#031-1 ヒミツの裏切り
コロスンダ。
僕は手に忍ばせていた鉄のペンを、ギュッと握りしめた。スイッチを触らないようにして、離さないようにしていた。いや、正確には、そうしなければ我慢できなかった。
コロスンダ。
いま僕の前で、殺人犯が地面に倒れている。引っ繰り返った虫螻みたいに蹲り、両手で目を擦っている。さっき投げつけた催涙スプレーの効果なのだろう。僕たちが近寄っている事に、気がついてもいなかった。ただ、目の激痛を必死に噛み殺していた。やはり、警察に見つかっては悪いモノを持っているのだろう。
コロスンダ。
そして、火蜜さんは犯人が手にしていた、黒光りする短いナイフを拾い上げていた。刃の厚みは1センチもなく、特別に鋭利というワケでもない。たぶん、護身用に持っていたんじゃないか、そう僕は思った。
危険な思想に溺れている殺人犯の多くは、本物の武器、暴力的な画像や動画や書物などが近くに無いと不安になってしまう、という話しを聞いた事がある。何かの代用品で心を埋めなければ生きていけない、そういう弱い人間なのかもしれない。
「でも、殺すんだ……」
と、僕はポツリと呟いた。これから本当に、ウソじゃなく、偽りじゃなく、誤魔化しじゃなく、マジで。
―――殺す。
そう思うと、僕は震えが止まらなかった。
いくら理屈で分かったふりをしていたとしても、現実を目の前にしようとすると怖くて仕方なかった。もしかしたら心の何処かで、火蜜さんも殺人なんてできない、そう思っていたのかもしれない。だが、それは幼稚な妄想だと痛感させられた。僕の鼓動は高鳴り、鉄のペンを握りしめている手に汗がにじみ出す。
「さあ、貴方が押さえなさい」
と、火蜜さんは言った。
その顔は美しい。
一点の曇りもない美貌に溢れていた。風が靡くと黒い木々の隙間から神々しい月の明かりが差し込まれ、一瞬だけ火蜜さんの顔が照らされていた。今まさに、完全なる美が作られようとしていたのだ。殺人の秘密を共有しようとしている神聖な儀式を前にして、火蜜さんは天使のように澄み切った笑みを浮かべていたのだ。
「……うん」
僕は静かに頷くと、片手で殺人犯の喉を片手で押しつぶした。ウーウーと低いうなり声を上げながら体を動かしていたが、目の見えない状態ではどうする事もできない。子供とはいえ、2人分の体重を乗せて抑えられたら動けなくて当然だろう。
その姿を見て、火蜜さんは笑っていた。
「……ふふ。可愛い」
「え?」
「可愛いでしょ。だって、私達からすれば彼は天からの贈り物よ。そう、まるで生まれたての赤ちゃんと同じ。大切な絆であり、本当の愛情を注げる相手であり、私達の秘密の結晶なのよ。そして、今から本当の産声を上げるわ」
「……火蜜さん」
今更ながら、彼女の人間性に触れた僕は喉が詰まっていた。言葉が続かない。
本当に何なんだ、この人は、そう思うしかなかった。




