23
─三日後─
朝の目覚めは気持ちが良いらしい。らしい、というのは、俺がそう感じた事がないからだ。
「今、何時だ」
俺は目を覚まし、朦朧とする頭に手を当ててそんな事を呻く。
きょろきょろと時計を探してみるが、そんなものは見つからず、顔をしかめた。
そうだった、ここは異世界だった。
そしてここは一階が酒場兼食堂になっている店の二階である。この世界では酒場が宿泊用に部屋を用意しているという事はよくあるらしく、俺たちはその内二部屋を使わせて貰っている。
俺とシンス、ミーシャとナタリアが相室なのだが、現在シンスの姿は無い。あいつは朝早いし、目覚めた時にシンスの姿を見かけた事など今までほぼ皆無だ。
「腹減った……」
誰にともなく呟いて、体から発せられる動きたくないという要求と、動いて腹を満たせという相反する要求を天秤にかけるように呻く。
「……食堂に行くか」
天秤は、腹の方に傾いたようだ。俺はもそもそとベッドを這い降り、簡単に身支度を整える。
出口近くに置かれた、銀を磨いた鏡をちらりと一瞥して、自分の顔を確認する。
そこに映っているのは、以前までの顔とは少し違う自分だった。
ゴブリンの巣窟を攻略した後、レベルアップの影響なのか、それとも別の何かなのか、明らかに目が鋭くなったのだ。
目が鋭い、と言うと良いように聞こえるかもしれない。でも、そういうわけでもないような気がする。
なんというか、以前の自分が飼い猫の丸い目だとしたら、今は野良猫のそれだ。
近づく事を躊躇うような鋭さの中に、斜に構えたような皮肉さを内包している。
自分で言うのもなんだが、俺は割と温厚な性格だし、優しいか冷たいかで言ったら優しい方なんじゃないかと思う。
確かに皮肉なところはあるかもしれないが、こんな目をするような人生は生きてきていない、んじゃないかなあ、多分。何故かあまり自信ないけど。
自然と眉間に皺が寄ってしまい、更に目つきが悪くなる鏡の向こうの俺。
なんとなくそれを隠すようにボスゴブリンからドロップしたノンフレームの眼鏡を付けてみる。
うーん、目付きの悪さからくる全体の印象が、若干和らいだ気がする。でも、ノンフレームで四角いレンズという、少し冷たい印象の眼鏡なのがあまりよくない。もっと印象を柔らかい感じにできないだろうか。
鏡の前でうんうん唸るなんて、俺の人生でそうある事ではなかったと思う。少なくとも前世では他人にどう思われるかなんてあまり気にしなかった。
でも、見た目の印象は大事だ。例えばテーブルトークアールピージーでは、選択肢を選ぶときにダイスを振って、出た目によってその選択でどんな効果を得るかを決める。もちろん、大きな数字の目の方がいい効果である事が多い。
だが、その時にどんな装備をしているか、どんなステータスか、どんな種族や出自かでダイスに有利、もしくは不利な効果を発動させるのだ。
例えば、普通だったら一個のダイスのところを、三個のダイスの一番いい目を選べるとか、二個のダイスの合計値が適用されるとか、二十面体じゃなくて六面体のダイスを振らなくちゃいけなくなるとか。
つまり見た目という要素によって同じ言葉や選択肢を選んでも、振れるダイスの種類や数が変わってくる、俺はこの現実をそう理解している。
いや、テーブルトークアールピージーは友達が居ないからやったことはないんだけどさ。
洋ゲーでは、テーブルトークアールピージーのシステムが導入されたゲームが結構あるんだけど、そう考えるとリアル志向なゲームだったんだな。
ちなみに、このボスゴブリンの眼鏡、ゲームの通りなら『見定める眼鏡』というレアアイテムなのだ。
ゲームでは特にステータス上昇はしないが、誰に渡しても何故か好感度が上がるというだけのものだった。いや、仮にも乙女ゲーだから好感度アップは重要なはずなのだが。
俺はこのアイテムに、数値には現れない何かの機能があるんじゃないかと睨んでいた。例えば、異世界転生ものでよくある鑑定能力などだ。
名前からしてそれっぽいし。
しかし、この三日で判明したのは、そんな機能は全くないという事だった。
ナタリアに冷たい目で見られながら、俺はあらゆる物に「鑑定!」と唱えてみたり、詠唱があるのかと思って「今目の前にその真の姿を顕現せよ、鑑定!」とか、適当なポーズを試しながら唱えてもだめだった。
ナタリアの思い出の品らしいナイフに「鑑定!」をやろうとしたら、よっぽど嫌だったのか、無言で回収されてしまった。
そんな苦労伴う検証の結果、見定める眼鏡には特に何の能力もない、いや、少なくとも鑑定の能力はないという事がわかった。
「はあ、うまくいかない事ばかりだなぁ」
ため息をつきながら、一階の食堂に向かう。
ここの食堂はそう広くないはずだが、いつ見ても広く見える。何故なら、俺たち以外に客がいないからだ。
年老いた店主がカウンターの後ろで座って居眠りをしており、どうやって生計をたてているのか心配にすらなってくる。
そんな食堂にはミーシャとナタリアがテーブル席で向かい合って食事をしており、カウンターではシンスが紅茶を飲んでいた。
食事のボリュームからしておそらく昼食だろう。つまり、俺は昼まで寝ていたことになる。
「遅いな」
シンスがこちらを見もせずに言う。別に今日は攻略の日ではないから、いつ起きてもいいじゃないかという言葉を飲み込んで、俺はシンスの隣に座る。
すると、入れ替わりでシンスが立ち上がった。
「店主、もう一度厨房を借りるぞ」
