#005-1 ウソ
やる事は決まってる。
正直なことを言えば、今の状況はよく分からない。
頭の中は混乱しているし、色々な言葉が飛び回ってるし、変な汗は出ているし。せめて、少し驚く時間ぐらいは欲しかった。ただ、目の前で泣いている女の子が逃げるように走り出したのだ。それなら、やる事は決まっているじゃないか、そう僕は思った。
ダッ―――
僕は走り出すと同時に、逃げ出した彼女の名前を叫んでいたのだった。
「止まってよ! ねぇ、火蜜さんっ!」
「うるさい! こっちに近寄らないでよッ!」
こちらに振り向いたワケじゃないが、いま逃げている火蜜さんの声が返っていた。そんな怒鳴られたことはなかったし、普段だったら僕の足は止まってしまったのかもしれない。でも、それだけは受け入れられなかったい。
どうしても知りたかった―――
なぜ君は悲しい顔で泣いているんだよ、その答えを僕は理解したかった。火蜜さんの口から、泣いている理由を説明して欲しかった。それだけが僕の心で燃え上がり、信じられないぐらい自分の足を動かしていたのであった。
しかし、現実の壁は厚い。
どんなに意志が高くても、能力の差だけはどうしようもない。僕よりも火蜜さんの方が遙かに運動神経が良かったので、どんなに早く走っても追いつけなかった。瞬く間に、彼女の後ろ姿は小さくなっていったのだ。
―――もうダメか。
そう僕が弱気になっていると、サッと前を影が横切ったのだ。
「やるじゃないか。女の涙はほっとかない、それでこそ男だぜ」
「か、カイナ!」
「後は任せな!」
一緒に火蜜さんを探していた、スポーツ系女子であるカイナは、低い姿勢のまま走り抜けていた。陸上部よりも強靱な脚力と俊敏性で、あっという間に追いつきそうな距離にまで近寄っていたのだ。
―――がッッ。
次の瞬間、その光景を見て僕は息が止まる。
逃げる事だけを考えていた筈の火蜜さんが、追いかけてきたカイナに向かってスチール製のゴミ箱を急に投げつけていたのだ。普段、男子達がデッキブラシで殴っているからボコボコに凹んでいる。
ヒトの骨より固い箱。
それが、カイナに顔面に当たると思われたとき、ダンと激しい震脚が響く。右のつま先から生まれたエネルギーが下半身でグルリと竜巻のように巻き上げられていった。そして、筋肉と回転で更に増幅された破壊の力が、全て右拳に集約されていったのだ。
「ふんっ!」
カイナの放った正拳順突きが、固いゴミ箱に命中した。すると、ガゴンという激しい音を立てて、廊下の上をクルクルと回りながら滑っていったのだった。見ると、道具を使っても凹むぐらいでしかないゴミ箱が、半分に折れ曲がっていたのである。
「……あ」
「すげ」
あまりの技と爆音に、僕と火蜜さんは思わず足を止めてしまうぐらい驚いていた。ただ、それをした本人だけが当たり前みたいに笑い、逃げていた少女の腕を掴まえたのだった。
「へへへへへ、やりぃ。つーかまえたー」
「……放しなさいよね、このバカの馬鹿力女」
「いやだねぇー。ふふ、アンタの嫌がる顔を見られて、アタシ的にはチョーハッピーだし。ハッピーなことをやめるなんて、ハッピーたんたん、に失礼だし」
「なんですって……」
「ふ、2人とも喧嘩なんて初めないでよ。とりあえず、そこの教室に入ろう」
僕たちは、かなり廊下で騒いだので、他の生徒から白い眼で注目されていた。このままだと、やがて駆け付けてくる教師に捕まってしまうかもしれない。ひとまず、僕たちは人気のない教室に隠れる事にしたのだった。




