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ブレードシスター

 剣道場で向かい合う二名がいた。防具に身を包み、竹刀を正眼に構え、じりじりと間合いを量っている。

 時間は部活稽古の最中で、他の剣道部員も左右で各々組んで打ちこみあっているところだ。竹刀の乾いた打撃音と打突に伴う雄叫びが乱雑に聞こえるが、対峙する二人の耳には入っていない。集中を切らさず互いを見据えている。

 垂には『栄花(えいが)』『羽賀(はが)』と読める。

「てやああッ!!」

「うらあああッ!」

 互いに声を張り上げる。気勢をぶつけての威嚇し合いだ。

 先に動いたのは栄花だった。籠手に包まれた諸手をぐっと握り締め、突きの構えを取る。

「おあああッ!!」

 左足で床を蹴り、踏み込もうとした時、


 カッ! とその背中に金色の光輪が出現した。


 光から黄金の炎が後方に噴き出される。噴射の推進力で一気に加速する。

 栄花の能力『シュトゥルム&ドラング』は発声を推進エネルギーに変換する。大声を張り上げるほどにエネルギーが増幅され、突撃の威力を増すことができるのだ。

 本来は突きを入れようとしても避けられてしまう距離だったが、間合いが詰まる。自身もろとも黄金の炎を噴くロケットとなって真っすぐ飛んでゆき、竹刀の先端が羽賀の喉当てに迫ろうとした。

 半身となって翻った羽賀は跳躍し、跳躍から宙を舞う。

 その背中に、翼。

 畳まれていた鴉の黒翼は大きく広がり、羽ばたきに伴って漆黒の羽根が舞う。羽賀は翼を生やす能力『カラス天狗テング』によって自在に空中を飛行できる。

「出たぁっ、羽賀の飛行能力!」

「やっちまえ羽賀! お前が多く取るほうに賭けてんだぞー!」

 線の向こうで二人の部員が野次を飛ばしている。本来なら彼ら二人も稽古に参加していなければならないのだが、千葉も藤元も華麗にサボっていた。しかもなんか賭け事をしている。

 羽賀が空中から奇襲を仕掛けてくる。迫る太刀を栄花は凌ぎ、反撃を叩きこもうとする。

 翼をはためかせ、上空に後退され、太刀は届かない。羽賀は距離を取ると後方に回りこんでから、またも急降下での攻撃を試そうとする。

 剣道の試合場の広さは一辺9m~11mの正方形または長方形と決まっているが、高さに制限はない。大会が体育館などで行われる時は天井も高いため、三次元を自在に動きまわり敵を翻弄するのが羽賀の得意戦術だった。

 道場内を飛ぶ羽賀を千葉と藤元も観戦している。

「羽賀に空中戦に持ちこまれると厄介だよなぁ。今の時代の剣道は空中戦も含めた三次元の戦いを視野に入れなくちゃな」

「栄花ァー! やられっぱなしで黙ってんなー!」

 栄花は飛び回る羽賀を見上げながら、大きく息を吸い込む。

“発声”は剣道において重要なファクターの一つである。いかに相手を正確に打突しようと気勢のこもった発声が伴わなければ審判に有効とはみなされない。

 栄花は声を大きく上げれば上げるほど、それがそのままエネルギー量となり、推進力を何倍にも増大させる。

“突き”は剣道において栄花の能力を最大限に活かせる技であり、必殺技だった。

「ちぇあああああッ!」

 腹の底から雷のように鋭利な声を張り上げる。捨て鉢の叫び声でもなく虚勢の空威張りでもない、攻めるための猛々しき気勢。その声量が能力による推進機関の燃料となる。

 閃いて、光輪が出現した。

 ()()()

 推力をもってして床から弾くように離昇する。スペースシャトルのように打ち上がり、空中の羽賀へとたちまちに迫る。

「飛んだッ!」「いけええ栄花ー!」

 羽賀は打ち落とそうと竹刀を振ってくる。

 栄花は狙いを彼の喉元に定め突進する。

 二人は空中で衝突する。お互いの竹刀は打突を果たさず、ほとんど体当たりのようにぶつかった。墜落していく。

「相討ちかっ?」「いや……!」

 千葉と藤元が言うか言い終わらないかのうちに、栄花が叫んだ。

「ぜやあああッ!!」

 床すれすれで、エネルギー光が再び噴射される。光の直線となって低空を、同じく落下していく羽賀へ向けて猛烈な勢いで進む。

 羽賀も体勢を整えようとしたが、翼の羽ばたきで揚力が生まれるまで僅かな隙があった。

 空気を突き破って竹刀の先革が羽賀の喉当てを貫いた。羽賀は吹っ飛び、漆黒の羽根が散る。栄花は着地、同時に羽賀が床に倒れ、舞う鴉の羽根が静寂を包んだ。

 千葉と藤元が歓声を上げる。

「あーくそッ!」「よっしゃああ!! つかオイ、大丈夫かよ?」

 羽賀は起き上がったがうずくまり、喉を押さえるとゲホゲホ咽込んだ。しばらく稽古はできなさそうだと判断した栄花は壁際へ下がる。板張りの床に座って面を取り、タオルを外す。

「ふぅーっ」

 栄花――栄花えいが哲而てつじは息をついた。

 千葉が声をかけてくる。「よくやった栄花。お前に張っててよかったぜ」

「先輩もサボって観てないで稽古やってくださいよ。つか、人の稽古で賭けるのやめてくださいよ」

「俺と藤元は日頃から何につけても賭け事してんだよ。この前はお前が学食でハムエッグの黄身と白身どっちから食うか予想で賭けたからな」

「人の食事で賭けるのもやめてくださいよ! つか見てたんスか?!」

「お前はハムエッグの黄身も愛した女もナイフで半分こに切り分けるのか?」

「なんスかその唐突な問いかけ?! ハムエッグ先輩って呼ばれたいんスか?!」

 千葉先輩は栄花の隣に座る。

「にしても、相変わらずこえーなーお前の突きは。あの加速スピードで迫ってこられるとマジで寿命が縮みそうになるぜ」

「はは。そうでもねースよ。予測されれば避けられますし、どころか、側面や上から打ち落とされると隙だらけっスからね」

「いやいや、お前はいい能力持ってるよ。発声でエネルギーを生み出すってのが剣道のやり方とマッチしてる。恵まれてんだから、頑張れよ。今の時代、弱い能力者は運動部でやってくのも難しいんだし」

 能力か、と思う哲而。

 パイロキネシスやサイコキネシスといった“能力”の存在については昔から噂されていた。あくまで噂程度に過ぎなかったのだが、それがある時、世界を大きく揺るがす現象として表面化した。世界中で多数の子供が“能力”に覚醒し始めたのだ。

 時は流れ、世間一般に能力者の存在が認知されるようになり、今では“異能の力”を持たない子供の方が少数派になってきている。

 学校では生徒の能力に対し、その強さをテストを通じて判定、区分した段階に応じてカリキュラムを組むのが当たり前となっている。その一貫として、学生スポーツや武道などでも能力の使用が許されている。

「俺よりすげー能力者なんて、全国レベルには山ほどいるっスよ」

 哲而は視線を道場の向こう側へ向ける。「……あの人とか、な」

「面ェエン!」

 気勢と共にパァン! と大きな音が響き渡る。道場の向こう半分では女子の剣道部員たちが稽古をしていた。その中の一人が面打ちを決めた。

 遠くからでも感じ取れるほどに高い威力の面打ちだった。周囲の空気までをも叩き潰したかのようだ。相手の女子は打たれてバランスを崩し、床に横ざまに倒れ込んだ。ゴドン! と彼女の面が床板にぶつかる音がした。

