2 再出発
軍刑務所から出てきたリリスを待っていたのは、無数の人とフラッシュの嵐、そして二十は下らないマイクだった。
「うっわ……」
リリスは目の前で起きている光景に、一瞬何が起きているのか、わからなくなった。
「リリスさん! 今のお気持ちを一言!」
「リリスさん! こっちにも一枚!」
「今回の軍法裁判に関して一言!」
その全てを通り越してリリスの目に入ったのは『ユニコーン』の乗務員たちだった。
「みんな……」
ゆっくり、恐る恐る、リリスは歩き出した。
「リリス!」
その姿を見て、キリコが先頭を切って走り込んできた。抱きつかれた勢いで倒れそうになるところを支える様にアルバートが手を伸ばし、イワンとミツルが控えめに近付いてくる。その後ろからラッセンに肩を貸しながらフェリアシルが歩いてくる。
「フェル……」
「どうだった? 軍刑務所の中は?」
フェリアシルの言葉にリリスは静かに首を横に振った。
「最低。もう二度と入りたいとは思わないわね」
「そう……」
フェリアシルとリリスの距離が五十センチほどまでに近付き、誰もが友情の固い握手を交わす瞬間を逃すまいと息を呑んだ瞬間。
パァン、という乾いた音が盛大に響いた。
「え……?」
リリスは呆けた顔で叩かれた左頬に手を当て、キリコは自分の頭上で何が起きたのかわからずに目を瞑り、他の面々はその様子を見守った。
「バカ! あなた一体何考えてるのよ!? あそこで投降するなんて、銃殺してくださいって言っている様なものじゃないの! 大体、私たちの誰があんな事を望んだって言うのよ!?」
涙を流しながら叫ぶフェリアシルにリリスは視線を落とした。
「あの時、あれが一番……」
「えぇ、そうよ! 一番、最悪な一手だったわよ! あなたは悲劇のヒロインを気取って、一人で罪を被って、みんなの命を救った様な気分に浸れたでしょうけど、それであなたが銃殺されたら、私たちは一生後悔し続けなくちゃならなかったのよ!?」
捲くし立てるフェリアシルにリリスは頭を下げる。
「ごめんなさい……」
大粒の涙を流すのを見て、ようやくフェリアシルは笑顔を浮かべ、右手を差し出す。
「お帰り、リリス」
「ただ、いま……」
その手を握り返した瞬間、観衆から大きな歓声が上がった。
リリスは小さく伸びをすると、高々と昇った太陽を見上げた。
「あふ……」
もう一度、伸びをする。床に散らばる紙の新聞には、フェリアシルに盛大に叩かれた自分の写真と『真紅の女神、釈放へ!』という見出しがある。
「あ、やっと起きましたね、リリス」
「あれ……? 何で、キリコが……」
机の上に料理を並べているキリコの姿を見て、リリスは記憶を探る。
「とりあえず、顔でも洗ってきたらどうです?」
キリコの言葉に従って、洗面所に向かい、鏡の中の自分を見る。
――あれ? 猫耳……?
