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第56話 大逆罪

 王都へと引き返す軍列の中、一際厳重に守られた大型の馬車があった。

 車輪が礫を踏む振動が続く中、マリエールは浅い呼吸を繰り返していた。

 白銀の鎧は外され、薄い寝衣に包まれたその肌は、死の予感を孕んだ冷たい脂汗に濡れている。

 

 そこへ、軍靴の音を押し殺し、ガストン、レオンハルトをはじめとする全将軍が集結した。

 馬車の中へ足を踏み入れる彼らの表情は、一様に鉄のような硬さを持ち、瞳の奥には言葉にできぬほどの重苦しい憤怒が澱んでいる。

 ガストンが震える手で、懐から数枚の紙を取り出した。

 それはカイルが敵本陣の隠し金庫から奪還した、血と泥に汚れた「裏切りの証拠」そのものだった。


「……マリエール様。もう、十分です。これ以上、貴女様があの方を信じ、その御心を削り続ける必要はございません。我らはもう、あの方を主とは呼びませぬ」


 ガストンが差し出した書簡を、マリエールは弱々しく震える指先で受け取った。

 そこには、紛うことなきクロヴィス王の筆跡で、自分を「神を冒涜する不浄な存在」と蔑み、ただの「村娘」として弄ぶための背信の計画が綴られていた。

 読み進めるほどに、彼女の指は白くなり、紙がクシャリと音を立てる。


「……『足の腱を切っても構わぬ』……? 『生まれ故郷の村を焼き払えば、二度と楯突く真似はできまい』……?」


 マリエールの喉から、絞り出すような、ひび割れた絶望の音が漏れた。

 彼女にとって、あの名もなき村は単なる故郷ではなかった。

 前世で全てを失い、火刑台に消えた彼女を今世で温かく迎え入れ、パンの温かさや、人としての愛を教えてくれた唯一無二の聖域だったのだ。


「……私の、あの村を……。あのみんなを……焼く、と言うの……?」


 マリエールの目から、大粒の涙が溢れ出し、書簡の文字を滲ませた。

 止まらない涙が彼女の蒼白な頬を伝い、寝衣を濡らしていく。

 ヴァル・ド・ロゼ村に残してきた病弱な両親と貧しい兄妹たちが思い浮かんだ。


「左様です、マリエール様」

 エティエンヌが、折れんばかりに拳を握りしめ、氷のように冷徹な声で告げた。

「貴女様が前線で命を削り、この国を救おうと戦っていたその時。あの男は貴女様の帰る場所を灰にし、その尊厳を奪うことだけを考えていた。……これが、我らがこれまで守り、奉じてきた『王』の正体なのです」