「……んあ? ああ、どうぞぉ」
絶対に聞いてない店主の夢と現実の狭間にある言葉を受け取って、シンスはさっさと奥に消えていき、少しして帰ってきた。
その手には湯気を立てるカップが載っている。
「この辺で採れた茶葉らしい。中々だぞ」
「あ、うん。ありがとう」
差し出されたカップを受け取って一口啜る。
「うまい、結構フルーティーな感じがする?」
「フレーバーティーと言ってな、お前は渋みが苦手そうだったからリンゴの皮をブレンドしたんだ」
「へえ」
俺の間抜けな感心の声は、他人には気のない返事に聞こえたかもしれない。でも、本当に凄いなと思った心の奥から漏れた声だった。
「まあ、お前は舌が子供だから、何を飲ませても同じかもしれんがな」
「いや、馬鹿にすんなよ、お前のおかげでちょっとずつだけど、味の違いを楽しむって事がわかってきたんだからさ」
皮肉で言ったであろうシンスの言葉に、俺は真正面から返した。
それが意外だったのか、シンスは一瞬目を見開いてそっぽを向いてしまう。
気のない素振りだけど、気にしてくれる。冷たい態度に見えるけど、優しい。俺にとってシンスはそういう人間だ。
この旅に出る前までは、三人の中で一番敵対する可能性が高いのはシンスだと思っていた。
セドナに対する忠誠心は高そうだし、面倒見はいいが融通が利かない感じがして、そう思っていた。
今は逆だと思ってる。こいつは、確かに不器用な面が多いが、それでもそれ以上に情に厚い感じがする。
逆に、女性陣だ。
ナタリアは口数が少なくて、何考えているかよくわからないところがある。
悪い奴では絶対ないし、今のところ良くしてくれていると思う。
問題はミーシャだ。
一番味方だと思っていた彼女だが、ゴブリンの巣窟攻略以降、一切口をきいてくれない。
それどころか、今もたまに冷たい視線を送ってくる。
この中で一番優しそうで、何をしても怒らなそうな、そんな美少女がである。
俺、どうやらとんでもなく嫌われたみたいだ。
嫌われたならそれはそれでいい、人間って合う合わないがあると俺も思ってる、というか前世では人に嫌われるなんて普通だった。
でも、気持ちがむずがゆい。
どうして嫌われたのかがわからないのも歯がゆい。もし仲直りできるならしたいって思うのに、何に怒っているのかわからないから、どうしていいかわからない。
怒らせた俺が思うのは筋違いかもしれないけれど、少し腹立たしいとも思う。
何か思う事があるなら、言ってくれればいいじゃん、と。
そういう時どうするか? それは俺が聞きたい。とりあえず答えに結び付くとっかかりを得るまでは先延ばしにしよう。
そんな俺の心の動きを誰にも悟られないように、視線を泳がせていると、シンスがいつもつけているアンダーリムの眼鏡を外して眼がしらをぐりぐりやっているのが見えた。
なんとなく、疑問が俺の口から漏れた。
「どうしたんだ?」
「ああ、実はこの眼鏡、度はあってないし、フレームが歪んでいてな。正直、疲れるんだ」
「ふーん、じゃあこれ付けてみるか?」
冗談のつもりで俺の付けていたノンフレーム眼鏡を渡してみる。
馬鹿にしてるのかと断るかと思ったら、シンスは意外と素直に受け取って眼鏡を掛け、目を見開いた。
「こ、これは……!」
「お、おいどうした?」
「完璧だ。完璧によく見える!」
なんだと?
「俺は左右の視力が違っていて、今つけている眼鏡は右は度が強すぎるし、左は弱すぎて、はっきり言って長時間付けていると頭が痛くなっていたんだが、これは、左右共によく見える!」
そんな効果があったのか、その眼鏡。
そうか、じゃあ。
「よかったな。じゃあシンスにあげるよ」
「え!?」
シンスが驚いたような顔をする。いや、俺が持っていてもしょうがないし。
「しかし……これを取得するために大変な思いをしてあの遺跡を攻略したんだろう?」
そう言えば、ゴブリンの巣窟攻略の目的は、自分を鍛えるためだけじゃなくて、ボスドロップ、つまりシンスが今掛けている眼鏡だ。それを手に入れるためという事をみんなに伝えていた。
確かにそれをポイっとあげるよ、は不自然か。と言っても、鑑定の能力があると思ったとか言うのも不自然を超えて訳がわからないだろう。
うーん、とりあえず出口を探しながら会話するしかあるまい。
「えーと、まあ、その、なんだ。感謝の気持ちってやつ?」
だめでした。しゃべりはじめたはいいけど、どう持っていけばいいかなんてわかんなくて一瞬で諦めました。
シンスは不審に感じたかなあ……。
そう思って、探るようにシンスを見ていると、彼の目に一瞬、揺らめきのようなものが見えて、次の刹那。
「……ありがとう」
その声は、俺の左耳から聞こえた。
そう、がっしりとハグされているのだ。正直、首が締まって痛い。
あれ? なんでこうなったんだ?
あ、そう言えば見通す眼鏡の効果って、そもそも好感度を上げるっていう効果だったっけ。
ん? 今もしかして俺に対するシンスの好感度上がった?
何秒間ハグされていただろう、短いような、長いような、そんな時間。
彼からリンゴの匂いがするな、という事を感じた頃に、彼は目を隠すようにうつむきながら身を離し、そのまま踵を返した。
「ちょっと出てくる」
「あ、ああ。気を付けてな」
そんなやり取りの後、シンスは店後にした。
俺の思考が、ミーシャに渡した方が良かったんじゃないか、という考えに至ったのは、シンスが店を出た数秒後だった。