フィスロ
久しぶりに、学園の図書室に行きたくなった。
図書委員の子たち、ちゃんとできてるかな。
寂しがっていないかな。
そんなことを考えながら、支度をしていると。
「スイ様」
王宮で使っている部屋に、フィスロが入ってきた。
今日は、王太子スタイルで。
相変わらず、超イケメンである。
「お話、よろしいですか?」
図書室に行きたかった。
そうしたら、全てを忘れて本を読めるから。
でも、そういう訳には行かない。
王太子の正体を知ったからには、やるべきことがある。
「スイ様は、もとの世界に戻りたいと思ったことはないんですか?」
「え?」
リンちゃんが用意をしてくれたお茶を、思わず吹き出しそうになった。
二人きりで向かい合うテーブルの向こうでは、フィスロが真剣な顔をしていた。
フィスロによってかけられた結界魔法が、エメラルドに輝いている。
「急な質問だね」
「今までの聖女様は、もとの世界に戻りたい方が多かったそうです。スイ様は、そのようなところが見られなかったので」
確かに、私はこの状況を受け入れた。
もとの世界に戻りたい気持ちはあったし、人生計画が狂ったことに驚きもあった。
でも、なんだかんだ楽しかったんだよね。
ライトノベル好きだから、この世界の常識に違和感はなかったのかも。
「結局は、司書教諭にもなれたし。私は本に囲まれて生きたいっていう気持ちが大きかったから、環境は何でもよかったのかもね」
「……それって、寂しくはないんですか?」
フィスロは、そっと目を伏せた。
「いきなり知らない世界に飛ばされて、家族からも離されて。僕は、スイ様が望むのでしたら、もとの世界に戻る方法を考えるつもりでした」
そんなこと、考えてたんだ。
無理そうなのにね。
それが、聖女補佐官の役目なのかな。
そう考えたとき、ふと思った。
フィスロは王太子なのに、なぜ聖女補佐官をやっていたのだろうか。
「僕が聖女補佐官をやっていたのは、ある理由があるんです」
フィスロは、そう告げた。
*
窓の外は、陽が雲に隠れ始めていた。
雨が降る前の、あの独特な香りがする。
日本でもここでも、それは同じなのだろう。
「聖女様が召喚されると聞いたのは、僕が成人になった頃でした。それが、僕の『緑の王』としての初の仕事だったんです」
「初めての?」
「はい。これから召喚される『青の聖女』を補佐する──悪く言えば、監視です」
監視。
その言葉が、冷酷に突き刺さってくる。
私は、無意識に手をぐっと握りしめた。
「私が、逃げ出さないように?」
「それもあります。ですが、僕はそう考えたくなかった。むしろ、これから召喚されてくる『青の聖女』なる人を、救いたかったんです」
え?
どういうこと?
「召喚されてくる人が『青の聖女』だということは、僕しか知らないことです。僕は『緑の王』で、その肩書きに束縛されて苦しいことが多くありました。それと同じ経験を、『青の聖女』様にはして欲しくなかった。だから、聖女補佐官となって近くに控え、お支えしようと思いました」
いつもは優雅に飲んでいる紅茶。
そのカップが、今日は震えていた。
あぁ、フィスロも大変だったんだな。
そう思うと、ぐっと溢れてくる何かがある。
「歴代の聖女様は、自由に過ごされました。でも、『青の聖女』として知れ渡ったスイ様は、彼女たちほどの自由はなくなります。なので、もし帰られるのなら今のうちです」
そう言って、フィスロは淡く微笑んだ。
「今からでも方法を探します。だから──」
その顔は、今にも泣きそうだった。
いつもはキラキラ輝く少年みたいなのに。
こうやって、自分の感情を閉じ込めてきたのだろう。
それが、耐えられなかった。
──子どもたちに、教師の価値観を押し付けてはだめ。子どもだって、自分で考えることができる人間なのよ。
いつしか、恩師が言った言葉が蘇った。
そうだ。
私は、子どもたちのことを尊重して接する教員になりたかったんだ。
「ねぇ、フィスロ」
私は、立ち上がった。
この想いは、椅子に座っていたら言えない。
お腹の奥底から、心の奥深くから、言うべきだと思って。
「この世界は、綺麗なんだ」
窓へ近づく。
聖杖を取り出して、バルコニーに出た。
魔力を吸い取っていく聖杖に身を任せて、空へと掲げる。
そして。
『晴照』
心が、晴れますように。
その悩みが消えますように。
そんな想いを込めて、魔法を発動させた。
分厚い雲が退いていき、太陽が顔を表す。
それは、光の階段のように地上へと降り注いだ。
「私は、行かないよ。この綺麗な世界で、フィスロと笑っていたい。『緑の王』とか王太子とか、そんなの知らない。フィスロは、『フィスロ』だよ」
そう言って、フィスロを振り返った。
フィスロの泣きそうな顔。
今までの苦労が、きっとその涙には込められている。
なら、私はその涙を拭いたい。
あたたかい陽のように。
「……スイ様は、すごいです」
しばらくして、フィスロは口を開いた。
向日葵のような、明るい笑顔を顔に浮かべて。
「今日は、月が綺麗に見えそうです」
その言葉がどんな意味を持つのか、フィスロは知らないだろう。
だから、それは私に対する答えのような気がして。
知らないなら、言っちゃってもいいように思って。
「死んでもいいよ」
いつか、分かってくれたらいいな。
「死んじゃだめです! いけませんからね!?」
今は、これでいい。




