理想の国 その2
「では公女様、おやすみなさいませ」と告げて、ファイセスは下がった。今日も名前を呼んでくれなかったな、とウリセファは思った。いつか、名前を呼び合えるときがくるのだろうか。想像すると頬がかっと熱くなる。そんな幸せな空想に包まれながら、ウリセファは眠りに就いた。
……
どれくらい時間がたっただろうか。ウリセファは物音で目を覚ました。寝ぼけていて何だか分からない。が、覚醒するにつれて音もはっきりしてきた。何かがぶつかる音。叫び声。金属をぶつけ合う鋭い音。
はっとして部屋から飛び出す。リルフェットの部屋の扉が開いている。急いで部屋の中を確認したがリルフェットの姿がない。窓が開いている。ここから出たのか? それとも何かが入ってきたのか?
音は階下から聞こえる。異変はまだ続いているのだ。廊下を走り抜けて階下を見下ろすと、血の海の中に騎士たちが倒れているのが見えた。恐る恐る階段を下りると、「来るな!」というファイセスの声が聞こえた。ファイセスが知らない男と対峙している。その男は、ぐったりしたリルフェットを左腕で抱えている。この場にいる者には知る由もないが、この侵入者はレーネットとスハロートを襲撃した男だった。
「リルフェット!」
「来るな!」
ファイセスは再びウリセファを制止した。ファイセスは屋敷の出入り口の前に立っている。リルフェットを抱えた男を出さないつもりだ。だが、ファイセスがウリセファに気を取られた一瞬を突かれた。子供を抱えているとは思えない速さでファイセスの懐に飛び込み、短剣を脇腹に突き立てた。甲冑など着けていないのだから、短剣は容易に突き刺さった。
ファイセスは扉に寄り掛かって脱出路をふさぐと、リルフェットを取り戻そうと手を伸ばした。男はその手を蹴り上げると、さらにファイセスの胴を蹴り飛ばして扉の前から排除した。
「ウリセファ! リルフェット!」
2階からアトストフェイエの声がする。母上は無事だったか。
「公妃と公女か」
男は落ち着き払っていた。複数の騎士を1人で始末した男である。女2人など、ものの数ではなかった。
ウリセファは、ファイセスのことも気になるがリルフェットを助けなければならない。「その子を離しなさい!」と叫んだが、それが無力であることも分かっていた。力だ。自分には男を従わせる力がない。
なぜこんなことになった。襲撃された理由はともかく、今までこの村は安全だったではないか。なぜ今……。
そうか、つけられたのだ。この男をこの村に連れてきたのはウリセファ自身だ。




