第20話 神威の具現
最初の目的地である川沿いの要衝、南方の砦『ヴァル・ド・ネージュ』。
マリエールの指揮により、第四将軍ジャンの海軍が河川を完全に封鎖しました。
物資の流入を断たれた敵軍二千五百は、「守りさえすれば本国から援軍が来る」と高を括っていたのです。
「援軍さえ来れば、あんな小娘の軍勢など容易く蹂躙できる。女子供の指揮で何ができるというのだ」
敵将のそんな傲慢な計算を、マリエールの瞳は冷徹に見透かしていました。
「……扉を開いて降伏なさい。今なら、命だけは許しましょう」
マリエールは愛馬を降り、たった一人で砦の堀の近くまで、まるで散歩でもするかのように無造作に歩み寄りました。
「お、お嬢様! 危険です、戻ってくださいッ!」
後方では、第一将軍ガストンが、心臓が口から飛び出しそうなほどヒヤヒヤしながら絶叫しています。
しかし、砦の壁の上から返ってきたのは、十四歳の少女に向けた下卑た罵声と、卑劣な嘲笑だけでした。
「田舎娘が聖女のふりか! 死んで花実が咲くものかよ、そこで串刺しになれ!」
放たれた四、五発の矢が、空を切り裂く鋭い音を立ててマリエールの細い体へと殺到しました。
しかし、彼女は眉一つ動かしません。
「……ならば、仕方がありませんね」
マリエールが静かに、溜息をつくように呟いた瞬間、彼女の周囲に『ウリエルの盾』の淡い光が展開されました。
放たれた矢は、その光に触れた瞬間にまるで砂の彫刻が崩れるように、跡形もなく霧散したのです。
続けて、彼女の右手に純白の『ウリエルの剣』が顕現しました。
マリエールは堀を挟んだ対岸から、砦の巨大な正門に向けて数回、舞踏を舞うような流れる動作で剣を振るったのです。
――ドォォォォォォォン!!
空気が爆ぜ、凄まじい衝撃波が巻き起こりました。
ウリエルの剣が放った不可視の断層は、巨大な吊り橋を支えていた太い鎖を一瞬で断ち切り、さらに周囲の堅牢な石壁を、熟しきった果実を割るように無慈悲に切り裂いた。
轟音と共に、何トンもの石壁が堀へと崩れ落ち、あっという間に堀を埋め尽くす土橋へと変わりました。
幅二十メートルに渡って、砦の外壁は完全に「開放」されたのです。
「な……っ!? 壁が……壁が消えただと!? バカな、ありえん!」
呆気にとられ、言葉を失う敵軍。
その静寂を切り裂いたのは、怒髪天を突く勢いのガストンでした。
「貴様らぁぁ! マリエール様に何という無礼を!! 突撃だ! 聖女様を傷一つ負わせるな! 聖女様をお守りしろぉ!」
ガストンは絶叫しながら、単身で崩れた壁の向こうへ歩を進めるマリエールを追って、鬼神の如き形相で突進しました。
将軍たちの狂熱的なまでの献身に当てられた騎士団も、もはや誰にも止められません。
壁を失い、退路である川も海軍に封鎖された敵軍に、抗う術は残されていなかったのです。
戦闘開始から、わずか四十五分。
かつて難攻不落と謳われた要塞は、マリエールの「一振り」によって、その歴史にあまりにもあっけない幕を閉じました。
敵捕虜:二千四百名
敵死者:百名(混乱による転落、溺死含む)
味方の損害:二名(段差での転倒による負傷)
夕闇が迫り、戦場に紫色の影が落ちる中、ガストンは返り血を浴びた手でマリエールの前に力強く跪きました。
「マリエール様……ご無事で何よりです。……ですが、あのように単身で突っ込まれては、私の心臓が持ちませぬ! 私の斧槍は何のためにあるのですか!」
悲壮感すら漂うガストンの訴えをよそに、マリエールは天使の羽が刻まれた白革の鎧をそっとなで、静かに流れる川面を見つめました。
「次は東の砦です。……急ぎましょう、ピエール」
隣でガクガクと膝を震わせていたピエールは、もはや驚きすぎて言葉も出ない様子でしたが、主の決意に導かれるように、ただ強く、何度も頷きました。
その横顔は、勝利の喜びに浸る勝者ではなく、課せられた宿命を淡々とこなす「執行者」のそれであったのです。




