少女の依頼
「嘘!? 本当なのマリ?」
「さあ。識りません」
「識らないのかよ!」
――もういいか。
本当に剥いでやろうかと真剣に思い始めた頃、くすくすとくすぐったい笑い声が聞こえてきて、パルムは振り返った。
鈴の音色とでも云えば良いのか、少女の笑い声は耳をくすぐられているようで妙に心地良い。
先程までの荒れた気持ちが収まっていくのをパルムは感じた。
妖精たちも少女の笑い声が気に入ったらしい。笑顔で駆け寄ると。
「貴方、よく見ると可愛いね。ねえねえ、名前、教えてよ」
「何と言うのです? その髪もとても良く似合っていますよ」
途端に親しげになった。
まるでナンパでもしているような態度だった。
少女はエリー・ヒギンズと名乗った。
歳は八歳だと云う。
エルムナード大通りに住んでおり――この瞬間、パルムの目の色が変わった――今日は用事があって魔法建築士事務所を探していたのだと、そして表通りでは望んだ魔法建築士が居なかったので、ふらふらと裏通りまで足を運んで、ここを見つけたそうだ。
しかし扉を叩く勇気が持てずに中を覗いていたところを、とまあそういうことらしかった。
「エリー......否、お客様はエルムナード通りにお住まいだそうで。一体どのような御用件でこのような薄汚いサブウェイにまでお越しになったのでいらっしゃいますか。
ああ、すみません、只今お茶をお持ちしますので、どうぞその椅子に座ってお待ち頂けますか。何かお菓子を、ああ、只今丁度切らしておりまして、申し訳ありません。こら、お前たち、今すぐにお茶を準備しろ」
「うわお、さすがのアリもどん引きの態度」
「マリも。アリ、行こう」
「早くしろよ。それから何でも良い。お菓子を買ってきてくれ」
妖精たちは「べーだっ」と舌を出して奥の扉を開けて出て行った。
フェアリーズに誹謗、中傷、侮蔑の視線を向けられてもパルムは全く気にした素振りを見せず、エリーの向かいの椅子へ腰を落とした。
エルムナード通りに家を持つ者は総じて裕福な家庭にある。
ソルティオで家を建てようと思う者なら一度は夢見る一等地だ。
地価だって実にここの五倍だ。道一本挟んだだけでこれだけ違うことにパルムは最初驚いた。
とにかくそういった事情を知っているパルムからみれば、目の前の少女は金のなる木ならぬ、金のなる子供に見えるわけだ。正確には両親がだが。
「ヒギンズさん」
「エリーで結構です。パルムさんは大人ですから」
見た目の印象通り、はきはきと喋る。
「ん......それじゃあエリー。改めて自己紹介させて貰うよ。一級魔法建築士ニコライ・パルムです。先程の妖精たちはアリとマリ。うちで居候しているんだ。騒がしくしてごめんね」
「一級って......本当に?」
エリーは驚きと、その後に怪訝な顔でパルムを見た。
その表情の裏ではきっと――どうして一級資格取得者がこんな裏通りでこそこそと看板を掲げているのかと、恐らくこう思っているに違いないとパルムは思った。
――誰でもそう思うよなあ。
魔法建築士として栄光の道を歩む筈だった。
しかしその夢は半ばで挫折、否、屈折させられた。
ただしパルム自身後悔はしていない。
パルムはその時その瞬間、自分にできる最善を行ったと今でも自負している。アリとマリに出会ったのはそういった時だった。
ただその所為で表通りには顔を出し難くなってしまった。
「パルムさん?」
「ん、ああ、ごめんね。それで? 君の努力を無下にするみたいで悪いけど、建築士なら表通りに沢山居ると思うけれど。
それにここは君のような子供が一人で来る場所ではないよ。危険だ。幾ら通り一本とはいえ、危ない連中が歩いていることもある」
「はい。ごめんなさい。え、でもそれじゃあアリさんとマリさんは大丈夫なのですか?」
「大丈夫。あいつらはここいら辺りじゃあ有名だから。いざとなれば誰かが助けてくれるさ。それに妖精に危害を加える者なんて、そんな愚かな者は大陸中探しても、まあ極一部しか居ないんじゃないかな」
「そうですか」
【妖精種族】は希少種である。
通常、彼または彼女らの多くは森の奥深くに居を構え一生をそこで暮らす。
他種族と交わることは殆どなく、人と暮らすなんてことは例外中の例外、恐らく妖精種族の中では禁忌にも近い意味を持つ。
彼らが他種族とは一線を画す理由――それは妖精種族の羽にある。
彼らの羽には特殊な繊維が含まれており、それは絹のように滑らかで、鋼のような強度を持ち、水のようにしなやかである。
古くから権力者の富の象徴とされ、富裕層の生活に取り入れられてきた。
妖精種族は己の羽を取引材料にして長く生活してきたのだ。
長らくそれは続いてきたのだが、大陸間戦争の折り、その均衡は破られた。
妖精種族を乱獲する輩が現れたのだ。
彼らの繊維を鎧や兜、武器に転用し、戦争に利用しようと考えたのだ。
そうして妖精種族は狩られ、その数は全盛期の十分の一以下にまで減少したと云う。それが遙か昔......。
「さあ、エリー。御用件を教えてくれ。俺にできることなら喜んでお請けするよ」
「はい。実は――」
彼女はそうして話を始めた。
エリーの家はエルムナード大通りの南に位置する一軒家で、色は白、素材は煉瓦で建築されているらしい――白煉瓦は郊外の岩石地域で採掘されている。
重量は通常の赤煉瓦よりも一割程軽い。
ただし採掘する為には地中深く掘らなければならない為、赤煉瓦よりも値段は高い。
彼女の家は間違いなく裕福であると推測された。
エリーはそこで「犬を飼っているの」と言った。そのこと自体はちっともおかしなことではない。むしろ裕福な家庭に良くある風景だとパルムは想像した。
ただどうして犬の話になるのか、さっぱり見当は付かなかった。
エリーは大層その犬――名前をパトラと云う――を可愛がっているそうで、世話の殆どを彼女が行っていると云った。
――犬......犬......?
パルムはその単語に予感めいた何かを感じた。
エリーは最初、エルムナード大通りには望んだ魔法建築士は居なかったと言った。
それはエリーが子供だから相手にされなかったのだと単純に考えていたのだが。
しかし。
魔法建築士、設計、犬。
パトラのことを笑顔で話すエリーを前に、パルムの頬は引きつった。
事、ここに至ってパルムは次にくる彼女の言葉を、正確に、予想していた。
「もしかしてエリー、魔法建築士に用だと言うのは......」
「うん! パルムの犬小屋を作って欲しいの!」
くらあっと、パルムは目眩がした。目の前の視界が霞んでいくようだった。