情を目の前で見えいるかのように「怖い顔になってるわよー」と注意する。
〔焦る気持ちは分かるけど、ちょっと危ないわよ貴女のやり方。同性の敵、すーっごく多いでしょう?〕
「っ! 私は――ッ!」
〔高咲千寿〕
真剣な声で囁かれた名前に、日向は言いかけていた言葉を切る。
〔それが、貴女が最も警戒すべき女の子よ〕
「それって……橙色の髪の子?」
相手は肯定する。すると、日向は鼻で笑った。
「はっ。私に、ビクビクと兎みたいにただ怯えてろって事? ――ガラじゃ無ェよ」
〔口調〕
日向はピクリと肩を跳ねさせ、コホンと一つ咳払いした。
〔いい? ガラじゃ無くても絶対に真っ向勝負なんて仕掛けちゃ駄目。あれは、貴女の『主人公補正』でもどうにもならない――世界に対する暴挙と異質の権化よ〕
「…………アンタでもどうにもなんないの?」
〔今の所、私がギリ強いかしら? ……でもアレは成長期真っ只中だから、互角かもね〕
ゴクリと、思わず日向は固唾を呑み込む。
「何なの? 高咲千寿は?」
〔アレは――〕
「面白い話してるね?」
突然の、背後からの見知らぬ声。そして、聞かれるはずのない会話を聞かれていたという事実。
日向は咄嗟に臨戦態勢をとろうとした。しかし細い腕をいとも容易く掴まれ、距離を置こうとした足を動かせなくなる。挙げ句の果てには声の主と目が合うように、無理矢理顎を掴まれ顔を上げさせられた。
虚しく手から落ちたガラケーの音を気にしつつ、日向は目を反らせなかった。あまりにも深い海色の瞳に、一瞬魅せられていたのだ。
「もしかして、今言ってた女の子の事で何かお困り?」
何処から聞いていたのか分からないが、日向の脳内では直感が素早く働いていた。コイツには、関わらない方が身の為だと。
「あ……貴方には関係ありません」
何処か怯えたように、パンと手を振り払って日向は階段を駆け下り、落し物を回収する。通話は相手が切ったのか、既に切れていた。
後は君の悪い物でも見たような顔をして走っていけば完璧だ――と、思っていた矢先。
「アンタさ――」
続いた言葉に、日向の足は木のように動けなくなった。
***
私の隣を歩くサキは、調理実習からずっと頭の上に雨雲を作っている。
サキにとって、あの放送で歌が流れた事はよっぽどの事態だったらしい。まあ、もしかすると……あれでハーレムルートに入った可能性が無きにしも非ずってとこなので、私もあまり他人事みたいに言っていられないのだけれど。……自分より激しい感情に苛まれてる人見ると、こう無駄に落ち着いてくるんだよね。
「サキ。お婆のラーメン屋、行く?」
大好物も喉を通らないくらい立ち直れないのか、それとも「この前めっちゃ奮発したから、今日はサイドメニューの唐揚げかコロッケくらいしか奢れないけど」と小さく付け足したのがいけなかったのだろうか……。サキが首を左右に振った事に、私が雷に打たれたような衝撃を覚えた事は言うまでも無いだろう。
「ミカちゃん……私」
「何?」
あの一件以来、今日一日ずっと静かだったサキの口がようやく開いた事でホッとした――
「本気の本気の本気でっ、魔王になりますからねっ!」
――のも束の間、なんか拳をギュッと握って意思の強い目を向けてきた。
「……誰が?」
「私に決まってるじゃないですかぁ!」
「ん!? え、ちょっとサキさん?」
脈絡が分からない。本当に分からない。
「もう『乗り気じゃ無い』とか、ちょこっとしか思いませんよ!」
「魔王候補とかいうのは聞いてたけど、今までそんな事思ってたの? しかも『ちょこっと』はこれからも思うの?」
「その為にはあの暗殺者さんをちゃんと探して、私の暗殺を諦めてもらって、剣にして――」
聞いてない。てか、暗殺者に狙われてんの!?
「頑張りますよ! エイ・エイ・オー!!」
いやいやいや『エイ・エイ・オー』じゃ無いよ! 今まで曇より暗かったくせに、サラッととんでもない発言だったのに、何この力の抜ける空気!?
翌朝、窓から訪れたタルトが「千寿様が、ようやく世界の頂上取る気になりました!」と、涙でビショビショになった菓子折りを持って来てくれた。人間には触れないし、況してや食べられない悪魔用の菓子折りだったため、気持ちだけ貰って物は返した。
もうお気づきの方多いでしょうが、ミカを金剛力士から助けてくれた人と、サキに向けられている暗殺者と、今回の話で日向さんに話しかけた男子は同一人物です。
早く彼の名前を出したいです!




