#025 決心
誘拐。
この言葉を聞いて思い浮かべるのは、まず間違いなく映画やドラマや小説や漫画などの虚構世界の話しになってしまうだろう。実際の発生件数は驚くほど低く、身代金を奪ったまま逃げ延びられた例も戦後はほぼ無いのである。統計的に分類すると主な目的は金銭と性欲の2つに分かれ、子供の略奪誘拐は数も少ない上に全体の95パーセント以上は逮捕されていた。
ただ、小学生の時、友達の火蜜さんが誘拐された目的は、その全てと違う。
何も奪われもしていない。
暴行もされてない。
何一つとして無くしてない。
ただ、与えられた。
―――秘密を。
何者かと出会し、それを強引に押しつけられたのだ。
犯人は言った。今日の出逢いで我々は友達になったのだから、もし誰に話せばお前の家族を殺す、そう何度も念を押された。黒い夜道、たった一人で歩いていた女の子が凶悪な男から脅されたのだ。とても怖かったのだろう。マジメな小学生だった火蜜さんは、必死に頷くことしかできなかったらしい。
時間にして10分ぐらい。
誘拐と言えないような誘拐。でも、誘拐されたといえる誘拐。
その後、火蜜さんは無事に帰宅するが、様子がおかしいことに気がついた両親と親戚が問い詰めたのだ。しつこく、ウソや言い訳を許さずに質問されたらしい。火蜜さんは何とか約束を守ろうとしたのだが、小さな女の子が大人達に取り囲まれてできることは何もない。
やがて、火蜜さんは耐えきれず秘密を呟いてしまった。
仕方ないと言えば仕方ない状況だろう。また、心の底では、こんなくだらない事で本当に殺すわけ無いと高を括っていたのかも知れない。しかし、その後、火蜜さんは自らの迂闊さを呪う事になる。何者かの手によって、家族の一人が本当に殺されたのだ。目的も、魂胆も、目当ても、殺意も、裏切りも、本音も、方法も、意味も分からず、ただ無意味に家族の一人が殺されたのだ。
犯人は捕まっていない。
この事件以後。
火蜜さんの性格は正反対に変わってしまう。秘密を作るという事が、友達を作っていく事と同一になる。それは、まるで誰かを信じることを怯えているように。まるで、また秘密を誰かに明かしてしまったら、同じ事になるのではないかと怯えているように。火蜜さんは、自分の殻に閉じこもってしまったのだろう。
「……そんな事を経験すれば、他人を信用するプロセスが狂っても不思議じゃないか」
そう僕は思った。
きっと、火蜜さんは家族が死んだのを全て自分の責任に感じている。だから、秘密というモノにとりつかれているのだ。火蜜さんから酷い事をされたという怒りはあったが、それでも同情を感じずにはいられなかった。
「……カオリさんから、詳しい話しを聞くんじゃなかったかなぁ」
と、僕は呆然と呟いた。
―――その時である。
自室のベッドに寝ころんでいたら、唐突にボスッと何かが落ちてきたのである。そりゃもう、トップロープから突っ込んできたような重みがお腹にきたのだ。一瞬、何事かと思うも、直ぐに元凶を見つけたのだった。
「……何してるのかな、ナミ君」
「うううううううう、お兄ちゃん」
それは、大量の涙を浮かべた妹のナミだった。ただ、僕は悲しみに暮れている肉親に対し、冷ややかな視線を向けた。
「……どうしたの?」
「ううううぅ、心配なんだよ」
「何が?」
「私のお兄ちゃんって、放課後、何処にも寄らずに真っ直ぐ帰ってくるような独りぼっちなのよ。普通なら友達と寄り道ぐらいするじゃない。これから先の人生が心配で心配で」
「……いらぬ心配してくれて、ありがとう、妹よ」
「ううぅ。私の心配は止まらないのよ。もしかしたら、私より先に帰って妹の椅子でも舐めているんじゃないかと心配で。もしかしたら、盗撮用のカメラをコソコソと設置しているんじゃないかと心配で」
「だから、そんな心配する必要ねぇよっ!」
「だって私の兄は、一人で帰ってくるようなロンリークズなのよ」
「ロンリークズで悪かったなっ! お前、心配する気はさらさらないよなっ!」
そう言って僕は妹を部屋から強引に追い出した。
心配するフリをしている遠回しにバカにはされているが、何となく様子を伺いに来たのだろう。色々と性格がねじ曲がっているので厄介ではあるが、あれもあれなりに心配してくれているのだろう。今度、アイスでも奢ってやるか、そう僕は思った。
「ん?」
またベッドに戻ろうとした時、僕は足下に落ちているLEDライトに気がついた。これは、火蜜さんが護身用にくれたアイテムである。
僕は何となく、拾い上げていた。
「……まあ、酷い事をされたし、裏切られたのは本当だよな。でも、彼女の目的が何であれ、少なくても犯人から僕の命を助けてくれたのも確かだよなぁ」
それだけは、揺るがない核心を持って僕は言えた。
例え、殺人犯を逮捕させずに撃退するという歪な欲求があるにせよ、僕の身を心配をしてくれたのも事実である。いや、それだけが確かなのだ。今の異常な状況の中で、それだけが光り輝いているように僕は思えたのだった。
「……やるか」
友達のために戦うとか、他人の為に命をかけるとか、正義のために頑張るとか、そんなチープな気持ちにはとうていなれない。打算があるから人間なんだ。殺されるかも知れないという状況で、きれい事のモラルを語れるほど僕だって純粋じゃない。
ただ今を必死に生きるしかない。例え、秘密を抱えることで信頼してくれている彼女を裏切ることになったとしても。今を生きる努力をしよう。どんな善人も悪人も天才もロンリークズだって、死んでしまえばお終いなのである。僕は胸に決意を秘め、手にしていたLEDライトをギュッと握りしめたのだった。




