表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/78

第49話 恋文

 南西部の「双子の真珠」と謳われた難攻不落の要塞都市、エメロードと港湾都市ブラン。

 その攻略は、マリエールが神剣を発現させる前に、またもや歴史的な勝利をおさめていた。


 夜の帳に紛れ、カイル率いる「灰色のル・ルゥ・サングレ」が港の闇に溶け込む。

 彼らは音もなく敵艦隊の火薬庫へと侵入し、火薬の信管を次々と沈黙させていった。

 さらに、艦船の心臓部を担う熟練の乗組員たちを、叫ぶ暇も与えず次々と闇に葬っていく。

 砲門は火薬で無惨に塞がれ、舵は修復不能なまでに破壊された。

 港を封鎖していた重厚な防鎖さえも、彼らは水中から音もなく断ち切ってみせたのである。

 エメロード唯一にして最大の海軍拠点は、戦う前にしてその機能を完全に喪失した。

 夜が白み始めた空に、工作完了を告げる一筋の火薬筒(信号弾のような花火)が打ち上がったその瞬間。

「合図だ!やりやがったな狼ども!」

 水平線の彼方で牙を研いでいた第四将軍ジャンの無敵艦隊が、夜明けの光を背負い、地響きのような咆哮を上げた。


「聖女様に我らが海の王の進軍をお見せせよ! 全艦、フル・サルヴォッ!(一斉射撃)」


 ドォォォォン! と大気を震わせる轟音が響き渡り、空を焦がすほどの白煙が立ち込める。

 その煙が潮風に流され、視界が晴れた時には、すでにエメロードの城壁には力なく白旗が翻っていた。

 かつてのオセルにおける「三分」の奇跡には及ばなかったものの、海陸同時攻略という至難の業をわずか「十五分」で終わらせた軍事史に残る快挙。

 しかし、旗艦の甲板、一番の見晴らし台に立つマリエールは、ウリエルの剣を顕現させられず、不満げに頬を膨らませていた。


「……また、抜けなかった。一度くらい、皆の前に颯爽と現れて、『光あれ』なんて格好いいセリフで終わらせたかったのに……」


 準備していた決めポーズが無駄になったマリエールが小声でぼやくのを、ジャンが豪快な笑い声で吹き飛ばす。


「はっはっは! マリエール様、そんな顔をなさるな! 貴女様はそこに凛と立っているだけで、我らにとっては勝利そのものなのですから!」


「その通りだ! 聖女様を前線に出すなど、我ら将軍の恥! 抜かぬ剣こそが平和の証ですぞ!」


 ガストンまでもがジャンの言葉を全力で肯定し、深く頷く。

 聖女の華々しい活躍は、彼女を愛しすぎる家臣たちのあまりにも優秀な「先回り」によって、今回もまた未遂に終わったのであった。


 南西部全域の奪還を祝い、前線基地の執務室には本国から大量の祝賀書簡が届けられていた。

 その山の中に、ひときわ豪華な金糸の刺繍が施され、甘ったるい香油の匂いを漂わせる封筒があった。

 新王クロヴィスからの、マリエールへの直筆の「恋文」である。


 マリエールは、クロヴィスのどこか滑稽で浮世離れしたその手紙を、わざとガストンたちの前で、抑揚をつけて朗読し始めた。

 自分を「花」や「朝日」に例える恥ずかしい美辞麗句の羅列を、あえて衆目に晒すことで、彼の王族としての圧力を逸らそうとしたのである。


『……愛しきマリエール。君の武勲を聞くたび、我が心は高鳴り、今すぐにでも君を強く抱きしめたい衝動に駆られる。君が王都へ戻った暁には、大陸最高の宝石と、王妃の座を用意しよう。……君の朝日に照らされた花のような美貌、私の小さな胸は……君の可憐な唇を……』


「……陛下ァァァァァッ!!」


 ガストンの野太い咆哮が、作戦室の石壁をビリビリと震わせた。


「どの口が仰るか! バルタザールの奸計に乗りかけたその卑しい口で、マリエール様に愛を語るなど一万年早いわ! 」


「全くだ。宝石だと? 聖女様をそんな安っぽい石ころと同列に並べるな。失礼極まりない!」


 ジャンが鼻息荒く手紙を奪い取り、今にも大砲の火種にせんとするのを、マリエールは苦笑いで眺めていた。

 彼女にとって、クロヴィスの言葉は舞台の上の書き割りのように平面的で、どこか遠い世界の騒音のようにしか響かなかった。

 前世での裏切りを知る彼女にとって、彼の愛の言葉は、ただの滑稽な喜劇の台詞に過ぎないのだ。


 そんな喧騒が渦巻く中、老従者ピエールが、騒ぎに加わることなく静かに一通の簡素な手紙を差し出した。


「お嬢様。こちらは、北方守備に就いている第一将軍、レオンハルト様からです」


 その名前が出た瞬間、あれほど騒がしかった将軍たちが一斉に沈黙した。

 レオンハルト。

 「氷の騎士」と称される北の守護神であり、そしてマリエールがその冷徹な軍師としての仮面の裏で、密かに心を寄せている男。

 マリエールが震える指先で封を切ると、そこにはクロヴィスのような甘い愛の言葉は一つも綴られていなかった。

 ただ、実直で、硬質な文字が並んでいた。


『マリエール様。南西の風は、夜には冷え込むと聞いております。……貴女様は、また無理をされているのでしょう。誰よりも賢く、誰よりも残酷に勝利を掴む術を知りながら、誰よりもその小さな肩に犠牲を背負おうとなさる。……どうか、御身をお守りください。貴女様に万一のことがあれば、私の魂は北の雪原で枯れ果てるでしょう。生きて、春の王都で再会できることを。ただそれだけを、切に願っております』


「…………っ」


 マリエールは、手紙を読み終えると同時に、それを抱きしめるように胸に当て、静かに瞳を閉じた。

 心臓の鼓動が、今まで戦場で感じたことのないほど速く、そして熱く刻まれる。

 新王の派手な賛辞には一毫も動かなかった心が、たった数行の、自分を案じる不器用な言葉によって、激しく揺さぶられていた。


 彼は知っているのだ。

 マリエールが「聖女」として振る舞うために、どれほど冷徹に心を殺し、どれほど孤独に戦略を練っているかを。

 その痛みを理解し、案じているのは、この世界で彼だけかもしれないとマリエールは一人、想う。


「マリエール様? お顔がひどく赤いようですが……。やはり南西の寒気にあてられましたか!?」


 心配そうに顔を覗き込んでくるガストンに、マリエールは慌てて手紙を隠し、首を振った。


「いいえ、ガストン将軍。……寒くないわ。とても、温かいの」


 潤んだサファイアブルーの瞳に、恋を知った一人の少女としての柔らかな光が宿る。


「……ピエール、エミリ。……私、早く戻りたいわ。北の空が、こんなに恋しくなるなんて、思わなかった」


 聖女として、軍師として、敵を圧倒してきた少女。

 しかし今、彼女の心は、北の地で一人戦う騎士が綴った不器用な言葉によって、どの戦場よりも熱く甘やかに、優しく征服されていたのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