第1話 火刑台の聖女
熱い。
それ以外の感覚は、すでに失われていた。
ハルガルド帝国に占領された自国の首都カストル・ノワールの中央広場。
積み上げられた薪が放つ紅蓮の炎は、十九歳のマリエールの白い肌を無慈悲に舐め上げた。
「魔女を殺せ!」
「贅沢に溺れた悪魔め!」
怒号が渦巻く視界の端で、執行人が一通の手紙を掲げている。
それは、かつて愛を誓い共に贅を尽くした夫、クロヴィスからの最後通牒であった。
『その女を解放する身代金など、我が国には一銭もない。速やかに灰にせよ』
「……ああ、そうですわね」
彼女は、怒りで思考することすら忘れていた。
自分がいかに愚かであったか。
その事実だけが、炎よりも熱く彼女の胸を焼いたのです。
貴族たちの甘言に乗り、宝石の輝きに目を眩ませ、自国の民がアルシエルの街角で飢え死んでいることさえ、彼女は見ぬふりをしてきた。
この火刑台の熱さは、彼女が踏みにじってきた民の涙そのものでした。
(神よ……)
意識が混濁する中、彼女は生まれて初めて真実の祈りを捧げた。
(私は、死んでも構いません。……けれど、もし許されるなら、もう一度だけ……チャンスを。……今度は、私の手で……アルシエルの民にパンを。……傷ついた者たちに、薬を……)
その瞬間、猛り狂っていた炎が蒼く色づき、まるで見えざる刃に裂かれたように左右へ割れた。
広場の喧騒が遠のき、時間が凍りついたかのように止まる。
絶望の淵に、その存在は降臨したのです。
目の前に現れたのは、二対の黄金の翼を持つ巨大な影。
大天使ウリエル。
その威厳に満ちた声が、マリエールの魂に直接響き渡る。
「その悔恨、聞き届けた。マリエールよ、今度こそ己が使命を果たしなさい」
ウリエルの指先が触れた瞬間、彼女の右手に「光の剣」が、左手に「光の盾」が、消えぬ刻印として刻み込まれた。
「お前に、エデンの門を守る光の剣と、すべてを阻む盾を託そう。……行け、神威の乙女よ」
視界が爆発的な光に包まれ、焼き尽くされるような熱さは一転した。
頬を打つのは、冷たく、それでいてどこか懐かしい雨の感覚。
地獄の底から、彼女の新しい物語が始まったのです。
マリエールはまだ、知らない。
かつて聖女と思い込み、軍に入った農家の娘が、独学の知略のみで王妃の座まで登り詰め、そしてすべてを失い火刑台に消えた一人の少女マリエール。
今度こそ「真実の奇跡」をその右手に宿し、絶望に沈む王国の救世主となることを。
帝国の鉄靴に踏みにじられ、国土の八割を奪われ、滅亡の淵に立たされたレヴィオン。
その焦土に、彼女はパンを、薬を、命を……そしてかつて血を吐く思いで読み耽った古今の戦術書の知識をもって「神速の勝利」を刻みつけていく。
誇り高き八人の将軍たちが、彼女の背中に真実の忠誠を誓い、その一振りの神剣の下で全土解放の咆哮を上げるだろう。
かつて彼女を魔女と呪った民が、今度はその名を「救国の聖女」として、涙と共に空へ響かせるだろう。
これは、一人の愚かな少女が、神の剣を振るって運命をねじ伏せ、陥落寸前の王国をその双肩で支え抜き――失われたすべてを取り戻す、眩いばかりの愛と贖罪の記録である。