 女子部員は床に突っ伏し、呻いてうずくまる。周囲がざわめき、何人かが心配そうに声をかける。打ち倒した方の女子は静かに佇んでいる。

「宮咲姉かぁ。あいつは別格だよな」苦笑いする千葉。「奴の能力はヤバい」

「ヤバすぎですよ。くれは先輩相手じゃ、最初から負けが決まってるようなもんじゃないスか」

 哲而より二つ上の女子だ。彼女が――宮咲みやざきくれはが剣道部のエースであることは、誰もが認めざるを得ないだろう。

「それに比べて、妹の方はなぁ」

 先輩が女子部員たちを眺め、端で稽古している二人組の片方に目を止める。

 垂ネームは同じ“宮咲”。しかし無敵の姉とは似ても似つかない不格好な挙動のため、防具に身を包んだとて遠目からでも誰にも区別がついた。

「せぁッ!」

「やあ~っ!」

「いづは! もっと声出せ!」

「は、はいっ、すみませんっ……!」

 相手の先輩女子に叱られている。続けるが、やはり発声にいまいち覇気がない。もし自分があんな声を出したとて“シュトゥルム&ドラング”はエネルギーダウンどころか発動すらしないだろうと哲而は思った。

 打ちこみもたいして鋭いわけでもなく、竹刀の振りもあまり速くない。

 しまいには鍔迫り合いに押され、尻餅をついてしまう。

「いづは! やる気あんの?」

「すみませんっ……」

 千葉はその光景を見、肩をすくめる。

「残酷だが、生まれ持っての差……ってヤツなんだろうな」

 と、女子部員の顧問が稽古を止めるよう通達する。女子たちは竹刀を打ちあわせるのをやめ、ぞろぞろと整列して座り、面を脱ぐ。宮咲の姉妹もそれぞれに面を外した。

 姉のくれははいかにも武人の女子といわんばかりの凛とした振る舞いで、目つきは真剣の刃のように鋭い。

 妹のいづはは気弱そうで、およそ運動部には向いてないタイプの女の子に見える。今も伏し目がちで、先ほど叱られたことを引き摺っているのか落ち込んだ顔だ。

 顔立ちは似ているが、対照的な姉妹だった。

「おい、お前らいつまでサボってんだ?! 稽古に集中しろ!」

「やべっ」

 先輩に怒られ、哲而たちは持ち場に戻る。

 くれはといづは。宮咲の姉妹。

 二人は部活が終わるまでの間、一度も互いを見ようとしなかった。


 放課後、着替え終わった哲而は昇降口へ向かった。

「と――」

 玄関前を歩くシルエットに気付く。夕日を浴びた姿がこちらを向いた。

「いづはか」

「あ、えっと……栄花くん、だったよね」

 宮咲の妹のほうだ。そのまま成り行きで二人して歩く。どうやら通学路もそれなりに共通していたらしく、校門を出てからも並んで下校することになった。

 いづはとは同じ部活ではあるが、あまり話したことはなかったので、話題に詰まる。

「あーっと。どうだ最近、調子は」

 いづはは横目で哲而を見、ふっ、と力なく笑ってみせる。

「栄花くんも見てたでしょ? 今日の私。ゼンゼンダメ。叱られてばっかだもの。才能ないんだなあ、私って。……お姉ちゃんと違って。昔からそうだった」

「お前の家って道場で、昔から剣道やってたんだよな」

 いづはは頷く。

『宮咲流』と言えば名の知れた一派であり、剣の道を志す者で知らぬ者はいない。いづはの家は道場で、姉妹二人は幼い頃から剣道を学ばされていたらしい。

「お姉ちゃんは小さい時から同い年の誰よりも優秀だった。今となっては大人ですらお姉ちゃんに勝てない。間違いなくお姉ちゃんは道場で一番で、宮咲流そのもので……でも私は」

 いづはは俯く。

「いつもお姉ちゃんと比べられて。いつもお姉ちゃんと比べてダメで。いつも、いつも。16年間、ずっと」

「…………」

 しばらく沈黙が降りる。

「お前はお前だろ。お前にだって固有の“能力”があるんじゃないか。くれは先輩にはできない、お前だけの剣道があるんじゃないか」

「……それは無理なの。私の能力、剣道向きじゃないから。だから私、試合じゃ、無能力者とオンナジ」

 ふうむ、と哲而。

 能力の使用が部活で許されるようになった今、自分の能力を戦術に組みこむ者が大半だが、しない者、できない者もいる。全ての能力が剣道に活用できるわけでは当然ないからだ。

 とはいえ普通は自分の能力を活用できる部を、探し選んで入部するのがセオリーだ。能力を活かしきれない部に入っても、周りは競技に能力を容赦なく使ってくるので不利になるに決まっているからだ。

 剣道部にこだわらなくても、もっといづはの能力に向いたスポーツに転向すればいいんじゃないかと思うのだが、おそらく、剣道の家に生まれたから続けるしかなかったのだろう。おかげで部活内でも活躍がパッとせず、落ちこぼれ扱いが加速してしまっている。

「才能でも、能力でも。生まれ持ったものの差は受け容れるしかないのかなぁ」

 そう言って寂しそうに笑う横顔を見て、哲而は息を吸い込むと、

「特訓だ!」

「はぇっ?」

 突然大声を出した哲而に、いづはは目を丸くした。

「二人で強くなろうぜ。俺とお前で特訓だ、修行だ!」

「え……えぇっ?!」

 哲而はいづはに向き直り、両肩に手を置く。いづはは困惑する。

「い、いいよぉ……特訓なんて。栄花くんに迷惑かけるだけだし……」

「まず苗字で呼ぶのやめてくれ。女みたいで好きじゃない。お前だって苗字で呼ばれたら姉さんと被って嫌だろう」

「はい? か、カッコイイ苗字だと思うけど、栄花って。えっと……それじゃ、哲而くん? いや、そんなことはどうでもよくて、お姉ちゃんにはどうやったって……」

「姉さんに全部おいしい所取られる人生でいいのかよ! 姉妹でハムエッグの黄身は半分こにできても幸せは半分こにできねーんだぞ!」

「なななんでそこでハムエッグ?!!」

 哲而に肩をガクガク揺すられまくっているので、いづはは目を回しながら混乱した言葉を発していた。

「このまま諦めていいのかよっ! くれは先輩を見返してやりたくねーのかよっ!」

「……でも……」

 オロオロナヨナヨとなおも決めかねている様子のいづはにじれったさを感じる。夕日の中、哲而の瞳は燃えていた。

「今日から俺たちは特訓仲間だ。やろうぜ、いづは。理想を叶えるのは才能でも能力でもない、努力だろ?」

「…………」

 いづはは途方に暮れているようだった。


***


 それからというもの、哲而はいづはと二人で特訓に励んだ。

 朝や部活終了後の時間を利用し、ランニングから打ち込みまで他の部員の倍の修練を重ねた。いづはは気が進まないようだったが、元々押しの弱い性格なせいか強く断ったりせず、哲而に連れられて毎日言われるがままに付き合っていた。

「……とにかくだ。能力使わなくても、全く勝ち目がねーってわけでもねえ」

 まだ誰も来ていない道場で、二人は床に紙を広げながら会議している。能力を使わずして能力使いをどう攻略するか、作戦も考えあった。あったといってもほとんど全部哲而が案を持ち寄っていたのだが、哲而は真剣に考えていた。

「能力は人によって千差万別だけど、剣道の戦術に使えるのっていうと結構限られてるもんだ。いくつかパターン分けができる。それぞれに対策すれば――」

「あれ。あんた達もう来てたの」

 哲而といづはは振り向く。女子部員の福之上先輩だった。竹刀袋などの剣道具と通学鞄を肩にしょっている。福之上はいづはを見る。

「あんた、能力もってんだ。いつも使わないからてっきり無能力者かと思ってたわよ」

 いづはは俯く。福之上は小ばかにするような態度を見せる。

「ていうか、能力ナシで勝つとか無理でしょ? あんた剣道辞めたほうがいいんじゃなーい?」

「…………っ」

 縮こまるいづはに、哲而は福之上の前に出る。

「そういう言い方はやめてくんないスかね」

「――二人で先に来て、特訓してたのか」

 福之上の背後から声がした。その姿を見て背中のいづはがますますに縮こまった。

 くれはだ。くれはは無表情に二人を見つめてきた。

「ああ。そっスけど」

 哲而はちょっと挑戦的に応えた。哲而とくれはは目を合わせる。哲而には、くれはが何を考えているのか読めなかった。基本この人は感情というものを表に出さない。鋭い目つきと相まって常に一定の近寄りがたさを醸し出している。

