犬は犬でも犬じゃない!?
話に聞いていた通りの白煉瓦造りの二階建て一軒家。
屋根は普通の木材を使用している。
門扉と家を囲む塀には白煉瓦と赤煉瓦を交互に取り入れて巧く色彩を出していた。
敷地はぱっと見で百坪と云ったところだろうか。
エルムナード大通りに建てられた個人宅としては立派といえる佇まいだった。
無論、パルムが事務所兼自宅として借りている借家とは比べるまでもない。
さぞかし中の方も立派な造りになっているに違いない。
どうぞ中へ――そう言って門扉を開けたエリーの後に続いて入る。
「ご両親はいらっしゃる? 居たら是非御挨拶を......」
「両親は今居ません。父は仕事で、母は旅に出ています」
「旅?」
「間違えました。買い物です」
「買い物と旅を言い間違えるとは中々希有な舌をお持ちですねお嬢さん!」
そうでしょうか、とエリーは首を傾げた。
普通買い物のことを旅とは云わないだろうと思う。
しっかり者だが変わっている。
さすが犬小屋作成を他人に依頼するだけはある。
それにしても両親は不在か......残念だ、実に残念だ、とパルムは思った。
できれば両親にも顔を覚えて貰って今後の仕事に繋げたいところだがなかなかうまくはいかない。
エリーは門扉から玄関へ向かわず、左脇を進んでいく。
後に続いて行くとそこは庭だった。
芝生が綺麗に刈られている。
大体十坪――この場所だけでパルム設計事務所の一階部分に相当する広さがある。
端の方には花壇があり、ハーブが植えられている。
オレガノにカモミール、ジャスミンにコリアンダー、あの背の高いのはフェンネルか、結構な種類を目にする。
「パルムさんパルムさん、こっちです。ここにパトラの家を作りたいんです」
エリーは庭の中でも家に近い場所に立ち、手招きした。
なるほど確かにそこだけ区切られていると云うか、芝生が若干禿げている。
聞けば元々そこには古い犬小屋があったそうで、それを先月末に撤去したらしい。
パトラは現在室内で飼っているそうだ。
しかしそれも限界だと云う。
何故限界なのかを尋ねる。
するとエリーは「パトラを見て頂ければ判ります。パトラ!」と庭先から家へと続く窓戸を開けて愛犬の名を呼んだ。
しばらくして窓戸から顔を出した一匹の犬を見て、パルムは絶句する。
犬とはまさかこれか!?
エリーの顔を舐めているパトラ――それは大型の犬、否、大型の【妖精犬】だった。
妖精犬はそもそも妖精の森を護る番犬だ。
その大きさは小さな仔牛程もある。
全身は緑色のもじゃもじゃした毛で覆われ、渦巻き状の長い尻尾を背中の上で巻いている。
当然、本来は妖精種族が飼っているはすだ。
「どうして妖精犬が......そもそもどうして人に飼われているんだよ。妖精犬は人間を嫌うはずだぞ」
「パトラは違うです。私が森で迷子になっていたのを助けてくれたのがパトラなんです。その後、家で飼うことにして、今は大きくなっちゃったけど、昔はもっと小さかったんです。
だから古い犬小屋じゃあ入らなくなってそれで新しい家を作ってあげようと思ったんです。――駄目ですか?」
「いや、駄目って訳ではないのだけれど、ちょっと、どうしようかな。あはは」
乾いた笑いが庭に響く。
妖精犬がこちらを見たような気がした。
気がしたと云うのは妖精犬の顔が毛で覆われている所為ではっきりと判別できないからだが、ともかく気配がした。
間違いなく、このパトラと云う妖精犬はパルムを識別している。
それもかなり高い精度でだ。
妖精犬の知能がどれ程のものかははっきりしていない。
そもそもが妖精種族専用の番犬みたいなものだ。
おいそれと他種族が扱えるはずはなく、それ故に調査も進んでいない。
アリとマリ辺りに聞けば判るかもしれないが、聞いたところでまともな回答が返ってくるとも思えなかった。
「エリーがパトラと出会ったのは何時?」
「確か三年前です」
アリとマリとは無関係か。
パルムが妖精たちと出会ったのは丁度一年前だ。
「エリーや御両親はパトラがその――」
「妖精犬だと云うことは知っています」
とはっきりと口にした。
「じゃあ妖精犬がどう云うものかも――」
「詳しくは知りません。図書館で調べても良く判らなくて」
「妖精犬の生態は不明な点が多いからね。仕方ない」
ふとエリーは笑顔を曇らせ俯いた。
「お父さんとお母さんからは最初、森に返そうと言われました。でも私はずっと反対しました。そうしたら今度はあまり外に出したら駄目だと言われました。
理由は、なんとなく判ります。パトラは本当は、ここに居たら駄目なんですよね。
本当の家は森にあるんですよね。だから――パトラも本当は帰りたいのかな。私、間違っていますか?」
エリーは真摯な瞳でパルムを見上げた。本当は一緒に居たい、でもそれが正しいことなのかどうか、この子にはまだ判断ができないのだろう。
しっかり者のエリーだから、彼女だからこそ迷い、葛藤している。
「......どうだろうな」
パルムの答えに、エリーはそうですか、と小さく呟いた。
ただパルムは少し別のことを考えていた。
そもそも妖精犬が人間に懐くとは考えにくい。一般に種族とは云うが実際には精霊に近いのではないかと云う学者もいる。
そんな謎めいた生き物がなぜこんな街中で、まして人間に飼われているのだろう。
もしやエリーの両親のどちらか妖精種族、は有り得ないか......【半妖精種族】、な訳ないし......。
人間と混血であるならば、その子供のエリーには少なからず特徴が出るはずだ。
しかし彼女はどう見ても純血の人間に見える。
「パルムさん? 何をそんな気持ち悪い顔をしているのですか? お腹でも痛いのですか?」
「......今かなり傷ついたぞ。俺の考えている顔って気持ち悪いのか?」
「そうですね。結構な案配です」
「まるで良い案配みたいな云い方をするな! そこは嘘でもフォローを入れるべきだよ!」
「そうですか。では、パルムさんの顔が気持ち悪いのは何時ものことなので気にしないで下さい。これで良いですか?」
「さっきよりも悪いね! むしろもっと傷ついたよ!」
「それはおかしいですね。両親からは人は真実を知ることが嬉しいのだと教えられてきました」
「知りたくない真実と云うのがあるんだよ! エリーの今後の為だ。御両親とは一度きっちりとお話をさせて頂く必要があるな!」
エリーはふふ、と口に手を当てると小さく笑った。それがまた妙に大人びていて、パルムはなんだか気恥ずかしくなった。