#030-2 打算
それは、突然の表れだった。
僕がサーモグラフィ表示にした暗い携帯の画面を眺めていたら、急に違和感が動いたのである。見慣れない黄色い物体が、地面の辺りに一つ表示されていた。次の瞬間、僕の鼓動は加速する。絞り上げられたように血脈がドクンドクンと動き続けていく。
例の犯人がいた―――
とうとう、この森の中に張り込み続け。
ついに僕たちの前に現れたのだ。そう思うと、ジワッとした汗が額から滴り落ち、自然と呼吸が荒くなっていった。ゼーゼーハーハー。この息の動きが相手に伝わってしまうような気がして、僕は慌てて口元を手で覆い隠していた。
―――いや。
今の動きそのものでバレる事もあるだろう。僕は慌てて携帯に視線を戻すが、とくに何の変化もなかった。ほんの10メートル弱ぐらいしか離れていなかったが、画面に映っている人影は別の所に向かっていたのだ。
どうやら気がつかれなかったようであった。こっちの存在がバレなくて良かった、そう僕はホッとした。そして、同時に火蜜さんから渡されていたスプレー缶をポケットから出していたのだった。
これを使えば私達なら楽に殺人が行える、そう言っていた。
しかも、決定的に有利な点が僕たちにはあるのだから、と―――
「よし」
僕はゴーグルとマスクを装着してから、スプレー缶の噴出スイッチに太い輪ゴムを巻き付けたてい。そして、勢いよくガスが出だした其れを、現れた犯人に向かって投げたのである。
からん。
ごす。
ころころころ。
微かな音を立てて、ほぼ同時に2つのスプレー缶が犯人の所まで転がっていった。訓練された軍人でもないのに、まるで計ったように正確なタイミングである。たぶん、火蜜さんは僕が投げるのを待っていてくれたのだろう。
―――ぶしゅ。
刹那、黒い森が赤く染まる。
人間の血によって、ではない。顆粒状になった唐辛子エキスが、霧みたいに辺りに広がっていったのである。すると、犯人は驚く前に蹲ってしまった。小さく苦しみつつ大地に倒れ込んだのであった。それも当たり前の話しで、さっき僕たちが投げつけたのは催涙スプレーというヤツだった。
ただ、どんな大人でも、目に入ったら子供みたいに何もできなくなる護身用品。そんなモノが普通は、殺人の道具として使われる事はない。なぜなら、通常、苦しんでいる間に大声を出される可能性が高いからだ。催涙スプレーで眼は閉じられるが、口まで閉じられるというワケではなかった。
普通、殺人には使わない。
しかし、今は違う。
なぜなら、この瞬間、この場で、最も他人から見つかりたくないのは、殺されそうになっている連続殺人犯のほうなのだ。僕と火蜜さんも誰かに通報されたら厄介ではある。しかし、ヒトの一部を閲覧させるために持っている犯人は、厄介だけではすまないだろう。その場で警察に逮捕される。
決定的な差だ。
あの殺人犯は自分が殺されそうになっているというのに、誰よりも身を隠してくれるのだ。
―――これが、たった1つの利点だった。
その読みは見事に命中する。
僕と火蜜さんは、苦しみ悶えている犯人の所に近づいていった。
作戦通り、大声を上げようとはしなかったのだ。
僕たちの殺人計画は、いま完結しようとしていた。