「そうか」

 それだけ言って、更衣室へ行ってしまった。

 後を追って福之上も去っていくと、哲而はいづはに振り向く。いづはは肩を落とし項垂れている。

「……私、やっぱ、いいよ。特訓」

「何でだよ。見返してやりたくないのかよ。努力すればいつか、くれは先輩にだって勝てるかもしれないだろ」

 哲而がそう言うと、いづははふるふると首を振った。

「無理だよ……。哲而くんだってわかってるでしょ? 他の子は万が一があったとしても、お姉ちゃんの“能力”にだけは、誰も勝てるわけがないって」

 哲而は言い返したかったが、自信をもって返せる言葉がなかった。

 着替えを終えたくれはが道場に戻って来るのを見ると、哲而は思い切り――くれはに駆け寄った。

「くれは先輩」

 素振りを始めようとしていたくれはは手を止める。こちらを見る。

 哲而は言った。

「今日の地稽古、俺と組んでやってもらえませんスかね」


 剣道の稽古には幾つか種類がある。

 一つは打ちこみ稽古。上級者と下級者が組み、上級者がわざと隙を作り打ちこませることで指導する稽古。

 一つは掛稽古。同じように下級者のみが一方的に攻めるが、上級者は隙を作らない稽古。

 そして地稽古は、上級者も下級者もない。区別をつけず、お互い本気で、全くの対等の立場で打ちこみあう。

 哲而とくれはが相対する様子に、左右で稽古を行う他の部員たちも好奇心を寄せていた。ヒソヒソと話し声が聞こえる。

「何で栄花の奴宮咲姉とやってんだ?」

「やめといた方がいいと思うけどねー。くれはの一撃くらうとキッツイよ。最近は皆あいつの相手するの嫌がるから、代わりに犠牲になってくれるのは嬉しいけどさぁ」

 いつも通りサボっている千葉先輩と藤元も興味深げに観戦している。こちらはヒソヒソどころか堂々と実況しだした。

「おい藤元、栄花が何本取れるか賭けようぜ」

「一本も取れずに終わるに賭けます」

 いづはも稽古の傍ら、横目で二人を伺っていた。

「…………」

 哲而は面金の向こうのくれはを見る。

 二本先取する、と哲而は決意していた。これは試合ではないが、試合と同じ三本勝負のつもりで挑む。

(見てろ、いづは。お前の姉さんにだって勝てないわけじゃないってこと、俺が証明してやる!)

 竹刀の先が触れ合い、正中線を取り合う。

 哲而が先に仕掛けた。

 くれはの右小手を狙って打つ。が、くれはは右手を外し、踏み込みながら左手のみで竹刀を振り、

「面ェエエンッ!」

 雷が落ちたような衝撃が哲而の頭を喰らった。

「が……ッ、」

 眩暈がした。そのまま倒れ込みそうになり、かろうじて姿勢を取り戻す。

「うおおっ、小手抜き片手左面!」

 千葉先輩が感心する声が聞こえた。「相変わらず凄ぇな……!」

(片手打ちでこの威力……!)

 並大抵の腕力でできる技ではない。女子で体格もそれほどないというのに、哲而自身の打ち込みより遥かに鋭く重かった。

 すぐにくれはは構えを取り直す。

「くっ……!」

 うろたえている暇はない。哲而は再び踏み込んで打つ。小手面、小手面胴と連続で叩きこむが何なく防がれる。くれはは涼しい顔のままだ。鍔迫り合いに持っていく。

 ……押せない。壁を相手にしているかのようにびくともしない。

 それもそのはず。それこそが、いづはの能力。

“相手の力量を自分に上乗せする能力”。

 名を――『登龍トウリュウ繚乱リョウラン』。

 鍔迫り合いをやめて距離を取ろうとする。そこに、引き胴が飛んでくる。

 寸前、くれはの竹刀が紅い炎のようなオーラを纏った。

「胴ォ!」

 空気を横断して裂く一閃。素早く後方に飛んだことで直撃を免れる。ヂッ!! と切っ先が胴の表面を掠り、剣尖が花火のような光る軌跡を描いた。

 足を床に着けて下がり、胴台を見る。表面の漆が焼け焦げて剥がれていた。熱で煙すらあがっている。

(おいおい、冗談じゃねーぞ……!)

 今のくれはは“哲而の腕力”プラス“自分自身の腕力”を持つ。どんなに強大な敵と相対しようと()()()()()()()()()()()()()()()()()

 加えて、哲而の腕力とは“哲而の最大攻撃力”を意味している。哲而が現時点で持つ最大ポテンシャルを発揮した一撃のことを定義する。

 つまりくれはの一振りは、哲而が声が枯れるほど大声を出し、フルパワーで発動したシュトゥルム&ドラングでの全力全開全速の突進力をもっての突きを越える威力――ということだ。

 この前くれはの稽古相手が面を打たれて気絶していたが、全く笑い飛ばせない。大砲を相手に戦っているかのようだ。くれはの攻撃力にはいろいろと眉つばものの伝説が噂されている。

 曰く、小手を打たれた相手が骨折したとか。

 曰く、もし真剣なら防具ごと人間を真っ二つにできるとか。

(ええい、ビビってられっか! やってやる――――!)

 お互いにじりじりと間合いを量る。やはり先に仕掛けたのは哲而だった。

「うおおらあああ!!」

 気迫に伴い、シュトゥルム&ドラングの光輪が背中に顕現する。

 ダン!! と床を踏んで竹刀をくれはの喉当てめがけて真っすぐ狙う。

 突きは面や小手と違って正面に相対した時の手首の動きが見え辛い、距離感が掴みにくいなどから、対処が難しい。だがくれはの対応は素早かった。即座に前方突き出してきた竹刀に対し、上から自分の竹刀で押さえてこようとする。

(だと……思ったぜ!)

 その瞬間手首を引き、いったん突き出した方向から狙いを戻すと、いづはの竹刀の裏刃側を抜けて奇襲を仕掛ける。その時になって光輪からエネルギーがジェット噴射された。

 ノズルの噴射炎が背中の空気を灼き、最大加速で突撃する。最初に発声した時に光輪が出現したが、スタンバイ状態のままにしておき噴射のタイミングをズラしたのだ。

 決まった、と思った。

 くれはが鍔で穂先を除け、逸らすまでは。

「ッ……!!」

 先端はくれはの肩に抜ける。竹刀を引っ込めようとするが突進から踏みとどまることは容易にできず、くれはが振りかぶってくるまでには充分すぎるほどの硬直時間だった。

 打たれた。物打がメリメリと右側頭部の面布団に食い込み、床に頭から叩きつけられ、さらに余る勢いで一度宙を跳ね、転がる。回転するうちに面が頭から外れ、最後には仰向けに倒れ込んだ哲而は視界に天井を見た。

 おおおお、と歓声が上がる。

「うわー、見た今の? あたしあんなの打たれたくないよ」

「今日も絶好調だなあ先輩」

 すっ、と哲而の前に影が差す。くれはが見下ろしている。きっと変わらずの無表情なのだろうが、哲而は目を逸らした。彼女の顔を見たくなかった。

 いづはの能力で上乗せされる“相手の力量”とは、実は腕力だけに留まらない。

()()()()()()”、すなわち反射神経そのもののスピードも相手以上となる。どれだけ虚を突こうとフェイントをかけようと、後出しで対応されてしまう。

 哲而は起き上がり、面を被り直す。上がる息を整えようとする。

 これが……宮咲くれは。昨年のインターハイ個人戦で優勝を果たした、時代最強と謳われる、宮咲流の剣豪。

 それから稽古の終了時間まで諦めず全力を尽くしたつもりだが、全く崩れてくれず、ついに一本も取ることができなかった。周囲は特に驚かない。くれはと戦う者はいつもこうなるからだ。ここ半年ほど、彼女が地稽古で一本取られた所を誰も見たことがないのだ。

(……それにしたって隙が無さすぎる。普通の人間なら疲労で集中が切れてミスることだってあるだろうに)

 部活終了の時間になり顧問が一同を集めて講義する中、座りながら哲而は考えていた。くれはは完璧すぎる。あまりにも完璧すぎて――正直、気持ち悪ささえ感じた。

 挨拶して皆が解散し、更衣室で着替えて道場を出ると、いづはが入口で待っていた。いづはは静かに微笑んでいた。

「やっぱり、お姉ちゃんに勝てる人なんていないんだよ」

「…………」

「あのね。私、お姉ちゃんを応援する妹でありたいの」

「えっ……」

 哲而が困惑する。いづはは穏やかな表情で続ける。

「私に剣道の才能がないことはわかってる。だから、それはもういい。悔しいとか、見返したいとか、そういうのはもういいの。今更私がお姉ちゃんみたくなれるわけないし、できもしない理想掲げてもショーガナイもん」

