ヒント
月の綺麗な夜のことだった。
私はなんだか眠れなくて、聖女殿のバルコニーに出ていた。
聖女殿に帰って来たのも久しぶり。
懐かしさを感じつつも、やっぱり眠れなかった。
「……スイ様」
虫の鳴き声だけがしていた中庭に、一つの声が響いた。
目を向ければ、そこにはフィスロの姿。
聖女補佐官でもなく、王太子でもなく。
ただのフィスロが、軽装で立っていた。
「こんな夜にどうしたの?」
「それはこちらのセリフですよ」
フィスロはくすりと笑った。
瞬間、彼の身体はエメラルドグリーンの光に包まれた。
あっと思ったときには、フィスロは私の隣に立っていた。
「眠れないんですか?」
「うん。色々考えちゃってね」
「色々とは?」
「例えば……やっぱり平和だなってこととか」
平和すぎるくらい、平和な国。
それを知るために、王宮へ行った。
だけど、得たのは私が『青の聖女』だということと、フィスロが王太子で『緑の王』だったということ。
なんか、違う結果だ。
「そこが疑問なんですか?」
「うん。だって、人間は必ずどこかで軋轢を生む生き物だから。それがないっていうのが、本当に不気味なんだ」
平和だと言われている日本にだって、犯罪は毎日起きている。
戦争はないかもしれないけど、人を亡くすような事件だってある。
それがあっても、日本は平和だと言われている。
だけど、この国は違う。
近衛兵や騎士はいるけど、それはただの職業なだけ。実際に戦ったりすることはない。
人同士の争いもなければ、身分の差による諍いもない。
まるで、誰かに操られているように。
「不気味……そうですね、不気味ですよね」
「ごめん。フィスロは、王太子なのに」
「いいえ。とんでもない」
そう言って、フィスロは微笑んだ。
どこか、影のある笑顔で。
「スイ様は、もっと不思議に思うべき場所があるはずですよ」
え?
*
月明りに照らされて、フィスロの銀髪が輝く。
エメラルドグリーンの瞳は、ちらちらと瞬いていた。
「不思議に思うべきところ?」
「えぇ。何も思いませんか? ……やっぱり、スイ様は思わなかったんですね。予想通りで、フィスロは悲しいです」
「ちょっと、何も言ってないじゃない。相変わらず失礼ね」
私のツッコミに、楽しそうに笑うフィスロ。
あ、なんか久しぶりにいたずらっ子フィスロを見たなぁ。
王宮に行ってからは、ずっと作りものの笑みみたいだったから。
「ヒントちょうだい」
「ヒントですか? じゃあやっぱり……」
「分かってない訳じゃないの! 自分の考えが合ってるのか知りたくて!」
「そういうことにしときます」
フィスロはくすくすと笑いながら、私を見た。
ふん、失礼にもほどがあるよ。
「そうですねぇ。ヒントは『翠玉目録』で」
「え? 翠玉目録がヒント?」
なんで?
あれは図書室のために私が作ったやつで、パソコン代わりみたいなもの。
目録のおかげで検索が早くなって、学生たちには大変好評をいただいている。
それが、なんで?
作ったのは私だけど、名前を付けたのはフィスロ。
私のことを考えて付けてくれた名前が、本当に嬉しくて──。
「……あ」
そのとき、ぞくりと冷や汗が背を伝った。
まさか、そんなことって……。
私、分かっちゃったかもしれない。
「分かりました?」
「……怖すぎ」
それしか出てこなかった。
自分を守るように腕を組んで、フィスロを見上げる。
フィスロは、相変わらずイケメンだった。
「さすが、聡明ですね」
「御託はいい。『翠玉目録』って名前を付けたのは、私に気付かせるためなの?」
「はい。いつか、気付いていただけたらなって」
フィスロは、淡く微笑んだ。
手を伸ばして、私の黒髪をそっと触れる。
リンちゃんのおかげで、私の髪はサラサラだ。
それで遊ぶように、フィスロは触り続けた。
「この国に召喚されてすぐに気付いていると思っていました。この国の言語について」
「ライトノベルあるあるの、チート操作だと思ってた」
「よく知らない言葉は止めてもらって」
フィスロはおもしろそうに笑った。
「スイ様は、ずっと『向こう』の言葉を話されています。それは操作などではなく、こちらの言葉が聖女様の世界の言語になっているからです」
「だから、『翠玉目録』って付けたんだね」
──「それでは、『翠玉目録』なんていかがでしょう?」
──「翠玉って、私の名前……」
あの日の出来事が、脳裏に思い浮かぶ。
フィスロは、私が作ったシステムに『翠玉目録』という名を付けてくれた。
それは、私の名前『本浦翠』を忘れないようにと考慮してくれたもの。
私の『翠』という名前の字、私の魔力の色。
それらを総合して付けられた名前。
その時点で気付くべきだった。
この世界観を基準とするなら、きっと『翠玉』でなくて『エメラルド』だ。
名前に基づいて付けられた、翠玉目録。
私のために付けられた名前。
それは、フィスロの優しさだった。
「それが、平和の秘密に繋がるの?」
「えぇ」
フィスロは、私の髪から手を離した。
その手は、すっと私の前に掲げられる。
光が集まって来て、その中からあの指輪が現れた。
煌めくエメラルドが嵌められた、黒い指輪が。
「歴代聖女様の髪が黒色であること、『向こう』の言葉が使われていること。これらを紐解いていったとき、平和の真実が見えるのです」
月が、指輪を照らす。
黄金の光が、黒い指輪を煌々とさせていた。




