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第41話 性根を叩き直して差し上げますわ

 新王クロヴィスの執務室は、まるで墓所のような静寂に包まれていた。

 地獄の業火をそのまま持ち込んだかのような、凄惨な軍議を終えたばかりの彼は、贅を尽くした執務机の前で力なく項垂れていた。

 昨夜のバルタザール拘束という衝撃、そして何より、心から慕っていたマリエールに、全参列者の前で冷ややかにダンスを拒絶されたという、幼くも深い失望の泥濘に彼はどっぷりと浸かっていたのだ。


(なぜだ……。マリエールはあんなにも冷たかった。まるで、私の中に潜む本心を見透かしているかのように。確かにパーティーの後に部屋に連れ込もうとは思っていたが……)


 その時、重厚な扉を打ち破らんばかりの勢いで、緊急謁見を告げる報が届く。

 返答を待たずして雪崩れ込んできたのは、聖女騎士団長ガストンを筆頭とした、大陸にその名を轟かせる八人の将軍たちであった。

 整然とした足音は軍靴の響きとは思えぬほど重く、彼らの背後には、マリエール直属の精鋭たちが、獲物を屠る直前の猛禽のような鋭い眼光を湛えて控えている。


「……将軍たちが揃って、一体何事だ。今は一人にさせてくれと伝えたはずだが」


 クロヴィスの震える問いに、応える者は誰もいない。

 ただ、室内の温度が物理的に数度下がったかのような沈黙の圧力が、新王を豪華な椅子に縫い付けた。


「陛下。昨夜、貴方がその耳を貸し、あまつさえ手を伸ばそうとした『毒』について……。我ら将軍一同、断じて看過できぬという結論に達しました」


 第一将軍レオンハルトが、一歩前に進み出た。 

 その声は、心臓に直接氷の楔を打ち込むような鋭利な響きを帯びていた。


「マリエール様は……我らが主君は、ご自分の命の灯を削り、夜な夜な地獄のような寒気に耐えながら、この国の未来を繋いでおられるのです。その彼女に、あのような汚らわしい王家の恥を洗わせ、泥を掻き出させるなど……陛下! 貴方は、自分が犯そうとした大罪の重さが、これっぽっちも分かっておいでか!」


(主君だと……? 余は王だぞ。主君は余ではなく、あの平民出身の小娘だというのか!?)


 一瞬、王としてのプライドが頭をよぎる。

 しかし、目の前の男たちが纏う、実戦で培われた殺気を前に、その言葉は喉の奥で氷ついて消えた。


「全く、呆れたものだ。情けなくて涙も出んわい」

 聖女騎士団長ガストンが、巨木のような腕を組み、のっそりとクロヴィスの顔を覗き込んだ。

 その圧倒的な武威に、クロヴィスは肺の空気が押し出されるような錯覚に陥る。


「バルタザールごとき小悪党の甘言に乗り、民から血を啜ろうとしたその卑しき心根! 我ら聖女騎士団が、この世で最も忌み嫌う不浄そのものだ。陛下が王冠に相応しい器にならぬ、ただの強欲なガキだというのであれば……」


「ガストン、そこまでにせよ。言い過ぎだ。……だが陛下、これは全軍の総意にございます」


 第二将軍エティエンヌが、パチンと小気味よい音を立てて扇子を閉じた。

 その怜悧な瞳には、もはや忠誠心など欠片も残っていない。


「我らはマリエール様にこの命を預けています。彼女をこれ以上疲弊させ、その尊い心に傷をつける愚行を繰り返されるなら……。我らは陛下の命令ではなく、彼女の『沈黙』に従うことになるでしょう」


「……王の座とは、快楽を得る席ではない。今やこの玉座は、彼女の献身という奇跡の上に成り立つ砂上の楼閣だと、その魂に刻んでいただきたい」


 第三将軍ロランの重々しい言葉が、クロヴィスの胸に深く突き刺さる。

 政治的な諫言が一段落したかと思った瞬間、将軍たちの殺気は、より個人的で粘着質なものへと変質した。


「……それから、陛下。最後にもう一つ」


 レオンハルトが、腰の剣の柄をギリリと握りしめ、獲物を逃さぬ猟犬の目でクロヴィスを射抜いた。


「マリエール様は、貴方のように浮ついた方のダンスのお相手をするほど、安売りできるお方ではございません。誰が見ても、あの方が呼吸を乱し、立っているのもやっとの体調であることは明白だったはず。それを、下俗な欲求でその尊い時間を奪おうなどとは……。以後、万死に値する無礼であると自覚なさい。二度目はありませんぞ」


