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第19話 軍議

 王宮の作戦室。

 巨大な羊皮紙の地図を前に、マリエールは静かに指を指しました。

 その指先は、まるで運命の糸を手繰り寄せるかのように、一切の迷いなく一点を指し示したのです。

 瞳の奥に宿る蒼い光は、誰の目にも見えていないはずの凄惨な戦場の未来を、確信を持って射抜いているようでした。


「……敵の次なる狙いは、海運の要衝――海上要塞都市『シエル・ド・メール』です。ここを完全に封鎖するため、敵は周囲の四つの砦から兵を出し、孤立させようとしています。……手遅れになる前に、動かなければなりません」


 マリエールが提示した策は、あまりにも緻密であり、同時にあまりにも大胆なものでした。

 まず南方の『ヴァル・ド・ネージュ』砦、続いて東方の『ポルト・オリエント』砦を電撃的に急襲して陥落させる。

 そのままの勢いを削ぐことなく敵の後背を突き、一気に『シエル・ド・メール』を解放。

 その後、街の強力な海軍戦力と呼応して残る北方の二つの砦を挟み撃ちにする――。

 

 地形、補給、敵軍の心理までもを読み切ったその戦術は、もはや一朝一夕で身につくものではありません。

 前世で「聖女」を演じるべく、泥を啜り血を流して戦場を支配した彼女だけが持ち得る、呪いにも似た叡智であったのです。


「……これこそが、この国を救う唯一の道です」


 その透き通った声が静寂を破った瞬間、アルベール王は震える手で自らの膝を強く打ちました。

「全軍の命を預けるに足る、神がかり的な知略だ。……マリエール、お前を遠征軍の総司令官に任命する。第三、第四、第五騎士団をすべてお前の麾下としよう」


 14歳の少女が、王国の命運を左右する全軍を率いる。

 前代未聞、異例中の異例というべき事態です。

 しかし、広間に集った将兵の中から反論する者は、ただの一人も存在しませんでした。

 むしろ、そこにあるのは異様なまでの昂揚感。 

 司令官に選ばれなかった将軍たちからは、羨望と不満が漏れるほどの熱狂ぶりだったのです。


 特に、自称「聖女の守護担当」を勝手に名乗っている第一将軍ガストンは、我慢しきれぬといった様子で王の前に膝をつきました。

「陛下! お願いです、どうかこのガストンも連れて行ってください! 聖女様をお守りする役目は、私をおいて他に誰が務まるというのですか! 置いていかれるくらいなら、私は軍馬も捨てて歩いてついて行きますぞ!」


 身の丈ほどもあるハルバードを握りしめ、目を真っ赤にして訴えるその姿は、剛勇の将軍というよりは、主君を慕う忠実な忠犬のようでありました。

 そのあまりの忠誠心と気迫に、王も苦笑を禁じ得ず同行を許可しました。

 ガストンは「これで聖女様をお守りできる!」と子供のように泣いて喜び、周囲が引くほどの張り切りようで、自らの防具をピカピカに磨き始めたのです。


 数日後、王都の巨大な鉄門が開き、かつてない規模の軍勢が大地を揺らして出陣しました。

 「聖女の剣」として心酔する第三将軍ロラン、「海軍の意地」を見せようと燃える第四将軍ジャン、そして戦場に華麗な舞を添えると意気込む第五将軍アンリ。

 並み居る歴戦の勇士たちを率いるのは、天使の羽を象った真っ白な革鎧を纏い、愛馬を駆るマリエールです。


 白革に刻まれた銀の羽が陽光を浴びて煌めくたび、兵士たちの間からは祈りにも似た溜息が漏れました。


「お嬢様……また、戦なのですね。どうかご無理だけはなさいませんよう」


 隣で馬を並べるピエールが、いつものように深い慈愛と心配を湛えた声で寄り添います。

 熱狂する軍勢の中で、彼だけがマリエールの背負う重圧と、その小さな肩の震えを案じているのです。


「大丈夫よ、ピエール。……私はもう、誰も見捨てないと決めたから」


 マリエールは微かに微笑み、応えました。

 サファイアブルーの瞳は、はるか南方の海風、そしてその先に待ち構える凄惨な決戦を見据えていました。

 前世の悲劇的な記憶を勝利へのカギに変え、今度こそこの国に、そして自分自身に真の救いをもたらすために。

 天使の羽を纏った死神、あるいは救世主。

 彼女の騎行は、歴史のページを冷酷に、かつ美しく書き換えていくのでした。

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