 沈黙が馬車を支配した。

 聞こえるのは、マリエールの嗚咽と、馬車の軋む音だけだった。

 やがて、マリエールはエミリの手を借り、ゆっくりと、しかし確かな意志を持って身を起こした。

 涙はまだ止まらない。

 だが、その瞳の奥には、悲しみを超越した「断罪」の光が宿り始めていた。

 彼女は、集結した将軍、隊長たち一人ひとりの顔を、この世ならざる神聖さを湛えた瞳で見つめた。


 深い静寂を切り裂くように、その言葉は放たれた。


「……皆、聞いて。私は――王を殺します」


 一瞬、空気が凍りついた。

 それは「聖女」が口にするには、あまりに凄絶で、あまりに純粋な殺意であった。

 マリエールは、今にも壊れてしまいそうな少女の震える声に、剥き出しの決意を滲ませ、その問いを彼らに突きつけたのだ。


 マリエールはエミリの肩を借り、薄着のまま馬車から外へと歩み出た。

 その姿は神々しくもあり、同時に今にも倒れ伏し、鮮血を吐き出しかねない危うい儚さを湛えている。

 だが、この場に居合わせた者たちは、その痛々しい少女の姿に、真なる「神」の顕現を見ていた。


 まず、歴戦の将軍たちが一斉に泥濘の中へと跪いた。

 その動きは波紋のように広がり、周囲を固める聖女騎士団たちへと伝播していく。

 甲冑が触れ合う音だけが、鎮魂歌のように響き渡った。


 後日、戦列の遥か後方に位置し、本来なら聖女の声など届くはずのない距離にいた聖女騎士団の騎士たちは口々に語ったという。

「俺たちの耳にも、一語一句、マリエール様の言葉がはっきりと聞こえたのだ。だからこそ、俺たちは迷わず、あの方達と共に誓ったのだ」と。


「第一将軍、レオンハルト。貴方は正義の人。私が王を殺めれば、この国の法は死にます。貴方の信じる正しさを汚してまで、私の手伝いをしてくれますか?」

「我が正義は、すでに貴女という真実にあります。我が剣は聖女と共に」

 レオンハルトは迷いなく顔を上げると、剣を抜き放ち目の前に突き刺す。


「第二将軍、エティエンヌ。貴方の知略は国を救うためのもの。王を殺せば、貴方は稀代の策士ではなく、大逆の共犯者として歴史に刻まれる。……それでも構わないかしら?」

「国は、すでに貴方と共に歩んでいる。私が貴方を大逆にさせはしません」

 エティエンヌの瞳には、かつてないほどの苛烈な知性が光っていた。


「第三将軍、ロラン。貴方は誰よりも王室への忠誠が厚かった。その忠節を捨て、私と共に罪を背負ってくれる?」

「……マリエール様、貴女こそが真なる王だ」


「第四将軍、ジャン。貴方の海軍は国家にあるべきもの。私のわがままな独断に、その全艦隊を貸してくれるかしら?」

「あの王こそがこの国への裏切り者だ。国家とは即ち、あなたですよ。マリエール。全艦隊、貴女の御心のままに」


「第五将軍、アンリ。宮廷の美を愛する貴方が、王の返り血に染まり、醜い争いに加わることを許してくれる?」

「醜悪な王こそが大逆。あなたを大逆にさせぬことは、我ら全将軍の総意です。汚れ仕事は、すべて我らにお任せを」


「第六将軍、マキシム。貴方の盾は、国家反逆人となるこの私をも、最後まで守り抜いてくれるのかしら?」

「……何を今さら。もう分かっているだろう、マリエール。真の大逆人は、あの玉座に座る蛆虫だ。俺は、お前のためにある」


「第七将軍、シルヴァン。私と共に、茨の道を歩いてくれる?」

「俺は、あなただからこそ忠誠を尽くす。あの王では無い」


 マリエールは次に、自らのために血を流し続けてきた騎士団へと視線を向けた。

「団長ガストン。貴方の武力で……王を討つ覚悟はある?」

「聖女騎士団の名に懸けて。あの男の首を、貴女の足元へ転がして差し上げよう」 

 ガストンが一振りした斧槍は、衝撃波を伴い、刃を下にして大地に突き刺さる。


「リュカ、イザベル。貴方たちも、私を助けてくれる?」

「はっ! この命、マリエール様の切っ先として捧げます!」

「もちろんですわ! 貴女こそが、我が主君!」


「ノア、ソフィア、カイル。貴方たちも、力を貸してくれる?」

「……御心のままに」

「貴女が命じずとも、私はすでにあの男を殺すつもりでした」

「あんたが殺れと言うなら、王だろうが神だろうが殺してやる。……さあ、命令をくれ」


 最後に、マリエールはもはや立つ力など無い彼女の体を握りしめ、共に涙を流しているエミリを見た。

「エミリ。……貴女にまで、こんな血生臭い行軍をさせてごめんなさい。本当は貴女には、平和な村で笑っていてほしかったのに」


 エミリは首を激しく振り、涙でぐしゃぐしゃになったマリエールの目元を、指先で優しく、しかし力強く拭った。

「……あんまり当たり前のことを聞かないでください、マリエール様。どこへだって、地獄の底までだって、私はあなたと一緒にいたいんです。それが私の幸せなんですから」


「「全くだぜ!」」

「「「応!!!!」」」

 ガストンとカイルの声が重なり、そこに全軍の声が怒号となり波及した。


 その言葉に、マリエールはもう一度だけ強く目を閉じた。

 そこからはとめどない涙が溢れている。


「さあ、マリエール様。今は少しでもお休みください。あとは……私たちが」

 エミリが立ち上がり、聖女の代理として、冷徹な「戦う聖女」の顔になった。

 その表情はマリエールと瓜二つで、ガストンら将軍達にも見分けがつかない。

 そして、ピエールとエミリが急いでマリエールを寝台に寝かせる。

 

 エミリは馬車の外にいる精鋭たちへ向けて、銀鈴のような、しかし雷鳴のように響く号令を発する。


「明日午前七時、出立! 敵はアルシエル! 聖女を汚し、国を売った大逆人を討ちに行く!」


「「「応!!!!!!!」」」


 次は聖女騎士団だけでは無く、全軍の声がノワールの森を震わせた。

 それはもはや、王を守るための軍ではない。

 国を売り、聖女を売った俗物に対する「神罰」の軍勢へと変貌を遂げたのである。

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