10.救い
香山→三人称でミカ→リト
今回はこんな視点です。
私の名前は香山梗一。
世界的な企業グループ、「小夜曲グループ」総帥の一人娘である得子お嬢様の専属執事だ。
今、友達居ない歴の長かったお嬢様から任せられた護衛対象が、何者かにより高位魔力で編まれた結界に中へと引っ張られた。
「申し訳ございませんお嬢様」
カップラーメンを作る間も無く失敗した任務に、腰を九十度曲げる。お嬢様はポカンとした表情だったが、私が頭を下げた途端に纏う雰囲気を変えたから恐らく元のお顔に戻っているだろう。
「あ、貴方は悪くありませんわ。予想外過ぎる事でしたから……ただ、私はもうこの中には入れませんわね……」
お嬢様の魔力階級は決して低くない。故にこのような弱気な発言はとても珍しい。
「それほどまでに強い結界なのですか?」
「ああ、貴方には全く見えませんのね。――天魔級の結界ですわ。本当に面倒臭いもの貼ってくれちゃいましたわね」
自分が『魔力無し』というのを理由にするのは怠慢だが、私は魔術についてはあまり詳しくない。しかしお嬢様の話によると、どうも結界魔術の破壊は面倒臭いらしい。それも、魔力の階級が高くなればなるほど。
結界を張った術者が結界の外にいるなら単純に術者を再起不能にすればいい。が、『術者が中に居る』或いは『術者が何処に居ようが構わん、とにかく中身に用が有る』といった結界を単純に破りたい場合は、適度な集中力と繊細な魔力操作が必要らしい。失敗するとガラス片の雨の如く殺傷性抜群な魔力の破片が降り注ぐか、周囲目掛けて爆発的に飛び散るんだとか。
「お嬢様……ご自分の爪もまともに切れないほど不器用なのに、何なさってるんですか?」
さっき、話しながら結界の一部叩き割ってたぞこの人。ブラックでジャックな先生なら問題無いが、リアルな無免許医師にバチスタ手術任せてたようなものじゃないか。まさか目の前でそんな恐ろしい事が起きてたなんて。
「爪の話など今はどうでもいいでしょうが! それよりも、千寿ちゃんに土筆寺さんが中へ入ってしまった事をどうにかして伝えませんと」
「高咲様にですか?」
あの方、中に居るんじゃ……?
「先程、すぐ後ろまで来てた不審な影を拉致ってましたわ。人目に付くかもしれない結界内にはいないはずです。千寿ちゃんも私同様結界魔術の破壊は苦手らしいですが、土筆寺さんの事をお伝えすれば、彼女なら気合いで手術並みの芸当だろうと一秒で終わらせますわ」
お嬢様の言葉に納得してしまう自分は、実はかなり常識外れな知識を植え付けられているんじゃないかと思う。
天魔級。それは天使や悪魔が平均的に使えるレベルであり、人間の手の届くレベルでは無い。そんな結界を一秒で破る存在なんて、不勉強な私でも異常だと分かる。
「お嬢様、まさかと思いますが高咲様は去年お嬢様が依頼を受けたあの件の……?」
「それ、今一番どうでもいい事だと思いません? 私の執事さん」
『詮索はいらないでしょう? それとも文句がおあり?』という意味を含んだ冷たい笑みを浮かべる私の主人。
滅相も無い。私は従順な貴女の狗だ。
「申し訳ございません。失言でした」
お嬢様は満足そうに一度頷いた。
「私は千寿ちゃんを探しますわ。貴方は向こうの東屋で転がってる颯太郎に付いていなさい」
あの色ボケ坊主の名前が出た瞬間に、私の内心では黒い感情が渦巻きグチャグチャに塗り潰される。
「放っておいて魔獣か獣の餌にしてもよろしいのでは?」
「心惹かれる提案ですが、あんな愚か者でも私の婚約者ですから」
この方は……素直じゃ無いな。
私はそっと、そろそろ閻魔大王の説教でミイラになっているだろうお嬢様の想い人の元へ向かった。
***
怖い程綺麗な夕焼けの世界が、仰向けに転がる帝の視界を満たしていた。
『あ、これ夢だ』と、帝にはすぐ分かった。唐突に体が浮き、引っ張られている最中に気絶した覚えが微かにあったから。何より、仰向けになったままの体を、帝は自分の意思で動かせなかったから。
「ぜったい、に…………から」
泣き声かと思うような――否、ほとんど泣き声と呼べる言葉を、微かに耳が拾い上げる。
まだ幼い感じの子供の声だ。
「――……む、だに……しないから」
帝の胸の奥を何かが締め付ける。
『泣かないで』と、声をかけて抱きしめたくなった帝。けれど『そんな資格がお前には無い』と、帝の頭の中で知らない誰かの声が響き、
「いま、だけ……いまだけ――――」
結局……何も出来なくて、悔しかった。
一度の暗転を経て、帝の瞼が持ち上がる。
目尻から伝った雫を極々自然な動作で拭った彼女は、現在地を確認した。空が暗いわりに不思議と良く周りが見えたため、この視界の暗さが魔術によるものだとすぐに気づく。
彼女の体は木の幹にもたれ掛かり、太い枝に両足を投げ出している体勢で放置されていた。
遠くの方から多くの混乱した声が聞こえてくる。
何故自分が居るこの周囲だけ静かなのだろうか? という疑問を抱きながら、帝は木の幹に手を付き体勢を変えようとした。すると、
「にゅ!」
視界には入っていなかった下――スカートの上に、小さな生き物が居た。
***
肺が痛くて血の味がします。脚の筋肉もそろそろ限界を訴えてきました。だけど僕は、止まるわけにはいきません。
腕の中で震えている女の子。ずり落ちそうになっているのを抱え直すのは、これで何度目でしょうか?