 いづはは明るい声のままに自分を否定する言葉を言ってみせる。哲而は沈黙する。

「だからね、お姉ちゃんをサポートする立場として生きていくよ。お姉ちゃんを無敵の剣士にする、それが私の望みでね、いいから、ね」

 浮かべたのは晴れやかな笑顔だった。

「私の分までお姉ちゃんが日本一になって、私の分までみんなに愛されて。私、報われるから」

「……本当にそれでいいのかよ」

「…………」

 いづはの笑顔が消えた。

「そういう大人ぶったこと言う奴、好きじゃないぜ、俺」

 いづはは何も答えなかった。


***


 休日練習が終日行われた放課後、夕日も暮れかける中、哲而は忘れ物を取りに道場へと引き返していた。道場からは竹刀を打ちおろす複数の音が聞こえる。

(まだ誰かが練習しているのか?)

 思いつつ中に入る。

 道場内は灯りもついていなかった。宵の口の弱い夕日が窓から先を僅かに照らす以外は、暗く視えない。影になった隅っこに何人も集まっているのが見えた。皆して竹刀を振っている。何かおかしい、と思った。

 電気くらい点ければ、と言おうと道場内に入る。

 彼らが竹刀を振り下ろす先に目を凝らしてみて、驚愕する。

 円陣を組んで素振りでもしているのかと思っていた。剣道部ではよく行われる練習だ。しかし彼らは道場の隅に向けて、奥のそれを囲みながら激しく無秩序に竹刀を打ちおろしていた。打たれているのは人だ。

 リンチだ。

 床に倒れこみながら頭を庇おうとしている。髪が見える。囲んでいる側の奴らは全身に防具だが、やられてる側は面だけ着けていず、やられっぱなしだ。

「お……おいっ、何やってんだ!」

 仰天した哲而は駆け寄る。加害側の集団は見向きもしない。一人の肩を掴むが反応すらしてこない。無言で一心不乱に、その誰かを痛めつけている。

「やめろ! やめろってんだろくそっ、ふざけんじゃねーぞ!」

 とにかく哲而はリンチされてる者を助けようと、無理やり体をねじ込んで人垣を割った。被害者に近寄り助け起こそうとする。なおも衝撃を受けた。

「くれは……先輩……?!」

 紛れもなくくれはだ。痛めつけられていたのはくれはだった。顔のあちこちが腫れあがり、傷だらけの血だらけだ。こんな酷い有様のくれはなど普段からは想像もできなかったし、信じられなかった。

 振り返る。

「こんな酷でーこと……! 何てことしやがんだよっ!」

 言いながら防具の垂ネームと面金から覗く顔を見て背筋が冷たくなっていく。剣道部員の半数がそこにいた。男子も女子もいる。哲而が個人的に尊敬している先輩の姿も何人かあった。

 そんな。こんなの、何かの間違いだ。

「どうして……みんな……先輩方も、どうしてくれは先輩にこんなことすんですか! 冗談じゃ済まされないっスよ! ……ちょっと! 聞いてるんスか?! ……?」

 なおもだんまりで通す集団に、ショック以上に怒りと苛立ちを感じ始めた哲而は、しかし――

 いや――何だこれは。

 彼らは一言も喋らない。くれはを痛めつけている間も、哲而が割りこんできた今も、弁解どころか反応すらしない。竹刀を振るのをやめた今は二人を囲んでただじっとそこに佇んでいる。十何人もの防具に身を包んだ生徒が、誰ひとり何も言わずに黙っている。

 異常だ。ここは異常な空間だ。ゾッとした。部員たちの目には生気がない。哲而の存在に興味を持っていない。まるでゾンビのような……

「あ、あの……何とか、言ったらどうなんスか……?!」


「あら。誰かと思えば」


 部員たちの群れの向こうから声が聞こえた。哲而は――その声に聞き覚えがあった。

 部員がスッと横に退き人垣が割れる。暗い道場の向こうにシルエットが見える。そのシルエットに見覚えがあった。

 あったが受け容れられなかった。直観的に浮かんだそんな酷い予想が現実のものだなんて、とても思いたくなかった。

 こちらに歩いてくる。窓の夕日が照らす中に入り、顔が照らされる。

「…………、いづ……は」

 哲而の知っているいづはは弱気で、いつもオロオロしてて頼りない女の子だった。目の前のいづはは竹刀を肩に担ぎ不敵に笑い、冷たい瞳で見てきていた。

 思わずよろめき、一歩下がる。

「これは何の真似だよ……?」

「何って。特訓だよ」いづははにっこり笑顔になって答えた。「愛すべきお姉ちゃんのために妹が有志を募って開催した、剣道部のシゴキってヤツだよ」

「! お前が仕組んだってのか……これを?!」

 背後のくれはを見る。ぐったりしている。意識を失っているようだ。次に周囲の部員たちを見る。

「みんなどうして反応し――?」

「私の能力は剣道向きじゃない、って言ったよね」

 その言葉でいづはに向き直る。哲而はいづはを凝視し、歯を食いしばる。

 そうだ……確かにそう言った。つまり、こういうことなのか。そういう能力なのか。

 ショックで真っ白になりそうな頭を落ち着かせ、一歩詰め寄る。

「なんだってこんなことをした! 実の姉に向かってッ! お前にとってのくれは先輩の才能は確かにそういうのだったかもしれないさ……嫉妬とか! だからって、ここまでする必要ねーだろッ!」

「勘違いしてもらっちゃ困るよ。私はお姉ちゃんに復讐したいわけじゃないの」

 いづはは担いだ竹刀で肩をトントン叩きながら、のんびりと語る。

「これも前言ったよね。お姉ちゃんを応援する妹でありたいって。お姉ちゃんが剣道やめたがってたって知ってた?」

 哲而は驚く。

「し……知るわけないだろ。先輩が剣道を……? 冗談だろ、いつもあんな優秀なのに……」

「そう――優秀」

 いづはが目を細め、歯軋りする時のように口元を歪める。ドロドロと溜まった憎しみを顔全体で現したかのような表情だった。

「優秀。優秀。お姉ちゃんはいつも優秀。私はいつもダメな子。私だって剣道が好きだった。大会でいい成績取って、お父さんやお母さんやみんなに褒められたかった。いつかお姉ちゃんに勝って、追い越してみせるのが私の夢だった。でも才能の差は歴然」

 いづはは竹刀を肩から下ろし、項垂れる。

「だからね……決めたんだ。お姉ちゃんに私の夢を託すって。私のぶんまで勝って、私のぶんまで日本一の剣士になって、私のぶんまで愛されて。それで私は報われる。それが……それがさ、お姉ちゃんがさ、去年の暮れに何て言ったと思う? “他に集中したいことがあるから剣道やめたい”だって」

 ドン!! いづはは竹刀の先端を床に打ちつけた。

「ざッ――けんじゃねェって話よ! やめる? ねぇ? そんなことが許されると思うの?」

 力一杯、憤怒の形相で、何度も何度も打ちつけた。

「私より才能あったくせに、いつも私が影でお姉ちゃんが光を奪ってたくせに、だったらずっと剣道で頂点に立っててよって話よ! お姉ちゃんにはねえ! 私のぶんまで剣道を続ける義務があるのッ! あるったらあんのよ途中で放り出すのは責任逃れよ認めない認めない認めない!」

 竹刀で床を打つのを唐突にやめる。

「つーわけで」

 先ほどの激昂が嘘のように静まり、いづはは顔を上げる。

「ナメクサッタことを言いやがるお姉ちゃんを矯正してあげてるのよ。ここ最近は大人しかったのにまぁた辞めたい言い出したんだから」

「ま、またって……何度もこんなことやってんのかよ……!」

 哲而は部活中のくれはの姿を思い出す。そんな素振りはまるで見せなかった……ように思う。少なくとも哲而は気付かなかった。

 周囲の物言わぬ部員を見る。彼らもまた、リンチの加害者にされてることに気付いていないのだろう。能力で操られてた間何をしていたか記憶も残っていないに違いない。

 そういう手口でやってきたのか。哲而は拳を握りしめる。

「……くれは先輩が辞めたいってんなら、辞めさせてやるべきじゃねーのかよ。本人がどうしてもやりたくねぇってんなら、その意思を汲んでやんのが、本当の家族の思いやりって奴じゃねーの?!」

