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第40話 断罪

 戴冠記念パーティーの会場は、金糸の刺繍が施された垂れ幕と、数千の蝋燭の光に彩られ、熱狂の渦の中にあった。

 新たに王冠を戴いたクロヴィスは、若き王としての全能感に酔いしれ、興奮でその頬を紅潮させていた。


「聖女マリエール! 我が戴冠の最初の舞を、君と踊らせてはくれないか?」


 王の華やかな誘いに、オーケストラの調べさえも一瞬、静まり返った。

 全参列者の視線がマリエールに集まる。

 しかし、マリエールは青白い顔でただ静かに、そして毅然と首を振った。


「新王陛下、戴冠おめでとうございます。……ですが、私は社交の場には不慣れな、ただの田舎娘に過ぎません。陛下の輝かしい門出に、不調法な私が泥を塗るわけには参りませんので。今夜はどうか、ご容赦を」


「……そうか。君に断られては、仕方がないな」


 クロヴィスはあからさまに肩を落としたが、その瞳の奥には、王だけに許された享楽を謳歌したいという、隠しきれない浮ついた熱が燻っていた。

 マリエールは、そんな王の「危うさ」を見透かすような冷徹な眼差しを一瞬だけ向けると、病的な青白い顔のまま、体調不良を理由に祝宴が始まって数分と経たぬうちに退席した。

 それが新王の顔を立てるための、彼女なりの無理をした配慮であることに、クロヴィスは気づく由もなかった。


 宴が終わり、深夜の冷気が忍び込む廊下。

 影の中から這い出すように、財務官バルタザールが蛇のような笑みを浮かべて新王に擦り寄った。


「陛下、素晴らしい戴冠式でした。……しかし、王としての重責、さぞやお疲れでしょう。若き王には、それに見合う『癒やし』が必要だとは思いませぬか?」


「癒やし……? 確かに、少しばかり退屈を感じていたところだ」


 バルタザールは獲物を追い詰める猟犬のように声を潜め、クロヴィスの耳元で甘い毒を流し込んだ。


「左様でございます。陛下の寝所には、毎晩、厳選された瑞々しい乙女を数名……。彼女たちは陛下の孤独を埋めるだけの、享楽の道具。さらに、禁断の美酒と極上の遊興。これらはすべて、王にのみ許された『特権』なのです」


「それは……興味深いな。しかし、相応の金がかかるのではないか?」


「ご安心を。私を『税制管理局の長』に据えていただければ、陛下の手を汚さず、民から無尽蔵に富を吸い上げましょう。陛下はただ、快楽の海で遊んでいればよいのです。王とは、そうあるべき存在なのですから」


「……良かろう。今期の……」


 クロヴィスがその甘い闇に手を伸ばし、取り返しのつかない契約を交わそうとした、その時だった。


――パチン!


 冷たい静寂を切り裂き、柱の陰から第二将軍エティエンヌが鋭い音を立てて扇子を閉じた。


「……驚いたな。一言一句、本当にマリエール様の仰った通りだ。この男の口からは、反吐が出るような汚物しか出てこない」


「な、なんだ貴様ら! 将軍がなぜこんなところに……陛下、お助けを!」

 バルタザールが叫び、逃げ道を探して視線を泳がせる。


 しかし、反対側からは床を鳴らす地響きと共に、鋼の肉体を持つガストンが歩み寄った。

「黙れ、売国奴! 貴様のその舌、今すぐ根元から引き抜いてやろうか!」


 逃げようとしたバルタザールの喉元に、レオンハルトが冷たく抜き放った剣の切っ先を突きつけた。

 切っ先が皮膚をかすめ、一筋の血が流れる。


「陛下……。マリエール様は、この男が貴方を放蕩へと誘い、民の血を啜ろうとすることを、正確に予見しておられました」


「な、何だと……? マリエールが……?」

 戦慄するクロヴィスの前で、レオンハルトの瞳には氷のような怒りが宿った。


「陛下、貴方は今、この男と共に地獄への一歩を踏み出したのです。……我ら将軍が、あの方の命を受け、その汚れた足を全力で叩き潰しに来ましたぞ」

 震え上がる二人の襟首を掴み、将軍たちは嵐のような勢いで、眠りについていた前王アルベールの寝室へと押し入った。


「ガストン? レオンハルト? 将軍全員で深夜に……一体何事だ!」


 アルベールが驚き起き上がる中、ガストンがバルタザールを掴み、床に力任せに突き転がした。


「この毒虫を、大逆罪の現行犯として拘束いたしました! 陛下、そして新王クロヴィス殿! マリエール様は、この男が王家を内側から腐らせることを予見し、我々に網を張るよう命じられたのです!」

 レオンハルトが、立ち尽くすクロヴィスを射抜くような鋭い目で見据えた。


「新王陛下。貴方は先ほど、民を犠牲にして快楽を買うという誘いに、確かに乗ろうとされた。あの方が……あの方がどれほどの代償を払い、削れる命を繋ぎ止めてこの国を支えているか、一度でも考えたことがあるのですか!」


「それは……私はただ、王として少しばかりの楽しみを、と思っただけで……」


「その『少しばかり』が、この国を滅ぼす猛毒になるのだ!」

 ガストンの咆哮が寝室の壁を揺らした。

 新王は言葉を失い、ただ震えることしかできなかった。

 己の犯そうとした罪の重さを自覚するよりも先に、まずは己の正当性を証明すべく必死に思考を巡らせたが、この状況で通用するような言い訳など、一つとして浮かぶはずもなかった。


 翌朝、軍議の席。

 この戦争の事後処理の指示を終えたマリエールが、紙のように白い顔で、よろりと膝を折った。


「……申し訳ありません。少し、疲れが……。後は、皆さまにお任せします……」


 彼女が室内に控えていた聖女騎士団の騎士たちに支えられながら中座し、重厚な扉が閉まった瞬間。

 軍議室の空気は一変し、昨夜以上の凄まじい「怒り」が充満した。


「……陛下」


 エティエンヌが、椅子で石像のように固まっているクロヴィスを、凍てつくような目で見つめた。


「ご覧なさい。あの方が、貴方の犯した醜聞を未然に防ぐために、どれほど身を削られたか。貴方が享楽を夢見ていた時、あの方は吐血せんばかりの思いで、貴方の「しでかした」泥を掻き出していたのだ」


「私は……これほどまでにマリエールが弱っているとは……」


「黙れッ!!」


 ガストンが拳で黒檀の机を叩き割り、叫んだ。 

 木片が飛散し、クロヴィスが椅子から転げ落ちそうになる。


「知らなんだで済むと思うな! 陛下! 貴方のその『甘さ』のツケを、あの方が命を削って支払っておられるのだ! 貴方には、王としての教育しつけが根本から足りておらんようだな!」


「昨日のパーティーを途中退席した際、あの方の足取りを見なかったのか!」

 マキシムが地響きのような声で続けた。

「あの方はご自身の体調が悪いのにも関わらず、新王の威信(メンツ)を保つために、無理を押して姿を見せに来られたのだ! それを……!」


「あの方が肩で息をしているところにダンスを誘うなぞ、恥を知るがいい! その挙げ句が『乙女を寝所に呼ぶ』だと!? 片腹痛いわ!」

 アンリの痛烈な糾弾に、クロヴィスは顔を覆った。


「明日から、我ら将軍が交代で陛下の公務と私生活に付き添いますゆえ、お覚悟を」


 エティエンヌが、死神のような笑みを浮かべて覗き込んだ。

 その瞳には、甘えを一切許さない、マリエールへの忠誠心という激しい炎が宿っていた。

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