5 結ばれざる停戦協定
機動要塞オーディンの作戦司令室で、ファウスト・レオンハルトは大きく溜息を吐いた。
「閣下? どうなさいましたか?」
秘書官が不思議そうに尋ねる。
「む……。いや、一週間後の停戦協定について考えているのだがね」
「何か、問題でも?」
「ああ、名ばかりの停戦だな、と思ってね」
秘書官の言葉にファウストは万年筆のキャップを付けたり外したりしながら答えた。
「どこが有利だと言えない状況下での停戦だ。しかも今回の期限はたったの一年間。考えてしまうのは、一年後に必ず起こるであろう、戦争の事ばかりだ」
そこまで言うと、椅子から立ち上がる。
「私が不甲斐ないばかりに、娘には辛い思いばかりさせるな、と思ってね……」
「ご息女、ですか……? 失礼ですが、閣下にお子様は……」
「私生児だよ。昔付き合っていた女性との間に生まれた。この戦争が終わったら、私自身が退役をして、名乗りを上げるつもりだったが、気付けばもう六年近くなる……」
いつの間にか娘は軍人になって、エースパイロットの一人として最前線で戦っていたよ。そう呟くのを秘書官は聞き逃さなかった。
「まさか、閣下のご息女というのは……」
秘書官の言葉を遮るように、作戦司令室に置かれた三台の電話の内の一つが大きく音を鳴らした。
「私だ……。フム、わかった。警戒体制を強めるようにしてくれたまえ。引き続き捜査を続行するように」
一転して軍人の顔になったファウストは、受話器を置くと、手にしていた万年筆で命令書をしたためた。そして、それと一緒に何かを封筒に入れると、蝋で厳重に封をする。
「アルバート君」
「ハッ」
突然名前を呼ばれて背筋を伸ばすアルバートに、封筒を渡す。
「君はこれから、アフリカ基地に行ってリリス・ヒューマン中尉に、直接、この指令を渡してくれたまえ。くれぐれも『直接に』だ」
「これから、ですか?」
「私は二度、同じ事は言わんよ。もし私に何かあったら、娘を頼む。一応、清涼剤は用意しておいたが、同時に厳しく意見するべき者も必要だろう。あれは、強いようでいて弱い所を多く持ち合わせている。誰かが支えとならねば、すぐに道を見失ってしまうだろうからな……」
その言葉にアルバートは敬礼をすると、命令を復唱し、もう一度敬礼をする。
「本当に娘を不幸にする命令ばかり押し付ける、駄目な父親だな、私は……」
アルバートが退出して、充分な時間が経ってから、ファウストは小さく呟いた。
そして一週間後。
停戦協定の場に選ばれた冥王星群軌道上の人工衛星ペルセポネの周りには、地球連邦シリウス方面軍機動要塞オーディンを中心に十二個艦隊、シリウス連合対外制圧艦隊十一個艦隊、そしてプロキオン奉龍艦隊対外威圧隊、牙龍艦隊七個艦隊が一堂に会していた。
それはまさしく、その会談に集まる人間の地位の高さを意味していた。
地球連邦軍は対シリウス方面軍総司令ファウスト・レオンハルト参謀少将。シリウス連合軍は対外制圧総司令チャン・ホウ中将。プロキオン奉龍教団からは枢機卿ガン・グリフォード。普通では考えられない顔ぶれが、たった一箇所に集まり、その警備の厳重さは近年稀を見るほどに高かった。
そしてその状況は、銀河系の全ての恒星国家に向けて生中継されていた。
「格好の宣伝材料だな、リチャード……」
冥王星群から三天文単位ほど離れた位置で様子をうかがっていた黒いHATが傍に待機している、ステルス塗装を施した輸送艦に向けて短距離通信を送る。
『ああ……。せいぜい派手に暴れてこい。その機体にはそれだけの『力』がある』
「そのつもりだ。合流地点で待っていろ。俺もすぐに向かう」
通信を切ると、黒いHATはバーニアを吹かして、冥王星群、正確には人工衛星ペルセポネを目指して加速を始めた。
停戦協定の内容に、三者三様の要求がなされ、それぞれに妥協点を見出し、三者が同時にサインを入れようとした、その瞬間、激しい轟音がペルセポネを揺るがした。
「な、何事だ!?」
最初に声を上げたのはファウストだった。だがその声に警備兵たちは首を横に振った。
ファウストは慌てて外部モニターのスイッチを入れる。そこに映されたのは、すでに何者かと戦闘状態に突入している、三つの陣営の艦隊の姿だった。
「状況を報告しろ!」
ファウストが狼狽の声を上げるのと同時に、一人の士官が駆け込んでくる。
「未確認のHATが突如飛来して、戦闘を仕掛けてきました!」
「バカモノ! 未確認とは何だ!? 大体、オーディンのレーダーで捕らえられないHATなど無いだろうが!」
ファウストの言葉も無理はない。機動要塞オーディンはその性質上、最大索敵範囲は二天文単位を遥かに超え、それは、全銀河系を含めても最も広い。
「き、機体照合の結果、地球、シリウス、プロキオン、その他、全ての恒星国家軍に該当機体なし、と出ました!」
「出来うる資料をすべて集めろ!」
怒鳴るファウストを嘲笑うかのように、正面モニターに黒い機体が映し出される。
『死に逝く貴様たちに、その必要はない』
冷たく、会場を飲み込むかのような、暗い声。
「そ、その声は……」
『今、タルタロスの門を開いてやる。無限地獄の底で悔やむがいい』
黒いHATの胸甲がゆっくりと開く。
「な……」
――闇!?