「知らないよそんなの」

「はっ?」

「だから。()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんて関係ないの。私のために続けてもらわなくちゃならないの。それが私に十六年分の劣等感を抱かせた罪への当然の償いなのよ!」

 絶句する。

「……本気で、言ってんのかよ、この野郎ッ……」

 哲而はいづはを不憫な環境に置かれた子だとは思っていた。少し気が弱いけれど落ち込んだりせずに、健気に自分の剣道を磨いていけるようになってほしいと思ったから、一緒に特訓しようと誘ったのだ。

 だが姉への感情がここまで歪んでいたとは、思いもしなかった。

 救いようがない。

「さ、わかったらそこどいてよ。これから一時間スペシャルコースなんだから。お姉ちゃんが私の“剣道だーいすきなお姉ちゃん”に戻ってくれるまで矯正なんだから」

「…………、……わかった」

 哲而は、肩にかけたスクールバッグを背負い直し、

 いづはに向けて投げた。

 操られた剣道部員たちが盾となって防ぐ。竹刀袋から素早く竹刀を取り出した時には、剣道部員たちは全員哲而に敵対の姿勢を見せていた。彼らの瞳に明確な殺意が宿り、ギラッ! と光ったような気さえした。

 哲而は正眼に構え、いづはに激情を込めた視線をぶつける。

「見過ごせるわけねえだろうが……! その腐った根性ッ、叩き直してやらぁ!」

「やっちゃって」

 いづはがパチン!と指を鳴らした。


 十数名の部員たちが哲而に向けて竹刀を振りかぶる。

「ガァアアア!!」

「オオオアァア!!」

 低く、飢えた獣のような怖ろしげな声で気勢を発してくる。剣道部の活動中は誰もこんな声は出さない。本当にゾンビのようだった。

 左に避けると振られた複数の竹刀が床に叩きつけられパパパン!! と音が響いた。いづはの元へ向かおうとするが、またも包囲される。部員たちは連携よく動き、簡単にはいづはの所へ辿り着かせてもらえそうになかった。

(チッ! みんな全身防具で固めてるからどうせ胴も面も大して効果ねえな。しかもこっちは制服……!)

 いづはだけはくれは同様に面だけ着けていないが――。

「あはっ! これだけの剣道部員相手に勝負挑むなんて、哲而くんってアレだよね、無鉄砲? 向こう見ず? つーかバカジャネーノ、きゃっはははははっ!」

 顔を歪ませながら笑ういづはに、哲而は歯噛みする。

 あんな顔をするいづはなんて見たくなかった。こんなのがいづはの本性だなんて、認めたくなかった。

(ちくしょう……! 救いようのない奴だってんなら、救ってやれるよう、荒療治っきゃねえだろうがッ!)

 ともかく、向こうと違い哲而は胴や面を喰らっただけでも怯んでしまう。その隙に囲まれて波状攻撃を仕掛けられたら一気に詰みだ。

(手加減してたらこっちがやられる。すんません先輩方!)

 哲而は接近してきた部員の一人の喉当てに竹刀を向けて狙いを定める。左足で床を蹴って踏み込み、

「うおらあああッ!!」

 カッ!! と金色の光輪が眩く瞬いて背に出現。発声に呼応して推進エネルギーが生み出され、光輪からジェット噴射した勢いで超加速、真っすぐ喉当てを打ち抜く。

「ガッ……!!」

 部員が吹き飛ぶ。

 別の部員が立ちはだかる。垂ネームに『千葉』とある。千葉先輩だ。

 操られた千葉は腕を振り上げると、面金の上で構えを取る。

“上段の構え”――左諸手上段。

(! 千葉先輩の得意の構え……つーことは、来る、あの技が!)

「ゴァアア!!」

 千葉が踏み込みながら竹刀を振り下ろしてくる。

 受け止めた哲而だったが、強い衝撃に構えを崩されそうになる。畳みかけるように再び面が飛んでくる。

「ぐっ……、」

 重い。防ぐのがやっとだ。次から次へと連続技が来る。背後にじりじり下がっていく。なかなか反撃に移れないでいる。

「千葉先輩の『トールハンマー』は、竹刀の重量を変化させる能力」

 部員たちの群れの向こうで、いづはが得意げに喋るのが聞こえた。

「振り下ろす動作の間、瞬間的に重くすることで剣圧を増している。単純だけど、それ故にキョーリョクだよね?」

 本当に鉄槌を受け止めているかのようだった。両手で竹刀を支えて何とか堪えている。しかし、そうすることで周囲に迫ってくる他部員たちから隙だらけになってしまう。

 竹刀の先を千葉に向け直す。

 正確には千葉の左小手に向ける。上段は攻撃力の高い構えだが、反面防御は薄くなる。諸手を上げているため、小手は上段の弱点の一つだ。

「ちぇええッ!」

 思い切って踏み込み、小手を狙いに行く。千葉は手首を上げて太刀を避けつつ、渾身の面を決めに行こうとする。

 しかし、哲而はそれを読んでいた。竹刀を握る諸手から右手のみを外し、狙いを千葉の頭上の小手から、首元の喉垂れへと変える。

 片手突き!

「ずりゃああッ!!」

 金色の光輪が出現し、加速した。びゅあっ! と空気を裂く唸りを上げて突き出された小手外し片手突きが猛然と進攻、喉に命中、千葉は後方へ倒れる。

「よし――!」

 足元に違和感を感じた。

 水だ。足を浸すくらいの水が流れている。気付けば道場の床全体が床上浸水状態で、渦潮のように水流が巻く中心に一人の女子部員の姿があった。

 村山先輩の『懸花ケンガ流水リュウスイ』、水流操作能力のひとつだ。

 他の部員たちが包囲を仕掛けてくる。哲而も部員たちもバシャバシャ水を跳ねながら移動するが、

「ちっ、足を取られて……!」

 水流は哲而の進行方向に逆らうかのような流れ方をしてくる。対する部員たちは水流を苦にもしていない。否、よく見ると水が彼らの進行方向を助けるように動いている。

「剣道において“足捌き”は竹刀の振りと同じかそれ以上に重要。どんなに強い剣士でも、足場が不利じゃあひとたまりもない」

 遠くのいづはに解説されなくともそんなことは承知している。村山先輩は試合場を水で浸すことで自分に有利なフィールドを作って立ち回ることで有名だった。

(くそっ、あんたがこの能力使うたびに俺ら一年の床磨き労働が増えるんスよ、村山先輩っ!)

 もつれそうになる足を堪えながら迫る部員に竹刀を構えようとして、突然の引力に手首が引っ張られる。

 竹刀が引っ張られている。原因を探ろうと視線を動かすと、正面の藤元が自分の竹刀を哲而の竹刀に密着させている。

 藤元の竹刀には幾つもの鉄鎖が架けてあり、その鎖がガッツリと刀身に絡みついてきていた。引き離そうとするがあまりに複雑に縛られていて容易に離せない。竹刀と竹刀が結び付けられてしまっている。

 その隙に引っ張られ、竹刀が哲而の手元から抜けてしまう。奪われた。

 藤元は巻き技――巻き上げ技の戦術に能力を活用している。剣道には巻き技という相手の竹刀を弾き飛ばす高等技術が存在する。手首の柔軟な動きと強い腕力がなければ成立しない難しい技なのだが、藤元の“相手の竹刀に喰らい付く”能力があればその手間は要らない。

