表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/78

第4話 村の温もり

 森を駆け抜け、肺が焼けるような息苦しさの中で、マリエールはようやく見慣れた粗末な小屋の前に辿り着いた。

 

 雨に煙るヴァル・ド・ロゼ村の風景は、前世で贅を尽くした王宮の壮麗さに比べれば、あまりにも寒々しく、色褪せて見える。


 しかし、震える手でその粗末な扉を必死に押し開けた瞬間、彼女を待っていたのは、かつての煌びやかな生活では決して得られなかった「真実の温もり」であった。


「お嬢様! マリエールお嬢様! どこへ行っておられたのです、こんな激しい雨の中に!」


 血相を変えて土間に駆け寄ってきたのは、老従者ピエールであった。

 前世において、傲慢の極みに達したマリエールに疎まれ、疎まれながらも彼女を案じ続け、最後には彼女の身代わりとなって冷たい獄中で命を落とした老人。

 世界でただ一人、彼女の罪も愚かさもすべて包み込み、最期まで心から愛してくれた唯一の存在である。


「……ピエール」


 マリエールの瞳から、堰を切ったように熱い涙が溢れ出した。

 目の前にいる彼は、まだ死の影など微塵もなく、その背中も記憶よりずっと頼もしく見える。 

 震える彼の手には、帰りの遅い彼女のために温め続けていた、粗末な野菜スープの器が握られていた。

 その湯気が、凍てついたマリエールの心を優しく溶かしていったのです。


「お、お嬢様……? どうされたのです、その泥だらけの姿は。もしや森で狼にでも!? 怪我をされたのか、それとも……」

「いいえ、違うの。違うのよピエール。私……私は……っ」


 言葉にならず、彼女は思わずピエールの細い体に縋り付いた。

 驚き、戸惑いながらも、ピエールは慈しむように、そして壊れ物を扱うような手つきで彼女の背中を何度も撫でる。

(生きている。ピエールが、目の前で息をしている。……私のせいで、暗い地下牢で凍え死ななくていい世界に、私は本当に戻ってこられたのね)


 その温もりに安らぎを覚えながらも、彼女の脳裏には、先ほど森で出会ったあの王子の、悲痛なまでの叫びがリフレインしていた。


――『この国を立て直したい! 神が我が国を見捨てていないという証を、私に!』


 今のクロヴィスは、まだ権力の毒に侵されていない。

 祖国を救いたいという純粋な志と、民を想う誠実さを確かに持っている。

 けれど、彼がマリエールの「本物の奇跡」を確信し、その存在を救国の旗印として掲げれば、物語はまた前世と同じ破滅への坂道を、猛烈な勢いで転がり落ちてしまうだろう。

(彼がこのヴァル・ド・ロゼに辿り着くのも、もはや時間の問題だわ。あんなにも狂信的な、獲物を逃さない目をしていた彼が、私を放っておくはずがない。……でも、今度は絶対に、彼という運命に飲み込まれたりはしない)


 マリエールはピエールの胸に顔を埋めながら、血管が浮き出るほどの強い力で、奥歯を噛み締めた。

(宝石も、絹のドレスも、誇り高い王妃の椅子も、もう二度といらない。私はこの村を、ピエールを……そしてレヴィオン王国の民を救うために。この『ウリエルの剣と盾』を――彼が、そしてこの国が私を『道具』として利用することなど到底できないほどの圧倒的な強さで、完璧に使いこなしてみせる)


 窓の外では、嵐の去った空に、皮肉にもかつて彼女が「啓示」と見誤った彩雲が、鮮やかにかかり始めていました。

 しかし、今の彼女はもう、空を見上げて奇跡を待つだけの少女ではないのです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