2.約束
『今日は楽しかったです兵士さん。……また、明日も来てくださいね?』
うわあああ、どうしよう!?
昨日、あの牢獄からの去り際、リース・アルメイツに言われた言葉を思い出して僕は頭を抱えた。
「ははは、随分と気に入られちまったな」
隣に座るパルは腹をかかえて笑っている。今日も演習場で素振りをしていたら、水筒を持ってきてくれて、そのまま昨日の事を話していたというわけだ。
「笑い事じゃないよ……」
「でも、別に約束したわけじゃないんだろ?」
そう、この台詞を言われた時にどうしてか焦っていた僕は、返事もせずにでてきてしまったのだ。
「そうだけど……」
「なら、このまま無視しちゃってもいいんじゃないか?」
「……」
なんでだろう。真っ先に、それは嫌だっていう思いが頭に浮かんだ。
(かわいそうなお姫様の願いを叶えてあげたいから? それとも……)
まずい気持ちに気づきそうになって、僕は無意識に思考を止めた。何を考えているんだ僕は。
「ま、さすがはリースってとこか……」
「え?」
パルが何かを呟いた気がしたが、良く聞こえなかった。聞き返すと、パルはなんでもないと首を振って、それから何かを差し出した。
「とりあえず、こいつ渡しとくわ」
「これって……」
「あの牢獄の鍵。魔法コードは12635だ。ま、使うかどうかはお前しだいだがな」
パルはそれだけ言うと、ヒラヒラと手を振って行ってしまった。
「……」
僕は、手の中に残された鍵をただ見つめていたのだった。
結局、来てしまった……。
僕は牢獄の鍵を解除しながら、ぼんやりと思った。自分が軍法違反を堂々としていることにも驚きだし、そのことに微塵の罪悪感も持っていないことにも驚いていた。
(意外と真面目じゃなかったのかな、僕って)
カチャリ、鍵が回る。油の足りていない鉄扉がギギギと音を立てて開いていく。
その向こうで、昨日と同じようにリースが外を眺めていた。彼女はこちらに気付くと、一瞬僕を見て、すぐにふいとそっぽを向いてしまった。
「えっと……どうしました?」
「……」
声をかけると、むすっとした顔で睨んでくる。どうやら相当にお怒りのようだ。
すぐに僕が昨日、リースの言葉を無視して行ってしまった事を思い出した。
「あの、すみません」
「……なにがですか?」
「その、昨日の去り際、返事をしなくて……」
「そんなことに怒っているわけではありません」
「ええええ?」
僕は混乱した。
じゃあ、一体なにに怒っているというのだろう? 答えはすぐに言ってくれた。
「兵士さん、昨日は2時間前に来てくれましたよね?」
「ええと……ああはい、確かにちょうど2時間前のくらいでした」
「今日はどうして遅れたのですか?」
「は……? だってその時間に来るなんて一言も……」
いや待てよ、本当に言ってないっけ? よく思い出せ、確か、ここを出る前に……。
『兵士さんと話すのは楽しいですね』
『こ、光栄です』
『明日も同じ時間に来れますか?』
『は、はい』
……ああ、ちゃんと約束してる。
そうか、昨日の去り際の言葉はただの確認で、あの時なんか焦ってたのはこの約束のせいだったんだ。って、なんでこんなことを忘れてんだよおおおお!?