 ガストンが鼻で笑い、仕上げと言わんばかりにドスの利いた声を被せた。


「聖女様に冷たくされて、しゅんと落ち込んで同情を誘うなど、甘えも大概にされよ! 誰も貴様など見てはおらんのだ。次、同じような無礼をなされば、例え王であっても……我ら将軍が、戦場の掟で徹底的に叩き直して差し上げますぞ! お覚悟を!」


 一斉に背を向け、嵐が去るように部屋を退出していく将軍たち。

 新王クロヴィスは、椅子に深く沈み込んだまま、人生で初めて味わう「真の恐怖」にガタガタと震えていた。


 その頃。

 離宮の奥深く、マリエールの私室では、先ほどの執務室の凍てつく空気とは無縁の、穏やかで甘い時間がゆったりと流れていた。


「ふふっ……。今頃、陛下はどうされているかしら。皆さん、少しやりすぎていないといいのだけれど。あまり追い詰めすぎても可哀想だわ」


 そこには、病床に伏せっているはずの衰弱した姿はなかった。

 マリエールは、ピエールが最高級の茶葉で淹れた「とっておきの紅茶」を優雅に啜り、エミリが用意した焼き立てのクッキーを幸せそうに頬張りながら、元気いっぱいに微笑んでいた。


「本当は、陛下に対して少し酷なことをしたと思っているのよ……。でも、あんなに分かりやすい甘言にふらふらと流されてしまう方が王様では、この国は一年も持たずに内側から腐り落ちてしまうわ」


 マリエールはクスクスと、悪戯を成功させたばかりの少女のような茶目っ気たっぷりの笑顔を見せた。

 それから、少しだけ真剣な眼差しで、琥珀色のティーカップを見つめる。


「本当はね、陛下ご自身で『そんな不届きな提案は二度とするな』って、バルタザールを突き放してくださることを、少しだけ期待していたの。……でも、やっぱりあの方は揺らいでしまった。だから、せめて将軍たちに少しお小言を言ってもらって、二度とあのような誘惑に負けない、強く賢い『真の王』になってほしいのよ」


 その言葉を聞いて、エミリは深く感銘を受けたように、マリエールの膝にそっと寄り添った。


「マリエール様は本当にお優しいですね。ご自分があれほどの重荷を背負っておられるのに、一番に国のことや、陛下の事を考えていらっしゃるなんて……」


「優しいわけじゃないわ。……私はただ、この国が健やかであってほしいだけ。民が泣かずに済む世界であれば、それ以上は何も望まないのよ」


 静かな笑みを浮かべるマリエールの傍らで、ピエールだけは表情を一つも崩さなかった。

 彼は熟練の手つきで新しい茶を注ぎながら、静かに、しかし釘を刺すような重い口調で言葉を発した。


「お嬢様、そのお慈悲は誠に尊きもの。……しかしながら、老いた身の老婆心ながら申し上げます。新王クロヴィス陛下には、どうか今後とも十二分にお気をつけくださいませ」


「……ピエール? どうしたの、そんなに改まって」


「陛下は確かに未熟でいらっしゃる。ですが、時折……お嬢様を見つめるその瞳に、単なる憧れや恐怖ではない、何かどす黒い執着……。お嬢様を、一個の人間としてではなく、手に入れるべき『唯一無二の宝物』のように、暗い情動を湛えて狙う不穏な光を感じてならないのです。あれは、愛ではなく、良くない者の眼差しにございます」


 ピエールの重い警告に、室内の温度がわずかに揺らぎ、マリエールはカップを持つ手を止めた。


 一方、そんな平和なお茶会が続く寝室の扉の向こうでは、聖女騎士団の精鋭たちが、一匹の羽虫すら通さぬ鉄の壁を築いていた。


「第一隊長リュカ、西側配置完了。……ネズミ一匹、あの方の安らぎを乱す不届き者は通さん」


 リュカは廊下の先を見据えて冷たく言い放つ。


「第二隊長イザベル、東側異状なし。……全く、マリエール様を泣かせるような真似をした王様なんて、私がこの大剣で『再教育』して差し上げたいくらいですわ。あの方は私たちが命に代えても死守いたします」


 マリエールの背負う「聖女」という名の孤独。

 それを知る者たちの絆は、もはや王の権威や法の支配さえも超越していた。

 一人の少女の笑顔を護り抜くための、純粋で、かつ狂信的とも言える守護の意志。

 部屋を包むのは、温かな紅茶の香りと、彼女を愛し、狂信する者たちの、鉄壁の守護の誓いだけだった。

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