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第44話 狂おしき忠誠

 無血開城を遂げたオセルの目抜き通り。

 王国遠征軍が整然と進軍する中、マリエールの愛馬のくつわを握るガストンの手は、あたかも岩石の一部であるかのように固く、微動だにしない。

 その瞳は血走り、肩を上下させる呼吸は未だに荒いままだった。


「……ガストン将軍。もう、本当に大丈夫ですから。そんなに険しいお顔をなさらないで。これでは街の方々が、救い主ではなく占領軍が来たのだと怯えてしまいます」


 マリエールが困ったように声をかけるが、ガストンは前を見据えたまま、地響きのような低い声で吠えた。


「……聖女閣下、いや、マリエール様! よくも、よくもそんな呑気なことが仰せになれるものですな!」


 その声には、怒りと、それ以上に深い「恐怖」が混じっていた。


「私の心臓は、あの一瞬、確かに止まったのですぞ! 敵陣の真っ只中へ、支援も付けずたった一騎で突っ込むなど、ただの無茶では済まされん狂気の沙汰です! 我ら兵の命がそんなに惜しいのですか! 貴女様に傷一つつけば、このガストン、死を以てしても詫びきれぬのですぞ!」


 ガストンの怒りは、純粋な「守護者」としての慟哭であった。

 しかし、その傍らを馬で進む第三将軍ロランは、冷ややかな、しかし狂信的なまでの崇拝を湛えた瞳でガストンを窘めた。


「……ガストン殿。貴殿は相変わらず、マリエール様の深淵が見えておられぬようだな。嘆かわしいことだ」

「何だと、ロラン! 貴様、今の暴走を見て何も感じなかったのか!」

「あれは暴走などではない。計算され尽くした、完璧な軍略だ」


 ロランは陶酔したように空を見上げ、独白を続ける。


「見ろ。一滴の血も、一発の矢も消費せず、南西部の要衝が落ちた。マリエール様は、我らが布陣を終え、敵の恐怖が最高潮に達する一瞬の『臨界点』を見切っておられたのだ。あそこで突っ込めば、敵は戦う前に心が折れる……。あの方は、戦術の最適解を一秒の迷いもなく導き出されたのだ。貴殿のような凡庸な心配など、とうに超越しておられる」


 その言葉に、第四将軍ジャン、第五将軍アンリも深く頷き、マリエールの背中に畏怖の念を込めた視線を送る。


「……全くだな。マリエール様は、我らの慎重さが、かえって包囲戦の泥沼化を招き、結果として兵の犠牲を増やすと判断されたのだ」


 ジャンが、己の至らなさを噛みしめるように呟いた。


「我らが軍学の定石を論じている間に、ただ前進するというだけで、敵の戦意を根こそぎ奪い取られた。……何という苛烈、何という合理的な軍略。もはや神業に近い。だが、我ら将軍は、あの方にこれ以上の『教導』をさせてはならんのだ」


 アンリもまた、その端正なかおに暗い決意を宿した。


「マリエール様が考えた戦術を、我らが即座に実行する……ガストン、我々は何も考えず、ただあの方の思考に追いつく事だけに全力を尽くすのだ」


 将軍たちが背後でそんな「超解釈」に基づく深読みを交わしていることなど、マリエールは露ほども知らなかった。

 彼女はただ、聖女としての凛とした表情を顔に張り付けながら、心中では盛大にしょんぼりと肩を落としていた。


(……ああ、本当に残念だわ。あんなに離宮の自室で、ピエールと一緒に演出の練習をしたのに。時計塔の頂上で、夕陽を背に受けて、抜身の神剣を顕現させれば、きっと最高に格好良かったはずなのに……! 私のあの素敵な『剣を抜いた聖女のカッコいいポーズ』、誰にも見てもらえなかった。皆に力ずくで止められて、ただ馬で走って砂埃を被っただけで終わっちゃうなんて)


 自分の評価が天を衝くほど爆上がりしていることにも気づかず、彼女は純粋に「見せ場」を披露し損ねたことばかりを悔やんでいた。


(ガストン将軍にはあんなに怒鳴られるし、他の方々はなんだか怖い顔をして私を見ているし……。きっと『余計な真似をして、軍のメンツを潰すな』って呆れられているんだわ。……次にチャンスがあったら、今度こそ誰にも邪魔されないタイミングで神剣を抜いて、完璧なところを見せてやるんだから)


 オセルの政庁へと足を踏み入れた直後、事態はさらに加速した。泥と汗にまみれた急使が、次々と執務室へ駆け込んでくる。


「報告します! オセル陥落の報を受け、南西部の物流が完全に遮断! これを機に隣領のルミエール、テラスにて抑圧されていた民衆が蜂起! 駐屯していた敵軍は戦意を喪失し、逃亡兵が相次いでおります!」

「報告! サフィール、エメロードの二都市も、市民の手によって城門が開かれました! 遠征軍の到着を待たずして、降伏の使者がこちらへ向かっております!」


 わずか半日で、歴史を塗り替えるような快進撃。

 将軍たちが歓喜に沸く中、マリエールだけは一人、机に広げられた地図の一点――『要塞都市フェラン』を凝視していた。


(逃げ場を失った敵軍の残党がフェランに集結すれば、あそこは天然の要害。今度こそ泥沼の攻城戦になるわ。……こうなったら、次は絶対に。ガストン将軍に捕まる前に、あの大軍の目の前でウリエルの剣を抜くしかないわね。一度に数万人を無力化するには、神の威光を見せつけるのが一番効率がいいんだもの)


「…………今、何と仰いましたかな? マリエール様」


 背後から響いたのは、地獄の底から這い上がってきたかのような、低く、湿り気を帯びた切実な声だった。

 振り返ると、そこには鬼神のごとき形相をしたガストンが、音もなく立っていた。


「ガ、ガストン将軍……いつからそこに?」

「『抜くしかない』と。今、はっきりとそう仰いましたな? あの、お嬢様の命を削り、夜な夜な地獄の寒さを強いる、あの忌々しい奇跡の剣を」


 ガストンが固まった笑顔のまま、一歩、また一歩と詰め寄る。

 その巨体から放たれる圧倒的な「拒絶」の気配は、敵軍の殺気よりも遥かに恐ろしく、切迫していた。


「マリエール様! 貴女様は我ら将軍の忠義を、それほどまでにお信じになれませぬか! 四万だろうが十万だろうが、我らが腕を、脚を、命を千切って剣を振るえば済む話! それを……あんな、代償の大きすぎる力に頼るなどと! このガストン、断じて、断じて許しませぬ!」


「でも、ガストン将軍。犠牲を最小限にするには、神威を見せるのが……」

「犠牲ならば、我ら無骨な兵の命で払えばよろしい!! 貴女様の命を、その一滴の血を代償にするなど、このガストン、死んでも認めませぬぞぉ!!」


 ガストンの瞳には、主を想うあまりの激情と、守りきれないかもしれないという恐怖の涙が、滲み出していた。

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