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#020-2 意味

「……火蜜ひみつさん?」


 一瞬、それが誰だか分からなかった僕は、つい名前を呟いてしまった。

 同時に動く。

 僕を押さえつけていたホームレスの男性がガバッと振り返り、手にしていた注射器で背後にいた火蜜さんの足を刺そうとしてたのだ。


 ―――ただ、それよりも早い。


 突如として現れた火蜜さんは手にした特殊警棒で、犯人の顔面を殴打したのだ。

 バコっ。

 骨を叩いたような音が夜道に響き、男の口から漏れた液体が僕の顔に吹き付けられた。砕けた白い歯と浅黒い血が街灯に照らされ、キラキラと輝いていく。そして、あまりの痛みからホームレスの男は僕の上から退き、地面をのたうち回ったのだった。


「う……う……う」


「……ふふふふふ」


 悶えているホームレスの男を見て、火蜜さんは笑っていた。純粋に。透き通って。曇り一つ無い笑顔で。何かを妄想しているのか、やったやったやったやった、と同じ言葉だけを連呼していた。その近寄ることができない異様な雰囲気に当てられたのか、それとも酒の力が思考力を奪っていたのか、僕は直ぐに反応できなかった。


「……あ」


 やがて僕はハッとした。

 助かった。よく状況は分からないが、これで僕は助かったのだ。しかも、犯人は動けなくなっているので、通報するだけで全ての事件も終わる。やっと安眠ができる、それを考えると心の底から安堵感が広がっていった。


「ふふ」


 いつのまにか、僕は笑っていたのだ。もしかしたら、火蜜さんも同じ心境だから笑っていたのかもしれない。いや、そうに違いないと僕は思っていた。だって、この時は、それしか思いつかなかったのである。


「……よし、すぐ警察に電話しよう」


 意識が朦朧としたまま、僕はポケットに手を入れた。


 ―――ガゴッ。


 刹那、顔面に鈍い痛みが走る。

 いま何が起こったのか、僕は直ぐに理解ができなかった。ただ、目を白黒させながら前を見ると、火蜜さんが僕の頬を拳で殴った姿が視界に入ったのだ。そして、次の瞬間、取り出していた携帯電話を蹴り飛ばされていた。


「え」


 火蜜さんの行動が理解できず、僕の脳内は完全な白になった。しかも、さっき打たれ注射の効果らしく、頭が茹だったようにボーッとしてたのだった。何も考えられない。ただ、眼前に立っている火蜜さんのことを見上げていた。僕には、今の心境を呟くことぐらいしかできなかったのだ。


「……どうして?」


「これが、したかったのよ」


「え」


「私は、これがしたかったの。世の中から隠れている殺人犯と実際に会う、という秘密を君と作りたかったの。しかも、捕まえられるのに逃がしたなんて誰にも言えないでしょ。どうせ、話したところで信じてもらえないわ。ふふ、この暗い秘密が、私にとっての全てなのよ」


「……火蜜さん」


「完成したわ。ああ、なんて事かしら。今ほど気持ちいい瞬間はない。君に会うと我慢できなかったから、一週間も部屋でジッとしてかいがあったわ。あははははははははははは」


 火蜜さんは嗤う。

 その間に、フラフラと犯人は本当に逃げ出していた。

 その後ろ姿を、火蜜さんは見ようともしない。

 辺りに、もうヒトは居ない。

 2人だけ。

 ただ、廃油を流し込まれたような禍々しい瞳を、火蜜さんは僕にだけ向けくる。それに耐えきれず、ソッと意識を落としてしまう。自分一人だけになれる暗い世界に、僕は戻りたかったのかもしれない。



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