領国へ
オルドナ伯領の事態を受けて、諸侯には領国への下向が下知された。事態の推移によっては諸侯に軍役が課される可能性がある。
ウィンとアルリフィーアも領国に戻ることにした。
変わり者の女公爵は、馬車ではなく自ら馬に跨がることを好んだ。
寒風が彼女の頬に突き刺さる。一瞬眉をひそめてから、空を見上げた。
冬の帝都は曇りがちで、陰鬱な気分になる。灰色の空を見ていると不安になる。
隣のウィンは、相変わらず死んだ魚のような目でぼんやりしている。これはいつも通りだが、少し表情が冴えない。これに気づけるのはアルリフィーアだけだった。
「戦況は思わしくないのか?」
「良くないみたいだね」
「ヌヴァロークノ王国も気の毒じゃが、もう少し待てなんだかのう。新帝はヌヴァロークノに同情的だったと聞くが」
「皇帝の葬儀やら国内態勢の確立が優先だからねぇ」
「しかしまた、都合の悪いときに攻め込んできたものじゃ。葬儀の時期を狙うとは」
「狙って……はいないんじゃないかな」
「そうなのか?」
かつてフォロブロンも考え、否定したことだった。皇帝崩御の報を得てから遠征軍を編制するのでは間に合わない。ウィンは、「偶然」と結論付けた。人の意思を介在させるよりも合理的だ。
人はすぐに因果関係を見いだしたがる。だが、この世の事象のほとんどは、無関係なのだ。
「なるほど偶然か。ふむ、プルティスラは気紛れじゃというからのう」
「おかげで厄介なことになった」
ケルヴァーロの初動が遅れたのはかなり痛い。ケルヴァーロが在国していれば、ヌヴァロークノ軍の規模が小さいうちにナインバッフ公国軍だけで対処できたかもしれない。
恐らく、ヌヴァロークノ軍は増援を重ねて大兵力をオルドナ伯領に展開している。ナインバッフ公国軍だけでなくナインバッフ・グライス軍の総力を挙げても戦線を押し返すのは苦労するだろう。
「帝国は、やはりヌヴァロークノ軍を殲滅するまで戦争を続けるのか。それとも適当なところで和平を結ぶのかのう」
「和平はないね。帝国とヌヴァロークノは完全な敵になった。帝国は領土を侵した敵を決して許さない」
ポルトヴィク王国がスルヴァール王国に侵攻してきたロメルト・クリズル戦争は、ポルトヴィク王国への侵攻と新領土獲得で決着した。
すると、ヌヴァロークノ領への侵攻という流れになるのだろうか。だが、寒冷化したヌヴァロ島を獲得しても仕方がない。あの島に価値はない。
「となると、帝国としての戦争終結点は国王クーデル三世の処断、かな」
「そうなるしかないか」
「まあそんなわけで、長い戦いになりそうだ」
「ナインバッフ・グライスだけでは手に負えぬかもしれぬのう」
「そうなると、ガリトレイム・グライスが次の担当グライスということになる」
枢機侯が長官を務めるグライスは、隣国に備えることが最大の任務だ。
ワルヴァソン公国は西の大国フェンエルス王国から帝国を防衛している。フェンエルス王国は一〇万を超える軍を擁しているとも噂されており、ワルヴァソン公が出陣を命じられ可能性は低い。
ナルファスト公国やスルヴァール王国も、そう簡単には他方面に兵を出すことはできない。
こうした場合、内陸部にあって他国と接していないグライスが援軍に利用される。他国には接しておらずナインバッフ・グライスに隣接するガリトレイム・グライスは、今回の援護に最適の位置にある。それは、ガリトレイム・グライスに属するラフェルス伯やカーリルン公が出陣を命じられる可能性があるということでもある。
ウィンは首を振って溜息をついた。
「やっぱり出陣になるのかなあ。冬の北国は嫌だなあ」
「今からぼやくでない。シャキッとせい!」
「ナインバッフ公、ご武運を! ぜひ一人で全部片付けてください!」
「ウィンは、楽をするためなら全力で祈るんじゃな……」
◆
帝都では、戦争を知った商人たちが商品の値上げを始めている。戦争の推移次第では仕入れ値が上がる。その前に値上げして、仕入れ値高騰時の資金を先に稼いでおこうという魂胆である。食料品をはじめとする生活必需品は、値上げされても買わないわけにはいかないので客の足元を見た強気の商売ができる。
「全く、何から何まで急に値上がりしちまったねぇ」
娼婦のアディージャは帝都の表通りを歩いていた。胸元や太ももをむき出しにした服を着ていると目立ち過ぎるので、娼館街以外では肌を隠した常識的な服を着ている。こうしていると、彼女も「豊満な身体をした妖艶な美女」から「派手めの化粧をした大柄な美女」程度になる。
ふと顔を上げると、南門に向かう貴族の一行が見えた。皇帝の葬儀のために集結した貴族が領地に帰るのだろう。
行列の中程に、馬を並べて歩く男女が見えた。
「ウィン……」
全く貴族に見えなかった男が、それなりに貴族らしい服を着ている。隣には、アディージャ流に表現すれば「とんでもないぺっぴん」の女貴族がいた。二人は、とても楽しそうに語り合っていた。
「あれがウィンの嫁さんなのかねぇ」
アディージャは、自分でも何だか分からない、初めて感じる不快な気分に酔って、二人に背を向けて娼館街に向かった。あれは自分とは別世界の光景だ。自分には無関係な世界なんだと自分に言い聞かせながら。




