皇帝軍再編
ヌヴァロークノ軍本隊が壊滅したという知らせが帝都に届いたのは二月二三日のことだった。
ウィンが立案した作戦の戦果ということで、ロレンフスは表情の選択に時間を要した。最終的に、無表情を選択して鷹揚に頷いた。
ともあれ、ティーレントゥム家と皇帝軍の勝利である。出陣を命じた皇帝としては上出来の治績だ。
ただし、勝ったとはいえ兵力の損耗が激しく、皇帝軍とラフェルス・カーリルン軍は新たな軍事行動が不可能な状態に陥っているという。オルドナ伯領の戦況は有利な状態ではあるが膠着してしまった。何らかの手を打つ必要がある。
課題は残ったが、ヌヴァロークノ軍本隊の壊滅は大きい。
戦勝を喜び、エルエンゾはロレンフスに祝辞を述べた。そんなエルエンゾに笑顔を見せたロレンフスの表情は、すぐにこわばることになる。
ニークリット公国軍によって、グデナーメルトが激しい略奪を受けたというのだ。グデナーメルトからの脱出者によって明らかになったおぞましい事態は、帝都を震撼させた。
「まさかここまで忍耐力を試されることになるとは予想もしていなかった」
ロレンフスは手にしていた杯を床にたたきつけて、虚空を睨み付けた。
エルエンゾはなすすべもなくオロオロしている。
ゼルクロトファは、表情を消して黙って立っている。
「ニークリット公、いやソルドマイエの叛意は明らかである。現時点をもってヤツからニークリット公位を剥奪する」
ゼルクロトファは、「御意」と言って静かに頷いた。
「先日命じた軍勢の招集状況はどうか」
「もうすぐ五〇〇〇ほどになるかと。残りはナインバッフ公国の手前で合流する手はずとなっております」
「余が自ら賊軍を誅殺してくれる。準備せよ」
ゼルクロトファは「御意」と言って、ロレンフスの執務室から退出した。
エルエンゾはロレンフスの前にひれ伏し、翻意を嘆願した。
諸侯を討つために皇帝が親征したというためしはない。諸侯の血で皇帝の御手が汚れるのも禍根を残す。戦場にいる者たちの戦果への不満の表れ、手柄の横取りと解釈される恐れもある。
アレス副伯らだけの問題ではなく、他の諸侯たちにもそのように見られることは好ましくない。
エルエンゾは、ロレンフスの脚にすがりつく勢いで制止した。
エルエンゾが挙げた理由はどれも理にかなっている。
反論の余地がない。
ロレンフスは、六回ほど深呼吸を繰り返して激情を抑えた。
理性的かつ論理的であることを旨とするロレンフスには、エルエンゾの言を退けることができなかった。
「エルエンゾ、よくぞ申してくれた。余が間違っていた」
ロレンフスは椅子に身を投げ出すと、改めて大きくため息をついた。エルエンゾの言う通り、親征は臣下たちにあらぬ疑念を持たせてしまうだろう。
「では余の代わりに、あくまでもアレス副伯とラフェルス伯への援軍として皇帝軍を投入することにしよう。誰か適当な者はいないか?」
これは本来、侍従にすべき質問ではない。
ロレンフスはエルエンゾに依存しつつあった。
「では、僭越ながら申し上げます。ムルラウ大公でしたら陛下の名代にふさわしいかと」
ロレンフスは、形の良い顎を軽くつまんでしばし黙考し、決断した。
「なるほど、ムルラウか。そうしよう」
こうして、オルドナ伯領に展開している皇帝軍とラフェルス・カーリルン軍を「オルドナ方面軍」と呼称するとともに、ナインバッフ方面軍司令官として大公のムルラウが任命された。
ムルラウには軍監として老将レミターロック伯が付けられることも決まった。
戦争は、主戦場をナインバッフ公国に移して新たな局面を迎えることになる。
◆
「そなたのおかげで陛下をお止めすることができた」
エルエンゾはウリセファの美しい裸体を抱き寄せて満足そうに笑った。
「お役に立てたようで、うれしゅうございます。エルエンゾ様」
計算外の事態も生じているが、今のところウリセファが望む方向に推移している。ウリセファは、込み上げる笑いを押さえ込んでエルエンゾに甘えるしぐさをしてやった。
せっかく生じた戦乱だ。男どもを一人でも多く殺すために、できるだけ長引かせてやる。
皇帝親征で簡単に片付けられては面白くない。だから、皇帝が自ら出陣すると言い出した場合の方策をエルエンゾに前もって与えておいた。
もちろん、ロレンフスの性格など知らない。軍事のことも分からない。だが、「皇帝が自ら諸侯を討つというのはいかがなものか」「皇帝が出てきたら先に出陣していた者たちは不満に思うのではないか」などと理由を適当に並べておいた。
後は、エルエンゾが勝手に理屈を貼り付けてさえずるだろう。
代わりに皇帝の近親者、仲の良い兄弟を出陣させるべきだとも吹き込んでおいた。皇帝もこの考えは気に入るだろう。
これで、皇帝の周りから頼れる人間がますます居なくなる。エルエンゾの話を整理すると、軍事面の幕僚であるアレス副伯が指揮官として出陣。
大公時代からの家老であるダウポロス副伯とプルテワイト副伯が前哨拠点で指揮するために帝都を離れた。「帝国の前哨拠点を戦地の近くに設けるべきである」ことも、エルエンゾにそれとなく吹き込んだ考えだ。
そして今度は兄弟の一人、ムルラウが出陣する。
ムルラウが勝ったならそれもよし。場合によっては力を肥大化させて皇帝とかみ合わせてもいい。敗死したとしても、それはロレンフスの心を揺さぶることになるだろう。
これで、ロレンフスの近臣はエルエンゾとゼルクロトファくらいになった。最も遠ざけるべき皇妃は、ロレンフスが勝手に距離を置いているらしい。実に好都合だ。
ロレンフスはますますエルエンゾに依存するようになっている。それは、皇帝を操りやすくなることを意味する。
後は、あの監察使だ。
だが、今は手出しのしようがない。事態の変化を待つしかない。ムルラウの出陣が何かのきっかけになるかもしれない。
焦る必要はない。戦乱が続いている限り、足をすくう機会は必ず訪れる。そのときにまた、成功しても失敗しても好ましい状況になる策を考えればよい。
エルエンゾ以外の手駒ももっと増やす必要があるだろう。
「どうした? 何がおかしい?」
エルエンゾが、私の顔をのぞき込んでいる。笑みを見られてしまったようだ。
「いえ、こうしてエルエンゾ様に抱かれていると、うれしくて、つい」
「ふっ……。女は単純だな」
「まあ、ひどい」
――用が済めば、お前も……。
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