ミーフェリアナ
ウィン一行は、カデトルン街道の手前にあるソウンという宿場町に入った。
宿は通常、一階が酒場になっている。宿は基本的に素泊まりで、食事は外で済ませるか酒場で別料金を払うという仕組みだ。
大衆酒場などでは、錫をたたいて伸ばして作った杯を使うことが多い。食器は、安価で、落としても「壊れない」ことが重要だ。錫製なら、たたけばまあまあ使える形になる。
この店の杯もデコボコでいびつな形をしており、杯の苦難に満ちた歴史を想像させる。
丸太をくりぬいた杯も見掛けるが、出来が悪いものは縁が厚くて飲みにくい。木製は、飲みやすく加工するのに職人技が必要なので高価になる。
ガラスはさらに高価なので、ガラス製の杯は貴族向けの店でしか使われない。
ラゲルスは大して料理も食べず、安い麦酒を口に流し込んでいる。酔う酔わない以前に、そもそも液体を大量に飲めることが謎だった。
胃を液体で十分に満たしてから、「そういえば細かい話がまだだった」とラゲルスが今後の行動についてウィンに質問した。
質問した後、また麦酒を飲んだ。
「スソンリエト伯領で何するんです?」
「例によってふんわりした指示しかなかった。スソンリエト伯の動向が怪しいから、帝国による監査だと言ってびびらせろ、ということらしい」
「なるほど、そこで諸侯領でも帝国直轄領でもやりたい放題の監察使たるセレイス卿の出番というわけですか」
「やりたい放題ってのは人聞きが悪いなぁ」
そこに、給仕係の少女が割り込んできた。
「今、『セレイス』って言った?」
「あん? どうした嬢ちゃん」
戦場では百戦錬磨のラゲルスも、少女の乱入には度肝を抜かれたようだ。
取りあえず麦酒を飲んだ。
宿屋の女中とは思えない美しい少女だった。少女といっても一五、六歳くらいか。ウィンのような炎のような赤毛で、翠玉色の瞳が印象的だった。
少女は一同を見回し、ウィンの顔を見た瞬間にもともと大きい目を大きく見開いた。
ウィンは、彼女の目玉がこぼれ落ちるのではないかと心配になった。そして、少女にじっと見つめられ続けて居心地が悪くなってきた。
「あなた! 名前は?」
「えっ、その、あの、ウィンと申します……」
「ウィン!? ウィン何? 全名は?」
「えええ? ヘルル・セレイス・ウィンなんですが……」
「ヘルル・セレイス・ウィン!? 仕事は? 領地は? 妻は?」
「領地なんてないです。仕事は、帝国監察使で……」
「だから、妻は?」
「そんなのいないけど……」
「旦那、何で弱腰なんだよ」
「いや、何か、だってさ」
少女は、目玉が落ちそうなほどに目を見開いて、まだウィンを眺めている。
「その死んだ魚みたいな目……セレイス・ウィン、監察使……まさか……」
「死んだ魚みたいな目」とはまたひどい言われようである。
ウィン一行は何が何だか分からない。
ラゲルスは麦酒を飲んだ。
「あなた、どこに行くの? カーリルン公領?」
「え? カーリルン公領? 違うけど、内緒」
「大事なことなの! 答えて!」
少女はウィンの赤毛をつかんでぐいぐい振り回した。あまりの蛮行を前に、荒くれ傭兵たちもなすすべがない。少女のけんまくに全員圧倒されてしまった。
仕方がないので、ラゲルスは麦酒を飲んだ。
「痛い痛い痛い。言うよ、離してくれ。スソンリエト伯領だってば」
「スソンリエト伯領? カデトルン街道の南の?」
「そう、そこ」
「カーリルン公領に行く予定は?」
「カーリルン公領なんて行かないよ。さっきから何?」
少女はウィンの顔を今度は睨み始めた。
「君、誰? 私のことを知っているの? どこかで会ったかな?」
少女はウィンの問い掛けに、しばらく考えてから答えた。
「私はミーフェリアナ。あなたと会ったことはない。会うはずもなかった」
「ミーフェリアナ……貴族みたいないい名前だねぇ」
「おばあさまに付けていただいたの。素敵な名前でしょう?」
ミーフェリアナは表情を和らげたが、話がそれたと思ったのか改めて真面目な顔になった。
「スソンリエト伯領に行くのなら、せいぜい気を付けることね」
そう言うと、ミーフェリアナは去っていった。ウィン一同はぼうぜんと立ち尽くしていた。
「アデンもラゲルスも何で助けてくれないのさ」
「いえ……女性は苦手でして……」
「女はおっかねぇからなぁ。旦那もおイタはほどほどにしとけよ」
「だから知らないってば。一体何だったんだ」
そこに宿の女将がやって来た。
「あんたら、ウチのミーフェリアナに何かしたのかい? ちょっかい出すんじゃないよ」
「何かされたのはこっちだ」
というウィンの抗議を女将は完全に無視した。
「はいはい、騒がない。他の客の迷惑だよ。これでも飲んで落ち着きな」
と言って、麦酒の樽をどかっと置いて去って行った。
ラゲルスは麦酒を飲んだ。
だが悪いことばかりではなかった。「スソンリエト伯領に行く」という言葉を聞き付けた老人が案内を買って出てきたのだ。元々案内役を雇うつもりだったので渡りに船である。
「じゃあ明朝、頼むぜ」
と言って老人にも麦酒を勧めて、ラゲルスは麦酒を飲んだ。
◆
翌朝、ウィン一行はスソンリエト伯領に向かって出発した。
彼らを追うように、一つの影が宿から出ようとした。
ミーフェリアナである。
「ミーフェリアナ、行くのかい?」
宿の女将が、彼女の背中に声をかける。ミーフェリアナは振り向くと女将にほほ笑んだ。その目には、明確な意思が宿っていた。
「やらなければいけないことがあるの」
女将はなぜか、ミーフェリアナはもう戻ってこないような気がした。なぜだかは分からない。だが、彼女と再会することはないという確信があった。
「そうかい……達者でね」
そして、ミーフェリアナは二度と戻ってこなかった。
アニメなどでは、樽みたいな形のジョッキがよく登場しますが、アレ、「マズそう」じゃないですか?
あんなので飲みたいですか?
木材を薄く削って、組み合わせて、タガをはめて……工数もかかっていて、場末の酒場が大量導入できるモンですかね?
そんな疑問から、安く手に入るスズをたたいて伸ばした盃(コップ、ジョッキなど)という設定にしました。これなら、作中でも書いた通り凹んでもたたいて伸ばせばまあ形になる。つまり「壊れない」というメリットがあります。