 ただ竹刀と竹刀を打ちあわせるだけで鎖が自動で絡みついて互いを拘束し、容易には引き離せない。あとは獲物を大顎で噛み千切る猛獣のように、力任せに巻き上げるだけだ。

『ビーストバイト』。試合では竹刀を落とすと反則一回、二回で一本を取られるため、相手を二回×二本の反則負けにさせて勝利するのが藤元の戦術だった。

 丸腰にされた哲而は後退しようとするが水流の前に足がおぼつかない。と、群れの中から一人が空中へ飛び上がる。鴉の翼を背に生やした部員が襲来する。

「! 羽賀ッ……!」

 他の部員たちの太刀ばかり見ていた哲而は避けきれなかった。頭部の右眉あたりに物打部が直撃する。防具なしで受ける太刀に激痛が走る。

 構えを崩された哲而は次から次へと波状攻撃を浴び、一方的な嬲りに遭う。

 しまいに壁際に叩きつけられ、ズルズルと力なく座りこんだ。

「ふん。バカなヤツ。あんたの特訓に付き合わされたここ最近のカッタルイったら」

 いづはが出てきて見下ろし、吐き捨てる。

「私はね、お姉ちゃんの才能が妬ましいからって、落ちぶれてきてほしいなんてバカなことは願わないの。お姉ちゃんはお姉ちゃんとして完成しててくれればいい。天才なら天才らしく無敵に完璧に、誰も追いつけない所に君臨しててほしいだけ。才能のある人はその才能をふさわしい場所で発揮する義務があるの! 自分で可能性を捨ててしまうのは、才能が欲しくても無かった人に対する冒涜なのよ!」

「……くれは先輩は……」

 哲而は力を振り絞り、顔を上げる。

「くれは先輩は、お前の操り人形じゃねえだろ!」

「操り人形ですとも」いづははさらりと言ってのけた。「天才は凡人に()()()()()()()()()()()をされるのだから」

 ガシッ、と両脇を部員二人に掴まれる。哲而はもがくが、頭を押さえつけられ水浸しの床に倒される。顔を上げようと首を動かす。

「この場のことをバラされて部活停止にでもされたら、お姉ちゃんの完璧な剣道人生が台無しにされちゃうんだよね。だから」

 いづはがゆっくりと接近してくる。

「あんたも私のドレイにしてあげる」

 哲而の目の前でしゃがみこみ、いづはは手を伸ばす。開くと掌には不気味な目の紋様が赤く光っていた。

 あれに触れたらおそらく他の部員たちと同じ状態にされる。哲而は拘束から抜け出そうと抵抗しながら、迫ってくる目の紋様を睨みつけ続けた。


 パン!! という鋭い音がして。

 水を跳ねながら誰かの足が駆けつけてきた。水飛沫を浴びてしばし怯んだ哲而は何が起こったのか、目を瞬いて状況を確認しようとする。踵が見え、上に袴が見え、さらに見上げると見覚えのある後ろ髪が見える。

 くれははいづはが哲而の額に触れようとする瞬間、彼女に小手の一撃をお見まいしていた。

「くれは先輩……!」

「ツッ……」

 いづはは片手を押さえて後退する。

「くっ、ははっ。お姉ちゃんか。やっとお目覚め?」

「お前の“特訓”の相手は私のはずだ」

 くれはは真正面からいづはを見据える。顔のあちこちに怪我を負ってなお、瞳だけは凛とした鋭利さを失っていなかった。

「……じゃあ、答えてよお姉ちゃん。お姉ちゃんは“私のお姉ちゃん”だよね? ……剣道だァいすきで、妹の想いのぶんまでこれからも続けてくれる、辞めたいとかホザカナイ、私の強くて格好いい素敵なお姉ちゃんだよね……?」

 いづはの問う声は怖ろしげで、いくぶんかの狂気をはらんだ凄みがあった。くれはは目を閉じ、開いて、答える。

「いや。私は剣道を辞めるよ」

 いづはが顔を歪ませる。部員たちがくれはに向けて一斉に構えを取る。

「はぁ~~ァあっ? 私の聞きたい答えじゃないなぁッ!」

「もう終わりにしよう、いづは。こんな風にみんなを操るのはやめてくれ。辞めたいんだ。今度という今度は答えをうやむやにしない」

「そんなコト言うお姉ちゃんは私のお姉ちゃんじゃないっ!」

 いづはが叫ぶ。

「無責任だよ、お姉ちゃんはっ!」

「わかっているさ。私にはどうしても剣道以外にやりたいことがあるんだ。私は私のやりたいことをやる。だからお前も私にこだわるのはやめて、いづはのやりたいことをやればいい。剣道で強くなり皆に認めてもらいたいというお前の理想は、」

 くれははそこで言葉を切り、言った。

「私に託すな。お前自身が目指せばいい」

 いづはが動きを止めた。否――、ビクッ、と怯んだように見えた。

「本当は諦めたくないんだろう? だから栄花に特訓を持ちかけられた時、断り切れなかったんだろう?」

 そう――

 いづはは哲而との特訓に消極的だったが、強い意思で拒んでもいなかった。

 能力が剣道向きじゃなくとも、決して剣道を辞めなかった。

 自分が強くなることを諦めたように言っていても、それでいいのか、という問いに、答えられなかった。

 くれはの表情が変化する。憎しみと憤りと、それから何か、別の感情が混じったものに変化していた。

「それが……できないからッ、だから!」

「できないかはいづは次第だ。強くなれ、いづは。その夢は、私でなく、自分で」

「黙れッ!」いづはがくれはの言葉を遮る。「黙れ黙れッ、黙れッ! わかったような口を利くなッ! 天才のお姉ちゃんに言われたって上から目線のムカツク物言いでしかないのよ!」

「だったら……俺も言ってやる」

 哲而が竹刀を杖にして立ち上がる。

「お前はくれは先輩に、自分の理想を押しつけてるだけだ! お前の夢はお前だけのものだろうが! 自分の夢を追うんだ、俺はそういういづはを応援したくて特訓に誘ったんだ!」

「知ったこっちゃないよ……! バカみたい……! バカみたい……!」

 よろめいていたいづはは指を鳴らし、部員たちがくれはと哲而に向けて襲いかかってくる。

「栄花。加勢してくれるか?」

「当たり前っスよ、……先輩!」

 くれはは恐るべき速さで動きだした。一気に間合いを詰めると三、四人まとめて、瞬きほどのうちに凪ぎ払う。

 哲而は襲いかかってきた部員の太刀を正面から見据える。太刀を見切り、両手で受け止める。部員は抵抗するが引っ張って強引に奪い取った。

 得物を取り戻した哲而だったが、四方八方から敵が迫ってくる。

「でやああっ!」

 その足元が、ボッ! と点火して、光の環状のノズルよりジェットの噴流を起こし、上空へ一気に飛び上がる。そこから見渡して、見つけた。村山先輩、水流を作り出した張本人が見上げている。

 足場がダメなら上からだ。

「だあああっ!」

 空中で再度発声し、エネルギー噴射する。空中のホバリングで体勢を立て直し、竹刀の先端の照準を村山に合わせる。両手で竹刀を掴み、剣ではなく槍のような持ち方に変える。

「ぜいやああああっ!!」

 もう一度の発声に光輪が強烈な燃焼音で応えた。流星となって村山に向け、真っすぐ飛んでいく。村山の喉当てを貫き、水をウォーターコースター並に激しく割りながら着地した。

 遠くでくれはが敵を捌きながら呼びかけてきた。

「上出来だ、栄花!」

「モーゼと呼んでくださいよ!」

 反撃してくる周囲の部員たちをいなしながら、振り返りくれはの方の状況を確認する。藤元がくれはに迫るのを見、哲而は声を張り上げる。

「先輩気をつけて! 竹刀を奪われるっスよ!」

「ふむ」

 言うや否や、藤元が竹刀に竹刀を合わせた瞬間鎖が動きだし、くれはの竹刀に絡み、ガキッ! と食い付いた。そのまま引っ張ろうとする。くれはは顔色ひとつ変えない。

「栄花。私の能力を忘れてはいないか。この状況は私にとって、何の危機にも成り得ない」

 そう言うと水の張る床を踏みしめ、引っ張られそうになる竹刀を手元に引き寄せる。藤元は抵抗を見せたが、ぐいっ! と強い引き込みにあっさり力負けし、逆に自分の竹刀が鎖を介して引っ張られた。重心を崩された藤元を見るやいなや、くれはは肩に担ぎ――

