立体製図設計
「......ったく」
仕方ない。
考えるのは止めようとパルムは思考を切り替えた。
ともかく妖精犬のことは後で妖精たちに聞くとして、己の仕事を優先するのだ。
ちょっとごめんね、とパルムはパトラに近付く。
襲われるのではないかと不安だったがそれは杞憂のようだった。
パトラは吠えもしなければ――実際に妖精犬が吠えると四方三Kに響くと云う――噛みつかれもしなかった。
妖精犬を間近で見るのは初めてだ。
成長し、成犬となった妖精犬。
顔の輪郭は見えず、目も何処にあるのか判らない。ただやはり先程と同じような視線だけは感じて背筋を冷たい何かが抜けていく。
値踏みされているような居心地の悪い感覚とでもいえばいいのだろうか。それに付随するように、エリーに害する敵かどうか、その一点に注視しているようにも感じられる。
体長は三M程、体重は不明。
通常の仔牛なら七十K程もあるはずだが、妖精犬の足下、家の床には歪みが一切生じていない。まるで浮いているのではないかと錯覚してしまう程に重量を感じさせない。
しかし触ればしっかりとした肌の質感と弾力が指先に伝わってくる。一体全体どういう身体の仕組みなのか、理解の範疇を超えている。
ともかく大きさは判った。重量は余り計算に入れなくても良さそうだ。
妖精犬の家か。
一切の外的要因を排除して考えれば、これはこれで面白い依頼だとパルムは思った。
恐らく誰も作ったことはないだろう。
ただ作ったからと云って余所様に披露できる類の物でないことも確かだが。
パルムは手にした鞄から様々な道具を取り出して芝生に並べた。
「パルムさん、それは何ですか?」
「これか。これは魔法建築士が使う道具――【魔法建築士製図用具】だよ」
そう云ってパルムは【魔法建築士専用鉛筆】、【魔法建築士専用消しゴム(アーキテクトイレイサー)】、【魔法建築士専用三角定規】、【魔法建築士専用三角スケール(アーキテクトスケール)】、【魔法建築士専用テンプレート(アーキテクトテンプレート)】を手に取り、それらを一つ一つ丁寧に精査していく。
エリーがそれを物珍しそうに眺めていた。
パルムはエリーに尋ねる。
「エリーはパトラの家を作りたいって言っていたけれど具体的にどういう家が良いとかあるかな?」
「うん。ちょっと待っていて。今、持ってくる!」
「持ってくる?」
エリーは庭先から靴を脱ぐと家の中へ入っていった。
しばらくして彼女は大きな画用紙一杯に描かれた絵をパルムの前に広げて見せてくれる。
そこに描かれた絵には真ん中に赤と白で構成された小屋と、その両脇に並ぶエリーとパトラが描かれていた。
赤と白の小屋は恐らくエリーの家を模しているのだろう。
何故か煙突らしき代物までくっついている。
「パルムさんどうかな。上手く描けていますか?」
「それはもう、こんな家に住めるなんてパトラは果報者だなあ」
むしろ俺が住みたいくらいだよ。どうみても自分の家より快適そうだ。
「犬になるなら良いですよ」
とエリーがこちらの心を読んだかのようなことを言ってきた。
「口に出てた?」
「名前はそのままで良いですよねパルム」
「さんが抜けているね!」
「――始めるよ」
パルムは乱れた息を整えると目を閉じた。
精神を集中し、瞼の裏側にエリーが見せてくれた絵をゆっくりと想像する。
詳細に、鮮明に、精緻に、精巧に――今、パルムの瞼の裏側には手を伸ばせば触れることができるのではないかと思われるほどに具体的に立体化されたパトラの家がある。
――目を開けると、そこには光に包まれたかのような豪奢なパトラの家が映って見えた。
先程までは存在すらしていなかったはずのパトラの家が立体的に浮かび上がっているのを確認すると、パルムの身体を淡く蒼い魔力の光が包み込む。