些細な疑問が脳内にチラついていれば、いつしか中世の家らしい建物の一角を抜けていました。樹木で出来た吊橋を靴底が蹴ります。魔獣との距離はギリギリ――向こうが吊橋を揺らして、壊すだろう頃に渡り終える事が出来るくらい開いています。
よもや吊橋を走って渡る日が来るとは……。物凄くやりたくありませんでしたが、これには理由があります。魔獣の狙いは僕か、抱えられてる女の子。或いは両方。なら、警備員が来ない今それを利用しない手はありません。なるべく人の居る場所から奴を遠ざける囮役を買って出ました……強制的に。
本当は、母親の方を抱えていた千夜君の「無謀な事すんな!」という怒鳴り声に、「僕もしたくありません!」と、大声で言いたかったです。既にロックオンされてたので無謀もクソもハッキリ言って無かったんですよ。止まったら絶命してしまいますアハハハハ……。
「にぃちゃ……」
「! ……すみません、ずっと怖い思いをさせて」
不安という色だけが際立つ瞳を向けられて、僕は我に帰りました。
「だい……じょうぶじゃないけど……。が、ガマンできるもん」
ボロボロ泣きつつ気持ちだけでもこちらを困らせまいとしている姿に、己が情けなくなりました。
「次の地区は隠れ易い場所が多いはずですから……千夜君――キミのお母さんを助けた人が応援を呼んで駆けつけてくれるまでの辛抱ですよ」
フェアリー・ミードは一つの村をモチーフにした施設ではありません。四つか五つ程の村が少しの距離を開けて点々と有り、それ全てでフェアリー・ミードとなっています。この向こうにあるのは、中世感を抜いた別の趣向の村。空を暗くし、鳥籠のようなツリーハウスもどきを並べ――幻想的な光景に拍車はかかるものの、土産屋やちょっとしたアトラクションの少なさから人気最下位地区で人が居ないエリアです。
「にぃちゃ……」
「ん?」
「あの、あのね……」
どうしましょう。とてつもなく嫌な予感がしました。
「おといれ」
予感的中!!
「小さい方ですか?」
「大きい方」
うん、壊してなければ救いは十分にありますね。
「もう少し頑張れませんか?」
「ギリ?」
疑問形で『ギリ』って一番大丈夫かそうでないか判断出来な――
「おなか、いたい」
「アウトじゃないですか!」
思わず叫ぶようなツッコミを入れてしまった瞬間、橋を渡り終えるのと同時に横から暴風が吹き荒れました。
無様に飛ばされて、それでも女の子が怪我しないように庇い転がった僕は、肩と背中の鈍い痛みに顔を歪める他ありません。
一度強く閉じた瞼を開けると、その暴風はどうやら橋を一っ跳びした魔獣が、僕が今しがた踏み込んだ場所のすぐ横に着地した風圧だったようです。
辺りが抉られた地面の砂塗れにになって、口の中が気持ち悪い……。
女の子の様子を確認すると、気を失っているようでした。外傷は……ありませんね。
再び女の子を抱え直そうとした僕は、今までと違う重みに目を見開きました。……そういえば、意識無いのと有るのとで重さって変わってくるんでしたっけ。
ズシ。ズシ……と。魔獣がこちらにゆっくりと向かって来ます。
僕の背後は、苔の付いた太い幹の大木。左は崖と一本の橋。右には木々が群生していますが逃げられる通路はしっかりあります。が、今走っても……すぐに捕まるでしょう。
牙で噛み砕かれるか。爪で抉られるか。親のシャチが、子にオタリア狩りを教えるような生き地獄の悪夢を見せられるか。
せめて、この女の子は助けたかったのに。
――ヒュンッ。
「ヴォォオオオオオオオ――――!!」
強く鮮明にそう頭の中で思った直後の事でした。何かが風を切る音。獣の叫び。飛び跳ねる腕らしきもの。そして、
「おい駄犬、ちょっとツラ貸せ。原型無くなるまで刺してやる」
――不機嫌極まりないミカさんが、僕と魔獣の間に立っていました。
紅玉? ……違う。柘榴石で作られたような、美しくも禍々しい槍を持って。
ミカ登場。彼女に何が有ったのかは次回になります。