「はああッ!!」

 裂帛の気合と共に藤元が竹刀ごと持ち上げられ、半円を描いて宙に浮いた。頭から床に水を跳ねながら落下、叩きつけられる。

「覚えておくといい。私の“登龍繚乱”の前に、パワーマッチは考えぬことだ」

 くれはの言葉に栄花も納得する。藤元がどれだけ腕力に自信があろうと、くれはの能力なら負けることはないのだ。

 くれはは鎖で結びついた二本の竹刀を、これまた鎖自体を力任せに引きちぎってしまった。

 いづはは苛立っている様子だった。

「……さすがだねお姉ちゃん。でも、福之上先輩が相手ならどうかな……?」

 言葉の通りに福之上がくれはに接近する。くれはが竹刀を構えた。

 正面の福之上先輩が、複数人に分裂した。

「!!」

「分身能力『不知火シラヌイ』っ!」他の敵を相手取っていた哲而も目を見開く。

「あはっ! お姉ちゃんにどれだけ反射神経と腕力があろうと! 敵を見定められなければ関係ないでしょっ!」

 八人に分身した福之上がくれはを囲み、一斉に竹刀を振りかぶってくる。

「ふむ。確かにこの状況では、私の能力は役に立たんな」

 くれはは落ち着き払っていた。

「役立たせる必要もない。簡単な小細工で充分だ」

 その場で一回転し、()()()()()()()()()()()()()。水飛沫が分身たちに飛んでいく。

 哲而も理解する。飛沫が分身を通り抜けるが、一体だけ体の表面に跳ねた者がいた。見極めた本体が振りかぶってきた竹刀を打ち返すと、くれはの竹刀が紅の炎を帯びる。

「ンめああああッ!!」

 すり上げ面が叩きこまれた一瞬、太刀が纏う炎、その火の粉が、桜の花びらの形に変化して舞い、紅蓮の花が咲いたかのような美しい軌跡を描いた。

 福之上は床に叩きつけられてからバウンドして吹っ飛んだ。一度それを体験している哲而は密かに同情する。

 各個撃破しながら二人は再び合流する。

 背中合わせで竹刀を構える。

「相変わらずくれは先輩は最強っスねえ!」

「フッ、栄花、お前もなかなか筋がいいじゃないか。この前の稽古の太刀には冷や汗をかかされたぞ」

「おぉっ、先輩笑ってるじゃないスか? 笑うんスね!」 

「失礼な。私も笑いたい時には笑うぞ」

「もっと普段から人並みに笑ったほうがいいスよ。笑ったほうが断然かわいいし!」

「はは。まったく、戯言の多い奴だ!」

 大勢の敵に囲まれながらも縦横無尽に飛び回り、打ち、舞い、捌き。

 二人は笑っていた。

 いづははそんな光景を見て、さらに怒りで顔を歪ませる。

「何やってんの私のドレイ共ッ! さっさとやっちゃってよ!」

 くれはは迫る部員の太刀をゆうゆうと弾く。

「面ッ!!」

 鋭く決まった正面打ちで部員が床にめり込みドゴッ!! と板張りの床が砕ける。続いて襲いかかる部員の太刀を避けると抜き胴を決める。

「胴ォ!!」

 部員はジャストミートの打球ばりに打突部位から打ち上げられ、錐もみしながら直線に道場を飛び、窓ガラスを突き破って外へと放り出される。

 総出で囲もうとする部員たち。哲而といづははお互いの立ち位置を素早く入れ替えながら、太刀を振るう。

 黄金の光線と紅蓮の軌跡が飛び交う中、二人は踊るように戦っていた。


「――さて。後はいづは、お前だけだな」

 哲而が竹刀の先端を向ける。いづはが操っていた部員たちは全員倒れ伏していた。彼女を守る者はもう誰もいない。

 いづはは哄笑をあげた。

「無理だよ。お姉ちゃんは勝てない。お姉ちゃんは絶対、私に勝てない」

「どうかな」くれはが無表情に言う。

 哲而は訝しむ。

(なんだこいつ……突然? あれだけ自分から姉には敵わないと認めといて、急に言を翻しやがった……?)

 奇妙な発言だった。この状況で、勝利を確信している。

「……相談があるのだが」

 くれはが哲而に近寄り声をひそめてきた。

「手は出さないでくれないか。私が一対一で決着をつける」

「大丈夫なのか?」

「ああ」

 くれはが前に出るのを、哲而は静かに見守った。

「コソコソ何の話?」

「さてな。……いづは。もう私を解放してくれないか。そして、もう気付いてくれないか。私は剣道を辞めるが、お前を嫌いになったわけではないし、お前を見下したことなど、ただの一度もないということに」

「そんなの関係ないよ!!」

 いづはは激しく声を荒げ断言する。

「宮咲くれははもう、お前の理想であり続けることはできないんだよ。私はお前が望むほど、完璧な姉じゃないんだ」

「そんなの認めない! いっつも比べられて育った私の気持ちはどうなるの?! 劣等感に苛まれて生きてきた私はどうなるの?! お姉ちゃんのせいで犠牲になった私の16年間に、どう責任を取ってくれるって言うのよぉおおッ!!!」

「俺がいる。部のみんなもいる」哲而がくれはの背後で言った。「くれはがいなくなった後のお前の、お前だけの生き方を、俺は全力で応援してやる。特訓仲間だからな」

 哲而は言った。

「理想は他人に押し付けるものじゃない。自分で叶えるものなんだぜ」

 いづはは怒りで震えていた。手元の竹刀を握りしめる。

「お姉ちゃんは私に勝てないよ! 勝てないんだよ! 私の能力――“アイドレイタ”がある限りねッ!」

 床を蹴って飛び込み、竹刀を振り上げ、まっすぐくれはの頭を狙ってきた。

「うああああああああああああッ!!!」

 その一撃は――


 くれはに直撃し、竹刀が左側頭を勢いよく打った。


「なッ……?!」

 哲而は目を疑った。くれははそのまま横ざまに倒れこむ。

 登龍繚乱によっていづはの最高反射神経速度を上回るはずのくれはは、太刀を完全に見切ったはずだ。打ち返すなりすり上げるなり、外すなり胴を狙うなりできたはずなのに、何もできず直撃だなんて。

 だが、いづはの動揺は哲而の比ではなかった。自分のしたことが信じられない、という顔をしていた。

 いづはは着地して、倒れたくれはを見下ろし、瞳孔を震わせる。

「う……そっ、なんで」

 哲而はいづはの挙動の不審さを感じ取る。

「おい、いづは――?」

 かけた声が言い終わるか終わらないかのうちに、いづはが頭を抱えたかと思うと、

 バチッ!!

 と電撃のような光がいづはの頭部で弾けたように見えた。いづはは糸の切れた人形のように仰向けに倒れ込み、動かなくなった。

 呆然とする。

「何が……起きたんだ……?」

 哲而は迷ったが、先にくれはの安否を確認することにする。

「くれは先輩! 大丈夫っスか?!」

「……なんとかな」

 くれはが体を起こす。肩を支える哲而。いづはに打たれた箇所のみならず肌のあちこちが腫れている。

 助け起こしたまま視線を動かし、倒れたいづはを見る。

「どうしていづはは……?」

「“他人に理想像を押しつける”」

 哲而はくれはを見つめ返す。

「それがいづはの固有能力、アイドレイタだ」

「理想像を……押しつける……?」

 くれはは周りに累々倒れる部員たちを見回す。

「いづはは皆に“自分の奴隷になってほしい”という理想像を押しつけた。だから、ああした操り人形になった。そして私には“完璧な姉であってほしい”という理想像を押しつけていたのだ」

「完璧……って」

 ハッと哲而は気付く。

「そうか……先輩も人間だから、普通ならミスもする。でも先輩のそういう一面は全く見たことがなかった。それは……」

「私の実力だけではない。いづはが私を“完璧”に仕立て上げ、無敗であり続けることを強要したんだ。運命係数を編集し、気のたるみや偶然で敗北してしまう可能性を潰す。アイドレイタという能力はそういう力を持つ」

 ここ最近の先輩の快進撃ぶりはそのせいもあったのか、と哲而は納得した。いくら何でも人間技じゃないとは思ったが。

「だから――“完璧であるはずの姉”を妹が倒してしまった時点で、“完璧”ではなくなった……」

「そうだ。いづはは最後の手段として、自分が私に倒されることで、理想像を完成させようとしたのだろうがな。能力が破綻し、いづはが望んだ理想の姉のイメージは崩壊した。そのショックで――」

