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ヴェルザンディ家は、屋敷や敷地も広いが、食卓も広かった。
数人程度が余裕で生活できそうな大きな部屋の中央に、10人は座れそうな大きなテーブルが据えられており、そこには汚れ一つ付いていない真っ白なクロスが敷かれている。
そのテーブルに置かれた金の燭台は普段から磨かれているのだろう、蝋燭が灯っていなくても明かりとして使えそうな程に輝いて見えた。
その大きなテーブルには、今は二人分のカトラリーがさみしく置かれている。
この世界にも上座の概念があるのだろうか、奥の席には、恐らく彼がジニアス・ヴェルザンディだろう。やたら威厳ある50代前後の男が座っている。
もう一人は、悪役令嬢で彼の娘、セドナ・ヴェルザンディだ。
晩餐の料理もまだ運ばれていないため、彼らの前には銀の光が眩しいナイフやフォークが整然と並んでいる。
というか、二人とも喋る事もなくただ座っているため、とても居辛い。
因みに、ヴェルザンディ親子以外では、セドナの斜め後ろの壁際に俺。ジニアスの斜め後ろの壁際にメイド服を着た女性が一人居た。
俺は雰囲気に飲まれてきょろきょろとしていた視線を、ジニアスに向ける。
ジニアス・ヴェルザンディ。爵位は侯爵。ゲームでは娘のセドナと対立して殺害されたのだが、実はその対立の詳細は作中で描かれていない。
俺は何度もゲームをプレイしたが、それらしい描写は無かったと思う。
ただ、品行方正で良い領主と評判のジニアスと、悪い噂が多く、実際性格も最悪なセドナという構図から、なんとなくセドナが権力欲しさにジニアスを殺害したように感じるストーリー展開だった。
でも、よく考えると妙なのだ。
ゲームをプレイしている時には全く疑問に思わなかったが、実際に現実として考えてみると、もやもやとする。
セドナは一人娘だった。権力が欲しかったとして、今でも好き勝手しているように見えるのに、どうして殺害までしてしまったのだろう。
ゲームの中でも、別段領土的な野心は見えなかった。主人公を虐めて無茶振りを繰り返す嫌な奴だったが、それでも嫌なクラスメイトという位置づけだったのに、後半になって突然軍事的な行動を起こして、政治的にも大敵となるのである。
初見プレイの時は本当に驚いたくらいだ。そうさせるような何かが、この家にはあるのだろうか。
俺がそんな事を考えていると、部屋にノックの音が響き、やがて使用人が料理の乗った配膳カートを押して入室してくる。
さぞ豪華な食事なのだろう、と思ったのだが、野菜中心で肉は小さく、思ったよりも質素な食事がジニアスとセドナの前に音もなく置かれた。
そして、ジニアスの「食べるといい」という合図のような言葉と共に、セドナとジニアスはこれまた音もなく食事を始めた。
無論、会話は一切ない。
気まずい。とても気まずい。
なんだかよくわからない緊張感が場を支配している。これが貴族の食事というものなのか、それともヴェルザンディ家の風習なのか。
それとも、この親子はやはり仲が悪いのだろうか。
俺は早くこの時間が終わって欲しいと祈りながら、二人の食事風景を眺めていると、ジニアスが一旦ナイフとフォークを置き、口を開いた。
「セドナ。お前の婚約者が決まった」
ぴくり、と一瞬セドナの動きが止まったように見えたが、気のせいだろうか。
「どなたでしょうか、お父様」
「セイル王太子殿下だ」
「……」
セドナは食事の手を止め、ジニアスと同じようにナイフとフォークを置いてジニアスに向き合う。
ジニアスが言葉を続けた。
「正妻としてお前を据えてくださる。よい縁談だろう?」
「はい。わたくしには身に余る程の素晴らしい縁談、嬉しく思います。これでヴェルザンディ家の今後50年は安泰ですわね。流石お父様ですわ」
俺は思わず眉をしかめていた。
いや、勿論この世界の、というかこの国の恋愛観や文化、そういうものに異議を申し立てるつもりはない。
ただ、やはり自由恋愛が普通の世界を生きてきた俺としては、こういう感じで結婚が決まる姿が、少し嫌な風景に見えるのだ。
こればかりは感性によるものだ。その感性によって生まれた不快感が、顔に出てしまう。
そんな俺の心の葛藤に気付いたのかどうなのか、ジニアスが俺に視線を向けて言う。
「それが拾った人間か」
それ扱いされた事に多少腹は立つが、相手は貴族だ、そういうものかもしれない。
俺が名乗ったりした方がいいのだろうかと悩む間に、セドナが助け舟を出してくれる。
「そうですわ、お父様。わたくしの専属使用人にするつもりですの。名前はアオイ・トミシマですわ」
俺は慌てて頭を下げる。
「なるほど。使用人か。では、レイナ、お前は動くな」
ジニアスが控えている使用人に声をかけると、レイナと呼ばれた使用人は「かしこまりました」と言って目を伏せる。
何が始まるのかと思っていると、ジニアスはフォークを持ち上げ、床に落とした。
硬質な金属が床に当たる大きな音が響き、次いで静寂が訪れる。
俺が目をぱちくりしていると。
「拾わんのか?」
とジニアスが俺に向かって言う。
もしかして、使用人の試験のようなものだろうか。
フォークを拾うのに所作があるとか? いや、考えても答えなんか俺の中にはない。考えるだけ無駄だ。
そう思い至った俺は、何も気にせずつかつかとジニアスの傍らに行き、フォークを拾った、その刹那。
「躾けがなってないな」
「いたたたた! 踏んでます! 痛いですジニアス様!」
「言葉遣いもか。人を正しく導くのは貴族の義務だぞ、セドナ」
言いながらもフォークを掴む俺の手をぐりぐりと踏むジニアス。
こいつ! ドSじゃねえか!!
