使者
「やはりデズロント卿の動きが不可解だね。ナルファスト公殺しの下手人だというなら分かるけど、殺してないならサインフェック副伯陣営に駆け込む理由がない。実は殺しているというなら、フォルゴッソ卿が彼をかばう理由が見当たらない」とウィンはしきりに首をひねる。
「サインフェック副伯からは音沙汰がありませんね」と、ムトグラフが答える。スハロートの動向も考えも全く不明のままだった。
「いっそ、こちらから訪ねてみようか」とウィンが言い出したが、それにはフォロブロンとムトグラフがそろって反対した。返答の使者すら送ってこない状態では、危険が大き過ぎる。監察使という身分である以上、ウィンには政治的な意味がある。ほいほい出かけていって殺されでもしたら、皇帝は威信に懸けてナルファストに懲罰を下さなければならなくなる。ウィンは死ぬだけで済むからいいが、残された者にとっては非常に迷惑な話である。
捕まって人質にされても大層困る。とにかく、ウィンがうかつなことをすると面倒なことになる可能性が高いのである。
「というわけで、われわれはセレイス卿の心配をしているのではありません。セレイス卿が害された後のことを心配しているのです」と言って、ムトグラフは眉間に皺を寄せた。「迷惑だ」と顔で表現しているつもりらしい。
「誰か来たようですぜ」と、目を閉じて微動だにしなかったベルウェンが口を開いた。耳が良いのか、それとも他の何らかの感覚が鋭いのか、ベルウェンは他の者よりも早く気配に気付く。
しばらくして、伝令がサインフェック副伯の使者の到着を知らせに来た。
やって来たのは美しい少女と、その護衛役と思われる2人の騎士だった。ウィン、フォロブロン、ムトグラフが絶句しただけでなく、普段表情を崩すことのないベルウェンまで片眉をつり上げた。驚いたらしい。
「ナルファスト公女のウリセファと申します。サインフェック副伯に代わって参上しました」
やや緊張した面持ちで入ってきたウリセファは、天幕内を見回した。監察使を探しているのだろう。4人の顔を2往復して、視線を最も貴族的な容姿と装束のフォロブロンに定めた。右手を左胸に当て、膝を軽く曲げて会釈する。高貴な女性の挨拶である。
「これは勘違いされたな」と気付いたフォロブロンが名乗って軌道修正する。
「私は監察使付の軍監、アレス副伯のヴァル・フォロブロン・アンスフィルと申す。監察使はこちらのセレイス卿です。ナルファスト公女殿」
フォロブロンが指し示す人物に視線を移すと、整った顔立ちなのになぜか風采が上がらない赤毛の青年が困ったような顔で立っていた。
「監察使のヘルル・セレイス・ウィンです。遠路ご苦労様です」と、ウィンは間の抜けた挨拶をした。
「ヘルル・セレイス……卿、ですか。これはご無礼を。帝国の方にお目にかかるのは初めて故、不調法でございました」
ウリセファがヘルル貴族を見たのはこれが初めてのことだ。それは当然で、ヘルル貴族は絶対数が少ない。その上、ヘルル貴族になれるのは基本的に高齢者なので「ヘルル貴族はすぐに死んでしまう」のだ。
もっとも、ウリセファにとってウィンが元平民だろうがヘルル貴族だろうが、そんなことは問題ではない。「自分にとって」有用か否か、敵か味方かが問題なのだ。何としても「自分の」味方に付けねばならない。それにしても、このやる気のない目は何だ。
全員立ったままであることに気付いたムトグラフが着席を勧め、取りあえず話をする体勢が整った。
ウリセファに従ってきた2人の騎士は、彼女の背後に立った。それを見たウィンが騎士たちにも席を勧める。騎士たちは固辞するが、ウィンは重ねて着席を促した。
「立たせたままでは申し訳ない。席はあるんだからみんなで座ろう」
「彼らが立っているのには意味があるのだ。座ったら、何かあったときにすぐに動けないだろう」と、見かねたフォロブロンがウィンを制止する。いつの間にか、フォロブロンはウィンに対して敬語を使わなくなっていた。別にウィンのことを侮っている訳ではなく、ウィンにつられて口調が砕けてしまったのだ。もちろんウィンは気にしていない。
「ああ、なるほど! それは気が回らなかった。けど、我々に公女殿を害する気があったら2人じゃどうにもならないだろうに」
ウィンは得心したようだが、余計なことを言ったので騎士たちに緊張感が走る。
ウィンのせいで話が進まない。
「サインフェック副伯は現在の情勢をどのように見ておられるのか。どのような解決をお望みか。公女殿がその代弁者ということでよろしいか?」とフォロブロンが口火を切った。
「サインフェック副伯陣営としては、ロンセーク伯とフォルゴッソ卿が共謀してナルファスト公を殺害。その罪をサインフェック副伯とデズロント卿に着せて排除し、公位継承を確実にしようとしている、という認識です。私の要求は2つ。真実を明らかにして下手人に罪を償わせること。そして公国の平和の速やかな回復です」
「2つの要求についてはごもっともなんですが、認識に齟齬がある。ロンセーク伯側は、デズロント卿がナルファスト公の死に関係していると考えている。ここを擦り合わせないとね。困ったなあ」と、ウィンは頭をかいた。さも困ったと言わんばかりに両眉を下げるとますます風采が上がらない。元の造形は悪くないだけにもったいないことだとウリセファは思った。いや、ウィンの顔はどうでもいい。
