夜
「スイ様の御髪は、本当にお綺麗ですね」
夜。
リンちゃんが、髪を梳かしてくれながら言った。
「黒髪って、他にはいないの?」
「いませんね。黒髪は、異界の聖女様を表す象徴的なものでもありますので」
へぇ、そうなんだ。
不思議なこともあるんだね。
「この国では、髪色や瞳の色が意味を為すことがあるみたいですよ」
リンちゃんは、櫛を置いて鏡の中の私を見つめた。
その瞳は、可愛らしいピンク色だ。
「特に、王族や貴族などは何かあるみたいです」
「高貴な血だからかなぁ」
「それを研究なさっていた聖女様がいらしたみたいですよ。確か、聖女殿に文献が残っていたはずです」
なんだって!?
その本は知らなかった!
これは、読まなきゃいけないやつだ!
「え、今から読むんですか?」
もちろん!
私と同じような疑問を持った聖女がいたってことでしょ? なら、なおさら読まなきゃ!
*
本当なら、書斎に籠って本を読みたかった。
でも、夜遅いからとリンちゃんに言われ、仕方なくその本を自室に持って帰って来た。
持ってきた本を、ベッドに転がりながら読む。
「ふぅん。基本的に王家は金髪なんだね」
確かに、王様もアーノルドも金髪だった。
なら、王太子も金髪なのかな。
でも、そうなると余計にアーノルドが怪しく思えてくる……。
「例外はあるんだ。『緑の王』は銀髪だったから、確率的な問題なのかも」
とは言え、これが『緑の王』探しに役立つのかは分からない。
とりあえず、知識が一つ増えたくらいだ。
そう思うと、一気に眠気がやってくる。
寝ようかな。
本を閉じてサイドテーブルに置いたとき、ふと窓に目が行った。
「わ、月が綺麗だ」
金色に輝く月が、夜空を照らしていた。
そうだ、寝る前に夜風に当たろう。
私はベッドから降りて、窓へ向かった。そして、それを開け放ってバルコニーに出る。
中庭が一望できるバルコニーは、夜の世界が広がっていた。
「……あれ」
電気など一切ない夜を楽しんでいると、中庭に人影が見えた。
目を凝らしてみれば、それはフィスロだった。
月を見上げて、ぼんやりとしている。
その姿は月に照らされて、美しい舞台のように煌めいていた。
そのときだった。
ぞくり、と背が震え上がったのは。
冷たい手で、魔力を呼び起こす。
現れた聖杖は、夜空の下で不気味に輝いた。
「あれ、スイ様」
ドクン、と心臓が跳ね上がる。
見れば、フィスロがこちらを見ていた。
淡く微笑んだかと思いきや、すっとこちらへ近づいてくる。
そして、トンっと軽くバルコニーへ登って来た。
「寝れないの?」
「えぇ。少し」
フィスロは、言葉を濁した。
でも、私をじっと見つめている。
静かな沈黙が、私たちの間を流れていく。
「スイ様の髪は、本当にお綺麗です。この色、アクセサリーにしたら美しいのでしょうね」
フィスロは、私の髪に触って呟いた。
日本人なら当たり前の黒髪。
それが、稀有な存在なのがこの国。
そして、髪色には意味がある場合がある。
「ねぇ、フィスロ」
後ろに回した手が、汗ばんでいる。
落ちていきそうになる聖杖を、しっかりと握った。
「なんです?」
エメラルドグリーンの瞳に、私の姿が映る。
夜深くに、男女が二人きりで見つめ合う。
これはきっと、心躍るシーン。
でも、私にとっては震えが止まらない光景だった。
月が咲く。
星が笑う。
木々の葉は静かに話し、青薔薇は優雅に踊る。
夜の暗闇を、月が銀色に染め上げる。
「スイ様?」
フィスロの声が、宝石のような夜に響いた。
震えが止まらない。
言葉が出てこない。
これを言ったら、夜が壊れてしまう。
だから、発せることができたのは、たった一言だけ。
「月が、綺麗だね」
夜が死んでしまいそうだった。