「大変申し訳ございません。その者の教育はまだ途中なのですわ。お許しいただけませんでしょうか、お父様」
セドナが表情を変えずに言うが、それどころじゃない! すげえ痛い!
「セドナ。お前には何度も言った筈だ。我々貴族の役目を」
「……はい。申し訳ございません」
いや! 説教とか今はいいから! その前に足! 足どかして!? ねえ!?
俺の心の歎願は聞き入れられる事はなく、ジニアスが言葉を続ける。
「王は神と交わった、神の血を引く一族。そして我々貴族も、その血を色濃く受け継いでいる。つまり、神の血族として、民を導く必要があるのだ。我らの命は民の為にある。だが、導くと媚びるとは異なる。民のいいように操られてはならぬ。時に民に嫌われ、疎まれたとしても、正しい道に民を導く必要があるのだ。このようにな」
俺の右手に、今までで最大の荷重がかかる。叫びそうになるが、俺は歯を食いしばって耐えた。
いや、駄目だ耐えられない!
「恐れながら!」
俺は思わず大声になっていた。
その声に反応してなのか、ジニアスは俺の右手から足を放し、問うようにこちらを見ている。
だから俺は、あまりの痛みに肩で息しながらも口を開いた。
「民を導く事と俺の右手を踏む事に因果関係がないと思います!」
「セドナ。わかったな」
「有難いお言葉ありがとうございます。不出来な娘をお許しくださいまし、お父様」
二人はまるで俺が居ないかのように会話をする。なんなんだこの親子、凄く嫌な雰囲気だ。
俺が憤懣やるかたなしという体で居ると、ジニアスはレイナに目くばせをする。
レイナはジニアスの傍らまで来ると、「お足元、失礼します」と言ってゆっくりと、厳かにフォークをつまみ上げエプロンのポケットにしまい込み、「失礼いたしました」と言って元の位置に帰っていった。
あれがもしかしたら作法なのかもしれない。が、そんなの教わっていないんだからできる訳がない。
俺は不条理に心をざわつかせながらも、一旦冷静になろうと深呼吸をし、セドナの後ろに戻った。
ジニアスは、何かを思い出したようにセドナを見る。
「犬を拾ったのだそうだな」
「はい、お父様。使用人の一人が町から拾ってきたんですの。報告が遅れましたが、飼ってもよろしいでしょうか」
「駄目だ。まだ言って無かったな。隣の領で狂犬病なる病が流行っているらしくてな。これはどうやら犬を媒体にするらしい。我が領では対策として野良犬は殺処分、今犬を飼っている者はしょうがないとしても、新しく犬を飼う事を禁じるつもりだ」
セドナの目が、揺らいだ気がする。気のせいだろうか、焦っている?
「そうですか。では、わたくしが明日にでも──」
「既に犬は殺処分しておいた」
え?
「……そうですか。お早い対応、流石ですわ」
表情を変えず答えるセドナ。
いや待てよ。そうですかだと? あんなに可愛がっていただろ。
なんでそんなに平然としていられるんだ。
俺がセドナに信じられないという思いをぶつけている間に、ジニアスは言葉を続ける。
「貴族はな。民の手本とならねばならぬ。民に犬を飼う事を禁じたのだ。その禁じた貴族が犬を飼っていては示しがつかぬ。わかるな」
「勿論ですわ。お父様」
言って、二人は食事を再開させた。
音もなく、食べ物を口に運び咀嚼する。
この時の俺にはそれが、とてもグロテスクな行為に見えてならなかった。