「困っていても仕方がないでしょう。監察使殿は一体何をしに来たのですか?」
「何をしたらいいと思います?」
真顔で問い返すウィンに、ウリセファは絶句した。
「ロンセーク伯とフォルゴッソ卿が共謀しているというのはデズロント卿から聞いたことですね? 証拠は? 公女殿はロンセーク伯とフォルゴッソ卿がナルファスト公を殺したと思います?」
突然ウィンに詰められて、ウリセファは答えに窮した。確かに、この状況はデズロントから聞いたことを基に発生している。そして、ウリセファはデズロントにも疑念を抱いている。
「ところで、サインフェック副伯は今どこに? サインフェック副伯にお目にかかることはできますか?」
「サインフェック副伯は領主の支持を募るために地方を回っています。私もしばらく会っていません」とウリセファは答えたが、正直なところスハロートが何をしているのかよく知らない。ルティアセスらからそう聞かされているだけだ。
「サインフェック副伯と連絡が付かないことには話が始まらない。ロンセーク伯とサインフェック副伯を直接会わせるのが早いと思うんですよ。仲直りには」
「仲直り……ですか?」
「ナルファスト公の死の真相とかもまあ重要ですが、要は2人が仲直りするのが先決かと」
ウリセファは監察使の顔を改めて眺めた。公国の存亡を懸けた複雑な政治情勢を子供の喧嘩程度にしか考えていない脳天気さが腹立たしい。
いや、子供の喧嘩に「してしまう」ということか。それはウリセファが望む結末に通じる道かもしれない。だが監察使の真意はまだ読み切れない。
「セレイス卿は誰の命でどんな決着を指示されているのですか?」
この際だ。駆け引きなしでウィンの反応を見てみることにした。
「私の主は皇帝陛下のみ。宮内伯たちの中にはサインフェック副伯を推す者もいますが、私の知ったことじゃありません。でも皇帝陛下からも具体的な指示はなかったので行き当たりばったりです。だからナルファスト公国の内紛がいい感じで治まれば、それで任務完了です。後はナルファスト公国が好きにしたらよろしい。そこまで面倒見切れません」
「さすがに内情をぶちまけ過ぎではありませんか」とムトグラフが恐る恐るたしなめた。
「ムトグラフ卿の雇い主はサインフェック副伯推しですしなぁ」と、これを機会にムトグラフの反応を見ようとフォロブロンが当てこすった。ムトグラフは嫌そうに顔をしかめたが何も言わなかった。ベルウェンは貴族たちのやりとりを愉快そうに眺めるだけだ。
「ところで、アデンはどうされた。いつものように口出ししてきませんね」と、ムトグラフが話題を変えた。彼にとって都合のいい流れではなかったのだ。
「そういや現れませんな。あの出しゃばり奴隷は美女が苦手のようだ」とベルウェンが初めて口を開いた。低いがよく通る声だ。
「アデン……とは?」
ウリセファが問うと、フォロブロンが答えた。
「セレイス卿付きの奴隷、というやつです。突然現れて会話に入ってくるのです。公女殿に無礼があっては大変だと心配していたのですが、今日は出てきませんね」
「まあ、奴隷が。貴族同士の会話に口を挟むとは」
「赤面の至りですな。何と言うか……我々はもう慣れてしまいまして」
貴族同士の会話の場に奴隷が自由に出たり引っ込んだりして口出しするなど、ナルファスト公国では考えられないことだ。帝都ではこれが普通なのか、セレイス卿陣営だけの雰囲気なのか。
ウリセファが見るところ、監察使たちはナルファスト公国を帝国の都合に合わせてどうこうするつもりはないんらしい。頼りにはならないが信用はできそうだと感じた。根拠も証拠もないが。
そもそも小娘一人騙して操るなど容易なはずだ。だがこんな調子では騙されようがない。騙す気ならばもっと信用させようとするだろう。信用させる気がなさそうなところが信用できる。ただしあてにできるかどうかはまた別の話だ。
「サインフェック副伯に、直接対話に応じるように言ってみましょう」と言って、ウリセファは席を立った。監察使の様子を探るという目的は達した。スハロートをここに連れてくれば、監察使がレーネットとの仲を取り持ってくれるのではないかという希望も持てた。であればスハロートを探すのが次の目標だ。
ウリセファの退出を見届けると、ウィンはベルウェンに尾行を指示した。
「公女殿を送り届けてくれるかい。こっそりと」
「どこまで?」
「行き先が分かれば十分」
ベルウェンは左眉を軽く上げて了承した旨を示すと、天幕から出て行った。そうしたことに長けているものに指示するのだろう。
ムトグラフにはこれがやや意外だったらしい。
「行き先はプルヴェントではないとお考えで?」
公女はサインフェック副伯にしばらく会っていないと言っていた。それに「私の要求」とも言っていた。「サインフェック副伯の要求」ではないのだ。サインフェック副伯の意を受けた訪問ではないように感じる。2人の間に隙があるのか、強固な信頼関係に基づいて独自行動しているのか。公女がどこに向かうのかで何か分かるかもしれない。