それに呼応するように魔法建築士製図用具も蒼い光を帯び、ふわっと浮かび上がると中空に蒼い線を描き始めた。
【立体製図設計】と呼ばれる手法だ。
魔法建築士の基礎であるそれは、魔力を帯びた専用製図用具を使用することで己の描いた想像を世界に具体化させるのだ。
想像が正確且つ迅速であること――魔法建築士としての技量を問われる一つの目安でもある。
想像できるかどうか、それは己の知識の全てを問われる。
依頼人からの調査、ヒアリング、提案――この場合はエリーの描いた絵から内部構造まで全てを想像する。
柱、屋根、床、建材、接合部、窓枠、梁、その他全てを識らなければ家そのもの(・・・・・)は設計・製図できない。
淡く蒼い光は幻想的なまでに美しく、想像した軌跡を描いていく。
全ての形が出来上がったところで、パルムは魔法建築士専用鉛筆を直に手に取り、さらさらと【意匠】を端に記した。
「終わったよ」
パルムが再び深呼吸をすると、役目を終えた専用製図用具は芝生に降り、蒼の光を失った。
「......すごい! すごいすごい!」
エリーが感嘆の声を漏らす。
彼女の目の前にはパトラの体躯がすっぽりと収まる程に大きな小屋――否、家が建っていた。
立体製図は線画のみで構成されているので中身まではっきりと見て取れる。
本来はここから依頼人とヒヤリングを重ねて、より良い形に組み替えていくのが本筋である。
しかし、パルムのそれは完璧であった。
「それは何?」
エリーが意匠を指して云う。
「これは意匠と云って、簡単に云えばこれを設計したのは自分ですよっていう証明みたいなものだよ。意匠は魔法建築士試験に合格した際に登録するもので、魔法建築士それぞれが固有の意匠を持っているから誰が設計した物か一目で判別できるんだ。
更に意匠を施した建築物を【魔法建築士庁】に登録しておけば、仮にデザインを盗まれたりした場合でもこれは自分の物ですよ、とはっきり証明できる」
へえーと幾度も頷くエリー。
パルムの意匠――二首鷹を模した意匠。
パルムはしばしそれを眺めてから立ち上がった。
「さてエリー」
「もう終わり?」
目を輝かせているエリーを微笑ましく見た後、首を振る。
「ここまでが俺の仕事だよ。魔法建築士は設計しかできない。犬小屋なら俺が作っても良かったんだけれど、パトラの家を作る為にはそれ相応の大工が必要だろ。ほら、家を建てるのは大工だ。そうだろ?」
「う......私、お金がありません」
「大丈夫。心配いらない」
「もしかして身体を売らなければいけないのですか? はっ、もしや最初からそれが目当てだったのですか!? パルムさん不潔汚らわしいです!」
「俺はエリーの小盛りパイに興味はないぞ! ――いや、本当に! 止めて! そんな目で見ないで!」
「判りました。とりあえず信用します」
「ありがとう」
何がありがとうなのかパルムは自分でも良く判らないまま、それでも安堵して続ける。
「知り合いの大工に良い奴がいるんだ。そいつに頼めばお金の方はなんとかなると思う。エリーはこのままパトラと留守番でもしておいてくれよ。
今日中には無理だけど見積もりもこっちでやっておくからさ。あ、内容が決まったらまたそいつと一緒に来るよ」
「判りました」
それじゃまた、と手を振って庭を出ようとしたパルムの後ろ裾をエリーが握る。
振り返り前屈みになったパルムの頬にエリーの唇が当たる。
「......え」
一瞬、何が起こったのか判らないパルム。
エリーは爪先立ちで精一杯背伸びをしたまま、こう言った。
「今はまだ小盛りですが、何時かきっとでか盛りにしてみせますね。パルムさん。今日は私の話、ちゃんと聞いてくれてありがとうございました」