 くれはは哲而の肩を借りながら立ち上がり、いづはを二人で見つめる。

「決着はついたな。いづは、お前の言う通り――お前の勝ちだ」

 奴隷にされていた部員たちがだんだんと意識を取り戻しはじめていた。

 こうして剣道部の闇に潜んでいた悪習は消え去った。代償に、ある姉妹の絆の終焉を以って。




 放課後、哲而はいつもの慣習で道場に足を運んでいる。竹刀袋と吊り下げた防具袋を肩に校舎廊下を歩んでいると、前方に見覚えのある姿が見えた。

「くれは先ぱ――」

 声をかけようとして。

 くれはが廊下に置かれていたダンボールに躓いて、バランスを崩して、びたんッ、と見事に頭から転んだ有様に、思わず目を丸くしてしまった。

「けっ、怪我はないんスか?!」

「……ああ……、栄花か。いや、問題ない」

 くれはが立ち上がりながら返事をする。痛そうに膝とおでこをさする姿は、武道の達人で寡黙なくれはのイメージとあまりに不釣り合いだった。

「先輩も転ぶんスねえ」

「失礼な。私も転ぶ時には転ぶぞ。大体みんな、私をクールビューティな完璧超人だと勝手に勘違いしているんだ。本当はけっこうドジっ子なんだからな」

「それは……萌えですね」

「知らん」

 頬を膨らませるくれはは哲而にとって新鮮で、萌えはともかく、いづはの影響力が大きかったことを思い知らされた。

 誰だってドジの一つや二つ踏むこともあるだろう。アイドレイタの支配下に置かれてからは補正がかかり、何ひとつミスをしない完璧な人間にさせてしまっていたのだ。あの能力が。

「いづはは今頃道場で素振りに打ち込んでいると思います」

「そうだな……」

 姉への理想像が崩壊したいづはは他人に縋ることをやめ、自分が強くなることを目指し始めた。一意専心修練に励んでいる。誰かに構う余裕も惜しいといった感じで、オロオロもナヨナヨももうしなくなっている。

 操られていた部員たちもあの日のことは覚えていない。意識を取り戻した直後も皆ボンヤリしていて、そのまま家に帰した。

「気になったんですが、どうしていづはは先輩に“奴隷の理想像”を押しつけなかったんでしょうね。他のみんなと同じく操っておけば、剣道辞めたいって言い出されることもなかったじゃないですか」

「いづはの能力には制約があるのだろうな。“奴隷の理想像”は命令を聞かせるだけだが、“完璧な姉の理想像”は現象の確率をも編集してしまうだろう? 一口に理想像を押しつけるといってもパターンが異なるのだ。おそらく一人に押しつけられる理想像は一種で、“命令を聞かせる”系と“確率編集”系は同時に実行できないのだろう。私を操りつつ完璧超人に仕立て上げることはできなかったということだ」

「なるほど。一つしか理想像を押しつけられないなら、先輩に言うこと聞かせるよりも、やたら転んだりする間抜けなドジ属性を消すことのほうを優先したってわけスね」

「さりげなく私をバカにしてないか? 私の中身は繊細な乙女なんだぞ。傷ついたぞ。けっこう傷ついたぞ今の」

「あ、あー、もう一つ質問なんスけど、なんで先輩は最初ボコボコにされてたんスか? アイドレイタで無敗剣士の理想像を押しつけられてたなら、あれって負けに該当しないんスか?」

「リンチの時だけは能力補正を解除されていた。いづはの主観からすれば“剣道だーいすきなお姉ちゃん”に戻ってくれるまでの私は間違った存在だから、その時だけは負けていても良かったのだろうな。というかそんなことはどうでもいい。私は傷ついたと言っているんだ」

「今日はいい天気っスねー」

 隣で足並みを揃えながらジト目でズイズイ詰め寄ってくるくれはに対し、無視を決め込む哲而は早足で距離を取ろうとする。くれはも追いついてくる。押し合いへし合いながらツカツカと早足で廊下を進む二人に、道行く生徒たちは奇異なものを見る視線を投射していた。

 ひと段落して普通の歩行スピードに戻った二人は、ようやく落ち着いての話に戻る。

「これ。今から出しに行くところでな」

 退部届、と書かれた紙を手に持っている。

「……本当に辞めるんですね」

「まあな」

「教えてもらっていいスか。先輩、剣道辞めて何やりたいんですか」

 くれはは少し間を空けて口を開いた。

「漫画家になりたいんだ」

「漫画……ですか? 先輩が? はー、また意外ですね」

「投稿作が賞を取ってな。卒業したら上京して、大学通いながらアシスタントやろうと思う。親に猛反対されて、勘当もされそうだが。描きたいんだ、漫画。どうしてもな」

 窓の外で風に揺れる木の葉を見、くれはは言った。

 その顔は、自らの理想を追いかける情熱に満ちていた。

「そうスか……」

 再び歩き出したくれはを追いながら哲而は返事する。

「けど、なら今剣道部やめなくてもいいじゃないスか。卒業してからでいいんでしょう?」

「絵の練習したいし受験もあるし――剣道なら剣道だけを、漫画なら漫画だけを。一つのことに集中したいんだ。中途半端になってしまうのは嫌なんだよ」

 くれはは空いてる窓の傍まで来ると、桟に肘をかけ、外の景色を眺めはじめた。その傍で壁に寄りかかりながら、哲而は考える。

 …………先輩の決めたことなのだから、自分が口出していい領分なのかはわからない。今から自分が言うことが正しいという自信も持てない。

 それでも意を決し、口を開いた。

「先輩。それはちょっと違うんじゃないスかね」

「……どうしてかな?」

「先輩って要するに、両立させる自信がないんじゃないスか。漫画のために剣道辞める、って、そりゃ先輩にとってはケジメのつもりかもしれないけど、剣道やってる先輩を応援してた人は残念がるし、いづはみたいに傷つく奴だっていますよ。先輩を慕っていた人たちを、もうちょっと気にかけてあげてもいいんじゃないスかね。……俺も含めて」

 くれはは哲而の横顔を見てきた。

「先輩が好きな人のために、時々は道場に立ってほしいって、それだけなんスよ。大会終わるまでは続けてほしいです。その後も、第一線からは退いても、ある程度できるんじゃないですか。それって意味のないことじゃないと思いますよ。剣道って何年でも何歳からでも続けられるって言いますし、本来は他人と比較してどうこうじゃなく、自分のため――自分の人間形成のためにある武道ですから」

 くれははしばらく沈黙していたが、やがて、ふっ、と笑った。

 退部届の紙を破り、風に飛ばす。

「……そうだな。お前の言う通り、大会までは部にいることにするよ。私は自己に厳しいあまり、他人を蔑ろにしてしまいがちだ。それも敵意でなく、好意を寄せてくる他人に対して。いづはの暴走を招いたのも私のせいなのだから。……いづはの暴力に屈してきたのは、心のどこかで必死に束縛してくるいづはを哀れに思い、これが罪なのだと己に言い聞かせてたからなのかもしれないな」

「いづははきっとやってけますよ。これからのあいつの努力次第ですが、俺は応援します。仲間スから」

「ああ。頼んだぞ、いづはのこと」

「いいスけど。先輩こそ、俺に頼まれなくていいんですか?」

「? どういう意味かな」

 くれはが訝しがると、哲而はニッと笑ってやる。

「俺は先輩を尊敬してますし、漫画家の夢も絶対応援しようと思ってますよ。どこで何やってても、絶対先輩の味方でいますから。もちろん先輩が俺を必要ならスけどね」

 さあ、と風が吹いて、くれはの髪が揺れる。

「いやね? ドジっ子ギャップ萌えの流れからして、実は先輩がとっても寂しがりやで、優秀すぎるゆえに周りから敬遠されがちだから支えてくれる人を欲しがってる的な萌え性格だったりするんじゃないかな~、なんつって、はは」

 哲而はふざけた調子で言った。そんなわけないだろう、とジト目で睨まれるのを予想していた。

 だがくれはは、微笑んだ。

「まったく……、本当に、戯言の多い奴だ」

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