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しばらくして、けたたましい音を立ててドアを開けて入って来たのは、意外な事にセドナ・ヴェルザンディその人だった。
彼女は怒ったように眉間に皺を寄せ、両手いっぱいに赤い小瓶を抱えている。
その後ろには木箱にこれもまた大量の小瓶を詰め込んで持っているシンスだ。
セドナは、つかつかと俺の前までやってきて、小瓶の一本を差し出した。
「飲みなさい」
怒ったように顔を引きつらせた彼女の顔をじっと見る。
俺の脳裏には、いつしかの子犬に邪悪な笑顔を向ける彼女の姿が過ぎった。
思わず苦笑が漏れる俺に不満だったのだろう、差し出していた小瓶を、顔にくっつかんばかりに押し出して彼女は不機嫌そうに「早くなさい!」と言い放つ。
俺は苦笑のまま、渡された小瓶の栓を抜く。
小瓶はガラスで出来ているのだろう、透明な容器で中に赤い液体が入っている。
恐らくはこれが回復薬というものだと思う。匂いは蜜柑のような、甘い柑橘系の匂いがする。
得体の知れない飲み物だが、折角用意してくれたんだ、ありがたく頂こうと小瓶に口を付けて飲み始めてみる。
味は、決して美味しくなかった。
鼻からは甘い匂いが入ってくるが、舌からはあまりの苦みにピリピリと痺れる感覚がする。
多分、甘い匂いの正体は香料としてシロップのようなものを加えているのだろう。
苦みとえぐみを飲み干した後に、甘ったるい味がピリピリとした舌に残る感じがする。
一本飲み干しただけで、もうこれ以上飲みたくない気分になったが、俺が飲み干したと同時に、セドナは次の一本を差し出してきた。
彼女のもってきた回復薬と、シンスの箱の中に入っていた回復薬を合わせて、ゆうに20本を超えるそれを、俺はわんこそばならぬわんこ回復薬しなくてはならないのか……。
気持ちは嬉しいのだが、軽く絶望を覚えた。
その絶望から俺を救ってくれたのは、ミーシャだった。
彼女は俺の手に、透明な液体をかけながら、セドナに向かって言う。
「セドナ様。回復薬は一本で十分です。後は外傷だけ傷薬で癒せば大丈夫です」
「そうか。だが、余裕をみてあと2~3本くらいは飲ませておけば安心じゃないか?」
言うセドナの後ろで、シンスがうんうんと頷いている。
この二人は、態度に反比例して過保護だという事がはっきりとわかった。
ミーシャとセドナがなにやら言い合っている間に、ナタリアが治療を続けてくれる。
と言っても、透明な液体を傷口にふりかけ、零れる液体を布で拭くだけの様だが。
しかし、その光景は不思議だった。
透明な液体が傷口に掛かると、シュワシュワとまるで炭酸飲料のように泡立ち、傷がゆっくりと癒えていく。
その速度はとてもゆっくりで、傷が完全に塞がるまでは数時間を要するだろうと思われた。
傷の様子をじっと見る俺に、ナタリアが何を考えているのかいまいち掴めない無表情で言う。
「痛むか?」
「少しだけ。でも凄いね、何もしてないのに傷が塞がっていくよ」
「外傷は傷薬をかければゆっくり治る。けれど、体力は回復しない」
なるほど、と俺は心の中で頷いた。
『誰が為の戦乙女』のステータスには、三つのゲージがある。
身体、体力、魔力だ。
魔力は勿論魔法を使うと減っていくゲージだが、待機していると時間経過で回復する。
『身体』は、所謂HPだ。敵からダメージを受けると減っていき、0になるとそのキャラクターは死んでしまう。
まあ、ごく稀に重症として生き残る事もあるのだが、それは置いておこう。
この『身体』は回復魔法の使用で大きく回復、傷薬の使用で少量を回復する事ができるのだが、『身体』を回復すると、『体力』が僅かに減少する。
だから、何度も『身体』を魔法で回復していると、『体力』が減っていってしまうのだ。
そして、『体力』が0になると『身体』のポイントが残っていても死ぬ。
これを回復させるのは魔法では無理だ。回復薬を使用し、待機させる事でゆっくりと回復していく。
減少もゆっくりだが、回復も時間がかかってしまうのが『体力』である。
つまり強いキャラクターを前線に出して、回復魔法でごり押ししていると、いずれ力尽きてしまうのだ。
主に攻撃力の高く殲滅力の高いキャラクターは『体力』が低めに設定されている事が多く、少数の決まったキャラクターだけ育ててクリアする事が難しいのである。
逆に言えば、戦闘能力がそこまで高くなくとも、『体力』があればある程度使い道があるという、ゲームバランスとしてよく調整されている設定だった。
現実で例えるなら、回復魔法や傷薬が外科手術の執刀や縫合で、回復薬は輸血、という感じだろうか。
ともあれ、これから俺が成すべきことにこの回復薬や傷薬は重要だ。
この仕組みを再確認した俺は、セドナに視線を向ける。
彼女は、先ほどまでミーシャとなにやら言い合っていたが、今は選手交代だろうか、シンスがミーシャと回復薬の重要性について声高に討論している様子だった。
俺は、私の為に争わないで、などと軽口を叩きたい衝動を抑えて立ち上がり、セドナの目の前まで歩いた。
俺の様子に気付いたのか、セドナのみならず、シンス、ミーシャ、ナタリアもこちらに注目して黙ったようだ。
さあ、計画を始めよう。
俺はセドナの前に跪いて、胸に手を当てて言う。
「セドナ様。俺はあなたに忠誠を誓う。だからどうか俺のわがままを聞いて欲しい」
普通なら、頭も下げるのが礼儀なのかもしれない。
けれど、俺は自分の意思が伝わるように目に全てを込めて、彼女を見つめて言う。
「まず一つ。俺は使用人を辞める。それを許してほしい」