頭に手を伸ばし、それがようやくカチューシャだと気付く。
「あぁぁ!」
ようやく記憶がよみがえった。
――釈放祝いとか言って、キリコの家でお酒を飲んだ……。
酒の勢いでフェリアシルがメイド服を着たのが始まりだった。
「あれ? 取っちゃったんですか? せっかく似合っていたのに」
悪戯をする子供もさながら、という笑みを浮かべると、キリコは残念そうな声を上げる。
「キリコぉ……」
「あ、怒るのは無しですよ? リリスだってかなり乗り気でしたから」
キリコの言葉にリリスは絶句するしかなかった。
「あ、それと、ばっちり写真も撮っておきましたから、ここに来れなかった男性陣に焼き増しして、お配りします!」
「それだけはやめてぇ!」
懇願するリリスにキリコが右手の人差し指を立てる。
「いいえ、配ると言ったら配ります! リリスは、あなたの釈放に私たちがどれだけ苦労したか、わかっていないでしょうから、これは罰です!」
「それとこれとは話が別でしょぉ!?」
絶叫するリリスに、意に介した風もなくキリコは首を横に振る。
「別にいいじゃない。減るもんでもないし」
いつの間にか起き上がっていたフェリアシルが、机の上に並べられたサラダボールからキュウリスティックを一本つまみ食いをする。メイド服に、ぼさぼさの黒髪。誰がどこから見ようと、これで連邦軍の少佐で、最年少の駆逐艦艦長とは思えない格好である。
「私の尊厳が減るわよ!」
「誰も損しないじゃないの」
あっさりと切り捨てるフェリアシルに、リリスは観念したように肩を落とす。
「……どうでもいいけど、そのメイド服、脱いだら?」
ようやく出た、リリスの冷めた口調にフェリアシルは、そうね、と笑うと、洗面所に姿を消した。
「それより、これからリリスはどうするの?」
洗面所の奥で着替えをしながら尋ねるフェリアシルに、リリスは首を傾げる。
「どうって……。軍に未練もないし、かといって職は無いわね……。最悪、フォボスで母さんの手伝いをしてもいいかな?」
「ふぅん……それでいいの?」
フェリアシルの言葉にリリスは、どういう事、と聞き返す。
「ん? 私たち今回の件で軍をお払い箱になったの。で、私はこれから、何でも屋で仕事でもやろうと思っているんだけど、リリスも加わらない?」
「何でも屋って、何をするつもりなの?」
「まぁ、文字通り、何でも、よ。子供の遊び相手から、民間輸送船の護衛まで」
フェリアシルはそこまで言うと、ここだけの話、と付け加える。
「実は、ユニコーンをただ同然で払い下げしてもらって、ちょっと型は古いけど、HATのワルキューレを一機つけて貰ったの」
「それでHATのパイロットに私? どうでもいいけど、ずいぶん太っ腹な話ね……」
「まぁ、あれを払い下げ、と言うのでしたら、ですけど……」
キリコが口をはさむ。
「いやぁ、あの姿はリリスにも見せたかったですよ。軍の上層部に向かってスラングの連発と脅しの効かせた言葉。今のフェリアシルからは考えられませんね……」
「フェル……あんた、一体何したのよ……?」
呆れた声を上げるリリスに、フェリアシルは軽く手を振る。
「いやぁ、あなたを釈放しようと、過去を調べまくったら、例の魔女裁判が出てくる、出てくる。あまりの多さに、唖然としたわよ」
リリスが視線を向けると、キリコが同意する様に頷く。
「で、総司令部に殴り込みに行って、脅し半分、強請り半分。本来、そう言う事は私の得意分野ですが、あまりの剣幕に、私が気付いた時には、ユニコーンとワルキューレの値段交渉に入っていて……」
キリコが現場を思い出しながら説明し、リリスはキリコに耳を近付ける。
「で、いくら……?」
「それが……」
キリコが小声でリリスに答えを返す。
「はぁ!? それ、宙間ヨットの中古相場じゃない!?」
リリスの素っ頓狂な声に、フェリアシルが笑いながら洗面所から出てくる。
「ま、そう言う事。で、他のクルーは全員、うちに来る事が決まっているんだけど……」
「もちろん、私たちも加わる事を考えているんですけど……」
キリコは僅かに上目遣いをしながら、リリスに視線を送る。
「リリスも加われば、楽しいとも思うんですよ」
「そう、ね……」
リリスは考える風に、宙を見上げると、足元の新聞を手に取る。
「リリス?」
フェリアシルがその動作に不思議そうな声をあげると、リリスは『新聞の見出し』を二人に突き付ける様に差し出した。
「いいわ。しばらく厄介になる。どうやら、私は『真紅の女神』らしいから。良い宣伝になるでしょ?」
その言葉に二人は満足そうに頷くと、リリスに抱きついた。
「そうよ! こんな良い宣伝材料、逃す手は無いわ!」
「もう少し、一緒に仕事です!」
嬉しそうな二人の言葉は、新しい道を見つけた『リリス・ヒューマン』にとって、今まで得て来た何よりも心地いい物だった。
【完】
これでこの物語はいったん終了となります
最後まで付き合ってくださった方、ありがとうございます。
作者の中では『リリス』が『リリス・ヒューマン』になっていく過程を楽しみたいので、もしよろしければ、続編希望とか、コメントください。
糧になりますので!!




