第39話 密談
離宮の最奥、マリエールの私室。
華やかな戴冠式の喧騒から切り離されたその部屋には、現在、大陸最強と謳われる八人の将軍たちが集結していた。
「ガストン将軍、レオンハルト卿。そして、皆さま……。祝宴を控えたお疲れのところ、このような場に呼び立てる無礼を、どうか許してください」
マリエールのサファイアブルーの瞳は、未来を見通すかのように鋭く、それでいて底知れない冷徹な光を湛えていた。
その瞳には、かつての戦場で敵の布陣を瞬時に見抜いた時と同じ、あるいはそれ以上の、歴史の重みが宿っている。
「ですが、どうしても今、皆さまの力が必要なのです。……今夜のパーティーの後、ある男が王家へ毒を盛ろうとしています」
その言葉に、部屋の空気が一気に凍りついた。
将軍たちの手は、反射的に腰の剣や斧槍へと伸びる。
「……毒とは『汚職』という名の、目に見えぬ劇薬です。財務官バルタザール。彼は言葉巧みに王子へ接近し、自らを『税制管理局の長』に据えるよう、今夜、直談判を行うでしょう。それは王国の法を無視し、自らの私腹を肥やすために、民から最後の一滴まで血を啜るための第一歩となる。彼は、この国を内部から腐らせる病巣なのです」
普通であれば、十五歳の少女が具体的な根拠も証拠もなく口にする言葉は、夢想家の戯言として片付けられるだろう。
しかし、この部屋にいる八人の猛者たちにとって、マリエールの言葉は神が記した「確定した未来」そのものであった。
カサンドラ平原で、ヴァンスの城壁の前で。
彼女が示した数々の奇跡と、的中させてきた戦況判断を目の当たりにしてきた彼らにとって、マリエールへの疑念という感情は、とうの昔に枯れ果てている。
(マリエール様が敵だと言えば、それは絶対的な敵なのだ。たとえまだ罪を犯していなくとも、あの方が『害獣』と断じるなら、この世から消し去るのが我らの唯一の務め)
ガストンは丸太のような巨大な拳を「ミシリ」と鳴らし、レオンハルトは峻烈な眼光を放ちながら静かに頷いた。
「証拠など、我らが後からいくらでも作って差し上げましょう。……マリエール様、その男の処遇、すべて我らにお任せを。貴女の清らかな手を汚させるわけにはまいりません」
「……よし、諸君。作戦を分担するぞ」
第二将軍、西方の策士エティエンヌが、冷たい風をはらんで扇子を広げた。
彼は瞬時に、脳内でバルタザールを追い詰める完璧な包囲網を構築する。
「バルタザールが王子に接触した際、我ら将軍のうち二人以上が、その会話を至近距離で盗み聞く。耳の良いシルヴァン(第七将軍)と、この私が行こう。合図は、私が扇子を激しく閉じる音だ。その瞬間に、廊下に控える将軍全員で包囲し、身柄を拘束する。問答無用だ」
「逃げ道は作らん。鼠一匹通さぬのが我らの役目だ。……逃げ出そうとするなら、その足ごと石床に縫い付けてやる」
第六将軍マキシムが地響きのような声で応じると、他の将軍たちも一斉に、冷酷な狩人の眼差しを浮かべた。
戦場よりも、むしろ自分たちの愛する主を騙そうとする卑怯者への怒りの方が、彼らの闘争心に火をつけている。
「拘束後、直ちに王子と共に陛下(アルベール王)の元へ連行する。王家の人事権を侵害し、不当に利権を貪ろうとした『現行犯』として、その場で断罪する。異論はないな?」
将軍たちの殺気が部屋を満たす中、マリエールは少し不安げに眉を寄せた。
「お願いします、皆さま。……本来なら、このような策謀に皆さまの手を煩わせたくはないのです。けれど、この芽を摘まなければ、王国の明日は……前世のように……いえ、決して明るいものにはならないのです」
その儚げな表情、縋るような声。
将軍たちの心臓は一斉に跳ね上がった。
(……おお、なんと神々しく、そして守って差し上げたい表情をなさるのか!)
(軍略を語る時の冷徹さと、この少女らしい瑞々しさのギャップ。……たまらん。我らが生涯を賭けて守るべきは、この御方のみだ!)
「マリエール様、ご安心を。……貴女の視界から、その不浄な男を永久に排除してみせましょう」
レオンハルトが騎士の最敬礼を捧げると、他の将軍たちも一斉に跪いた。
一人の少女への絶対的な忠誠が、重厚な甲冑の音と共に誓われた瞬間だった。
将軍たちが「獲物」を狩るために静かに、しかし凄まじい殺気を纏って退室した後、マリエールは深い溜息をついて椅子に身を預けた。
張り詰めていた緊張が解け、白い肌に微かな倦怠感が浮かぶ。
その背後から、エミリが優しく彼女の肩を包み込んだ。
「マリエール様、よく仰いましたね。……あのバルタザールという男、ピエールさんからも聞きました。賄賂で成り上がった役人で、平民の女を平気で人買いに売り捌くとか。彼は民の希望を食い潰す寄生虫です。あなたがそんな男のために、これ以上心を痛める必要はありません」
戴冠記念パーティーを中座して私室に戻ったマリエール。
ピエールはマリエールの顔色を見ると、その白い指先が微かに震えているのに気づき、すぐにメイドを呼び着替えの準備をはじめさせると、自らは温かい湯の準備を始めた。
マリエール付きのメイド達は、主人の体調を気遣い素早く着替えを終えた。
「お嬢様……。戴冠記念パーティーに出れない体調だと言うのに、この国の掃除を優先なさるなど。神よ、彼女にこれ以上重荷を背負わせないでください。……エミリ、今夜もお嬢様を頼みますよ。今晩もあの地獄のような寒さが、このお方を蝕まぬよう、その温もりで守り抜いておくれ」
「はい、ピエールさん。……マリエール様、今夜も私の体温で、あなたを温めさせてくださいね。お茶を淹れますから、それを飲んだら、すぐにベッドへ……」
マリエールは、エミリの温かな手に触れながら、静かに目を閉じた。
華やかな戴冠記念パーティー。
そのシャンパングラスが触れ合う音の裏側で、前世の悲劇を断ち切るための静かなる粛清が、今、始まろうとしていた。