誰かが声を上げる。
『ケルベロスキャノン、照射』
黒いHATから放たれた一撃は、人工衛星ペルセポネと、そこに居合わせた艦艇の半分を飲み込み、爆発の渦を創り出していた。
『ククク……ハァッハッハッハ……』
黒いHATから響く哄笑が、通信衛星を通じて全銀河に放たれた。
リリスにとって、その週は久しぶりに取れた外出許可だった。基地から外に出ると、その足で空港に向かい、北アメリカのニューヨークにある連邦軍総合病院に向かうつもりだった。その為に飛行機の切符を二枚購入する。
「リョウに会うのも久しぶりね!」
「中尉、嬉しそうですね?」
無論、機密事項を知っている以上、単独で行動できないのは理解している。だから、監視役にキリコを選んだ。
「キリコ? プライベートなんだから、堅苦しい階級で呼ぶのは止めてくれる?」
「ハイ、中尉」
それ以上何を言っても無駄な事は理解しているから、あえて注意はしない。
「で、結局のところ、中尉と少尉はどういった関係なんです?」
階級で呼ぶ以外は、かなりくだけた口調になっているのを感じ、リリスは苦笑する。
「うーん……。言うなれば幼馴染み兼友人以上、恋人未満、かな?」
飛行機の客席に腰をおろすと、リリスは簡潔に答えた。
「幼馴染み兼友人、ですか?」
恋人未満、というのも微妙ですね、と、不思議そうな声を上げるキリコに、リリスは優しい笑みを浮かべる。
「そ、幼馴染み。信じられる? 私、子供の頃、苛められてたのよ」
リリスの言葉に、信じられません、とキリコは呟く。
「ま、誰だかは知らないけど、軍の上級士官の私生児なのよね、私。それが原因で、よく苛められて、それを庇ってくれていたのが、リョウ」
笑いながら言うリリスに、キリコは首をかしげる。
「もう一人、従姉妹のお姉さんもいるけど、それはここでは関係ない話ね」
「え、と、もしかして中尉が軍に入ったのって……」
「さて、それも一つかもしれないけど、一番の理由は、お金がかからないから、ね」
リリスは笑みを絶やさない。
「お金、ですか?」
「そ。よくある話だけど、普通に大学とかに行って企業に就職するよりも、士官学校に入った方がタダで勉強させてもらえる上に、就職にも困らない。五年以上の軍務につけば、退役年金が出るし、再就職も簡単。毎月、父の代理人とか言う人から、かなりの額がうちの口座に振り込まれていたらしいけど、それを使う気にはなれなかったというのも、士官学校に入った理由の一つね」
一旦言葉を切ると、客席から見えるモニターに目を移す。
「そう言えば、今日だったわね」
「え? ああ、向こう一年の停戦協定の調印日ですか……」
キリコもまた、同じモニターに目をやる。
「多分、一年後には今まで以上に厳しい戦争が待っている。そうなったら、いくら予備役とはいえ、私たちも戦場に駆り出されるかもしれないわね」
「そう、ですね……」
キリコの小さな相槌が入った瞬間、モニターから閃光が走る。
「え……?」
「ちゅ、中尉、あれ……」
モニターからあふれ出す爆音。そして映し出される黒い機影。
「新型のHAT……?」
「……似ている」
二人の口から漏れる小さな呟き。
「中尉?」
「そこで右旋回。振り向いて背後にいる敵機を迎撃。撃墜した目の前の残骸を蹴ってバーニア加速……」
リリスの言葉通りに黒いHATが動く。
「中尉? もしかして、その行動パターンは……」
キリコが不安そうに声をあげた瞬間、モニター一杯に黒い影が映し出される
「ここで……」
『ケルベロスキャノン、照射』
モニターを通じて響く声に、リリスの声が止まる。
「い、今の声……」
そして、モニターにノイズが波打つ。聞こえるのはノイズの向こう側から響く笑い声。
「中尉、今の……」
「……間違い無い」
キリコの掠れた声にリリスは頷いた。
「あの新型に乗っているのはリョウ、ね……。そして、リョウは地球連邦軍、いえ、全銀河に対して反旗を翻した……」
キリコに答えるリリスの声は深く沈んでいた。




