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フィスロ

 久しぶりに、学園の図書室に行きたくなった。

 図書委員の子たち、ちゃんとできてるかな。

 寂しがっていないかな。

 そんなことを考えながら、支度をしていると。


「スイ様」


 王宮で使っている部屋に、フィスロが入ってきた。

 今日は、王太子スタイルで。

 相変わらず、超イケメンである。


「お話、よろしいですか?」




 図書室に行きたかった。

 そうしたら、全てを忘れて本を読めるから。

 でも、そういう訳には行かない。

 王太子の正体を知ったからには、やるべきことがある。


「スイ様は、もとの世界に戻りたいと思ったことはないんですか?」

「え?」


 リンちゃんが用意をしてくれたお茶を、思わず吹き出しそうになった。

 二人きりで向かい合うテーブルの向こうでは、フィスロが真剣な顔をしていた。

 フィスロによってかけられた結界魔法が、エメラルドに輝いている。


「急な質問だね」

「今までの聖女様は、もとの世界に戻りたい方が多かったそうです。スイ様は、そのようなところが見られなかったので」


 確かに、私はこの状況を受け入れた。

 もとの世界に戻りたい気持ちはあったし、人生計画が狂ったことに驚きもあった。

 でも、なんだかんだ楽しかったんだよね。

 ライトノベル好きだから、この世界の常識に違和感はなかったのかも。


「結局は、司書教諭にもなれたし。私は本に囲まれて生きたいっていう気持ちが大きかったから、環境は何でもよかったのかもね」

「……それって、寂しくはないんですか?」


 フィスロは、そっと目を伏せた。


「いきなり知らない世界に飛ばされて、家族からも離されて。僕は、スイ様が望むのでしたら、もとの世界に戻る方法を考えるつもりでした」


 そんなこと、考えてたんだ。

 無理そうなのにね。

 それが、聖女補佐官の役目なのかな。


 そう考えたとき、ふと思った。

 フィスロは王太子なのに、なぜ聖女補佐官をやっていたのだろうか。


「僕が聖女補佐官をやっていたのは、ある理由があるんです」


 フィスロは、そう告げた。





 窓の外は、陽が雲に隠れ始めていた。

 雨が降る前の、あの独特な香りがする。

 日本でもここでも、それは同じなのだろう。


「聖女様が召喚されると聞いたのは、僕が成人になった頃でした。それが、僕の『緑の王』としての初の仕事だったんです」

「初めての?」

「はい。これから召喚される『青の聖女』を補佐する──悪く言えば、監視です」


 監視。

 その言葉が、冷酷に突き刺さってくる。

 私は、無意識に手をぐっと握りしめた。


「私が、逃げ出さないように?」

「それもあります。ですが、僕はそう考えたくなかった。むしろ、これから召喚されてくる『青の聖女』なる人を、救いたかったんです」


 え?

 どういうこと?


「召喚されてくる人が『青の聖女』だということは、僕しか知らないことです。僕は『緑の王』で、その肩書きに束縛されて苦しいことが多くありました。それと同じ経験を、『青の聖女』様にはして欲しくなかった。だから、聖女補佐官となって近くに控え、お支えしようと思いました」


 いつもは優雅に飲んでいる紅茶。

 そのカップが、今日は震えていた。

 あぁ、フィスロも大変だったんだな。

 そう思うと、ぐっと溢れてくる何かがある。


「歴代の聖女様は、自由に過ごされました。でも、『青の聖女』として知れ渡ったスイ様は、彼女たちほどの自由はなくなります。なので、もし帰られるのなら今のうちです」


 そう言って、フィスロは淡く微笑んだ。


「今からでも方法を探します。だから──」


 その顔は、今にも泣きそうだった。

 いつもはキラキラ輝く少年みたいなのに。

 こうやって、自分の感情を閉じ込めてきたのだろう。

 それが、耐えられなかった。


──子どもたちに、教師の価値観を押し付けてはだめ。子どもだって、自分で考えることができる人間なのよ。


 いつしか、恩師が言った言葉が蘇った。

 そうだ。

 私は、子どもたちのことを尊重して接する教員になりたかったんだ。


「ねぇ、フィスロ」


 私は、立ち上がった。

 この想いは、椅子に座っていたら言えない。

 お腹の奥底から、心の奥深くから、言うべきだと思って。


「この世界は、綺麗なんだ」


 窓へ近づく。

 聖杖を取り出して、バルコニーに出た。

 魔力を吸い取っていく聖杖に身を任せて、空へと掲げる。

 そして。


晴照(せいしょう)


 心が、晴れますように。

 その悩みが消えますように。

 そんな想いを込めて、魔法を発動させた。

 分厚い雲が退いていき、太陽が顔を表す。

 それは、光の階段のように地上へと降り注いだ。


「私は、行かないよ。この綺麗な世界で、フィスロと笑っていたい。『緑の王』とか王太子とか、そんなの知らない。フィスロは、『フィスロ』だよ」


 そう言って、フィスロを振り返った。

 フィスロの泣きそうな顔。

 今までの苦労が、きっとその涙には込められている。

 なら、私はその涙を拭いたい。

 あたたかい陽のように。


「……スイ様は、すごいです」


 しばらくして、フィスロは口を開いた。

 向日葵のような、明るい笑顔を顔に浮かべて。


「今日は、月が綺麗に見えそうです」


 その言葉がどんな意味を持つのか、フィスロは知らないだろう。

 だから、それは私に対する答えのような気がして。

 知らないなら、言っちゃってもいいように思って。


「死んでもいいよ」


 いつか、分かってくれたらいいな。


「死んじゃだめです! いけませんからね!?」


 今は、これでいい。


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