「多分、僕には処理できないほどの約束だったからかな……?」
「処理……? 面白い表現ですね。私との約束は処理するようなものなのですか」
「いえいえいえ、違います独り言です気にしないでください!」
僕は必死に弁解した。
「本当に、単純に忘れていただけですから!」
「それは、言い訳になってませんよ?」
「えっと、その、ごめんなさい! ほんとうにごめんなさい!」
ごめんなさいごめんなさいと繰り返して、頭を下げているとリースからぷっという音が聞こえた。
「くくっ、あははははははっ!!」
「……?」
「あーおっかしい! なんで兵士さんがそんなに謝っているんですか? 私は死刑囚で兵士さんは執行側の軍人なんですよ? そんな約束しらないってふんぞり返っててもいいじゃないですか」
「……」
あははははっと目に涙がたまるほど笑うリースをポカンと見つめるだけの僕。
だが、なんだかだんだん腹がたってきた。そんなに笑わなくたっていいじゃないか。
「約束を反故にしたのだから、謝るのは当然です」
少し棘のある声が出た。
すると、リースはさらに笑い転げた。
「あはは、兵士さんが怒った!」
「わ、笑うとこではありません!」
「だって、全然怖くないのだもの!」
そんなに怖くないのか……。そういえば僕って童顔だってよく言われるんだよな。
すっかりしょげてしまった僕に、リースはそっと近づいてきて、僕の頭を撫で始めた。
「兵士さん、かわいい」
「嬉しくないです」
「ふふっ。……ねえ、兵士さん」
「なんでしょう」
「明日も、来てくれますか?」
一瞬の逡巡。
でもそれは、リースの瞳に写った少しの不安に、吹き飛ばされた。
「……時間通りに来ますよ」
「約束ですよ?」
「はい」
リースが、小指を突き出してきた。指切りというやつだ。
僕は、彼女の小指に、そっと自分の小指を絡めた。リースが目を閉じて、調子はずれの歌を歌いだす。
「ゆ~びきり、げんまん、うそついたら、はりせんぼんの~ます。……ゆびきった!」
「ぷっ」
「あ、なんで笑うんですか!?」
「い、いえ。くくくっ」
「もう! 失礼ですよ!」
怒りながらも、リースの顔は晴れやかで。僕の笑いも、だんだんと可笑しい時のから嬉しい時のに変わっていた。そのことに、僕は気づいていたけど、わざと可笑しそうに笑い続けた。
死刑執行人の自分からの警告も後悔も、この娘を殺さなければならないことへの迷いも、全部見て見ぬ振りをして、みっともなく笑い続けた。
* * *
カタン――ペンを投げ出して背もたれに思いっきりもたれた。
それを見計らったかのように、コンコンとノックがされた。いいぞーと声をかける。訪問者が誰かはわかっていた。
「おつかれー、少佐。むこうは順調みたいだよ」
なにが? とは訊かない。彼女にこの仕事を頼んだのは自分だ。
「そうか……そいつは何よりだ」
あんまり入れ込みすぎると失敗したときが心配だが、あいつなら大丈夫だろう。
考え事に囚われていると、部下の少女が後ろから背もたれ越しに抱き付いてきた。この娘は甘え癖がある。
「それより少佐、たまにはシズクと遊んでくださいよ~。最近、あの二人の見張りばっかでつまんないです」
「お前は、ほんと子供だな。思考も背丈も」
「む、身長は関係ないもん! それに、でるとこはちゃんとでてるんだから」
「……どこが? 相変わらずの幼児体型のくせに」
本当のことを言ったのだが、歳のわりに子供っぽい事を気にしている彼女の癇に障ってしまったようだ。
彼女は背もたれごと自分を蹴り飛ばすと、フンと鼻をならした。
「もういいです。少佐のバカ」
「悪かったって」
「大体、あの人の監視だって不満なんです。少佐がここまでしてまで引き抜く程の人物なんですか?」
「それは、保証する。このやり方だって、あいつの実力を引き出すためには必要なんだ」
「……少佐、これ、ぶっちゃけ性格わるいですよ?」
「わかってる。恨まれる覚悟だってしてるさ」
「……ふーん」
まだ不満そうな彼女が、突然ポンと手を叩いた。
なんか悪戯を思いついたような顔だ。次の台詞がだいたい予想できてしまった。
「少佐」
「なんだ?」
「彼の実力とやら、試してもいいですか?」
「……はぁ、そう言うと思ったよ」
「てことは、いいんですね」
「好きにしろ」
「やったぁ!」
新しい玩具を見つけた子供みたいにはしゃぐ彼女を見て、子供だなとまた思った。
大丈夫だとは思うが一応、釘をさしておく。
「ほどほどにな」
「はーい」
飛び跳ねるように部屋を出ていく部下を見送って、またペンを持つ。書類はまだたんまりと残っていた。
――死刑執行まで、あと4日。