第10話 決着
ふと、視界の端に何かが光った。
それは、部屋の入り口付近。
先ほどゴブリンたちに殺された、斥候の男が倒れている場所。
彼の手からこぼれ落ちた、一本の小刀。
スウを殺した、あの刃物だ。
俺の足が、思考より先に動いていた。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
息が上がる。足がもつれる。
俺は地面を這うようにして駆け寄り、血に濡れた小刀をひっ掴んだ。
冷たい。そして重い。
人を殺せる道具の重みだ。
手が震える。
怖い。足がすくむ。
俺はただのサラリーマンだ。
刃物なんて、料理以外で持ったこともない。
こんなもので、武装した人間に立ち向かうなんて狂気の沙汰だ。
――でも。
スウは、立ち向かった。
最弱の魔物なのに、俺を守るために、あの魔法使いの女に飛びかかった。
なら、主である俺が、ここで逃げるわけにはいかないだろ!
「う、おおおおおおおおっ!!」
俺は裂帛の気合いと共に、地面を蹴った。
狙うは、詠唱中の魔法使いの女。
彼女は無防備だ。全神経を魔法の構築に集中させている。
殺せなくてもいい。
集中を乱せれば、それでいい!
俺の突進に、いち早く気づいたのは戦士だった。
「あぁ!? 雑魚が、ちょろちょろしてんじゃねえッ!」
戦士が、ホブゴブリンの攻撃を大剣の腹で受け止めながら、ちらりと俺を見た。
その目は、路傍の石を見るような冷徹さだった。
彼はホブゴブリンとの間合いを維持したまま、器用に手首を返し、大剣の切っ先を俺に向けた。
ただの牽制。
あるいは、虫を払うような軽い動作。
だが、達人の「軽い動作」は、素人の俺にとっては「死の閃光」に等しかった。
ヒュンッ。
風を切る音。
遅れて、熱さが走った。
「が、ぁ……ッ!?」
視界が揺れる。
俺の身体が、枯れ葉のように吹き飛ばされた。
地面に叩きつけられ、何度も転がる。
胸元が熱い。
触れると、ぬるりとした感触があった。
見れば、着慣れた紺色のビジネススーツが、斜めに裂けている。
そこから溢れ出る鮮血が、白いワイシャツを一瞬で真っ赤に染め上げていた。
「ハッ、死んどけ!」
戦士は興味を失ったように、再びホブゴブリンへと向き直る。
俺の意識が遠のく。
痛い。寒い。
HPバーが見えるとしたら、きっと残り数ミリだろう。
指一本動かすのもキツイ。
このまま目を閉じてしまえば、きっと楽になれる。
……ふざけるな。
俺は歯を食いしばった。口の中に鉄の味が広がる。
まだだ。
まだ、小刀は手放していない。
俺は霞む視界で、魔法使いを見据えた。
彼女はまだ詠唱を続けている。杖の先の光は、今にも弾けそうなほど膨張している。
走る力はもうない。
届くか?
いや、届かせるんだ。
俺は残った全ての力を、右腕に込めた。
「……食ら、えぇぇぇぇっ!!」
叫びと共に、腕を振り抜く。
血塗れの小刀が、俺の手を離れ、空を切った。
不格好な回転。決して速くはない投擲。
だが、魔法使いは完全に油断していた。
戦士の一撃で俺は死んだと思っていたからだ。
カィィンッ!
乾いた音が響く。
小刀が彼女が掲げていた杖の先端に命中する。
狙ったわけじゃない。ただの偶然だ。
だが、効果は劇的だった。
パリンッ!
杖の先にはめ込まれていた魔石のようなものが、小刀の衝撃で砕け散る。
制御を失った魔力が暴走し、小規模な爆発を起こす。
「キャァァッ!?」
魔法使いが悲鳴を上げ、顔を覆ってよろめく。
魔法の発動はキャンセルされた。
「なっ、ミーシャ!?」
戦士が驚愕に振り返る。
その一瞬。
ほんの数秒の隙。
ホブゴブリンが、それを見逃すはずがなかった。
俺の殺意を、怨嗟を、勝利への執念を一身に受け継ぎ、動く。
「GRAAAAAAAAッ!!」
ホブゴブリンが跳躍した。
戦士の頭上を飛び越え、体勢を崩した魔法使いの目前へ。
その手には、鍾乳石のこん棒が握られている。
魔法使いが、顔を覆っていた手を開け、頭上の影を見上げる。
その瞳に映ったのは、絶望そのものだった。
「い、いや……」
ドンッ!!
鈍く、そして湿った音が響いた。
ホブゴブリンが振り下ろしたこん棒が、魔法使いの上半身を叩き潰した音だ。
床を通じて、その衝撃が俺の身体にも伝わってくる。
悲鳴すら上げる間もなかった。
魔法使いだったものは、地面にへばりつく肉塊へと変わり果てた。
「み、ミーシャ……?」
戦士が呆然と立ち尽くす。
長年連れ添った仲間だったのか。
その死があまりにあっけなく、凄惨だったことに、思考が追いついていないようだった。
戦場において、棒立ちは死を意味する。
ホブゴブリンは、こん棒についた肉片を払うこともなく、巨大な身体を捻った。
遠心力を乗せた、裏拳のようなこん棒の横薙ぎ。
ブンッ!
空気が爆ぜる音。
戦士がハッとして防御態勢を取ろうとするが、遅い。
ドゴォォォォォォンッ!!
こん棒が、戦士の脇腹に直撃した。
革鎧ごと肋骨を粉砕する感触。
戦士の身体が、「くの字」に折れ曲がり、ボールのように吹き飛んだ。
そのまま5メートルほど空中を舞い、部屋の岩壁に激突する。
ズドンッ。
壁に蜘蛛の巣状の亀裂が走り、戦士がずり落ちてくる。
彼は地面に倒れ伏したまま、二度ピクリと痙攣し――そして、動かなくなった。
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