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「つまり、どういう事だ?」
などと、顎に手を当てて恰好を付けて言ってみるが、状況は変わらない。
あの後、問答無用で馬車に乗せられ、見た事もないような大豪邸に連行された俺だが、タオル一枚渡されて何もない部屋に放り込まれた。
何もない部屋というのは比喩表現だと思うだろ? 違うんだ。敢えていうなら床と壁と、壁に掛かった燭台はある。
それ以外は、まじで何もない。
部屋の広さは、俺が住んでいたアパートの一室と同じくらいだろうか。狭い部屋だったが、家具が無いとこんなにも広く感じるものなんだな。
とりあえず渡されたタオルで体を拭きながら、自分の格好を顧みてみた。
ボロボロの半そでシャツに、これまたボロボロの七分丈パンツ。足を見ると靴はおろか靴下すら履いていない。
これで雨の路上で寝ていたらしいから、本当に死ぬところだったのかもしれない。
死。そういえば、俺って今どういう状態なんだろう。
ぼーっとしながら壁に掛かった燭台の炎を見つめ、なんとなく思う。
もしかして、転生ってやつなんだろうか。それにしては、プレイしていたゲームの悪役令嬢とそっくりな人間に拾われたな……。
その時、俺の頭に電流が走った。
もしかすると! 『誰が為の戦乙女』の世界なんじゃないか!? そうだ! そうに違いない!
だとするとまずい! 悪役令嬢はラスボス、つまり俺もそこに所属していると殺されてしまうんじゃないだろうか!
ひらめきはやがて恐怖となり、そして俺の心には焦りが広がっていく。
俺は意味もなく部屋をぐるぐると回るように歩き、口からは「まずいまずいまずい」と焦った呟きが零れ落ちていく。
けど、考えて何かが出来る状況じゃない。そもそも情報が不足している。
俺の脳内に、再びひらめきの電流が流れた。
「よし! 寝よう!」
そう言ってなけなしのタオルを腹のあたりに被り、寝ようとしたその時。
コンコン、というノックの音が聞こえ、やがて扉が開いた。
セドナだろうか、それともセドナは侯爵家の娘という設定だったはずだから、使用人か何かだろうか。
そう思って取り敢えず寝る姿勢をやめて立ち上がってみると、そこに居た顔を見た俺は、思わず硬直してしまった。
「お前が、セドナ様が拾ってきた男か」
銀髪を緩い感じでオールバックにし、目にはアンダーリムの眼鏡。執事のような服をきっちりと着こんだ男。俺はこの男を良く知っている。
「あのお方にも困ったものだ。しかし、拾ってきてしまった以上はお前には働いてもらわねばならない。これを使え」
言って、一枚のシーツを投げてくる。
慌てて受け取った俺は、馬鹿みたいな顔をして相手を見つめていた。
「お前がどうなろうが知った事ではないが、働いてもらう以上は、風邪でもひかれると面倒だと思っただけだ」
そう言って踵を返すその男は、部屋を出る寸前、何かを思い出したように振り返らずに言う。
「そうだ。忘れていた」
そう言って何かを投げてくる。
再度慌てて受け取った俺は、今日何度目かになる馬鹿みたいな顔をしていた。
「腹が減っていては寝る事もできないだろう。じゃあな」
バタン。と音を立てて扉が閉まる。
手の中を見ると、リンゴだった。
それが、彼、悪役令嬢の側近にして、主人公を死ぬほど追い詰める極悪な強敵、シンス・トルマードとの出会いだった。
○○○
翌朝、いや、俺の部屋には窓が無いため朝なのかどうなのか正直わからなかったが、ともあれ起きた俺はギシギシと痛む背中を労わりながら伸びをする。
「シンスの野郎、働いてもらうとか言っていたな」
丁度そう呟いた時、扉からコンコンとノックの音がした。
誰が入ってくるのか俺は身構えるが、何も起こらない。
すると、再びコンコンとノックの音がする。
あ、待ってくれているのか。
昨日は問答無用で扉を開けてシンスが入って来たから、そういうもんかと思ったのだが、この世界でも俺の常識はある程度通用するのかもしれない。
もう一度、コンコンとノックの音がする。
待たせては悪い、俺は「はーい、空いてます」と、そもそもこの部屋の扉に鍵なんかあるかどうかも確認していないのに間抜けな声を出してしまう。
ガチャリと音がして入って来たのは、一言でいうと美少女だった。
毛量の多いピンクの髪を左右で束ね、前髪も少し目元に掛かっている。
意匠を凝らしたメイド服に華奢な体と、そこだけ豊満な胸を押し込み、おどおどとした態度でこちらにチラチラと視線を向ける絶世の美少女。
まさにアニメやゲームのキャラクターだ。そして俺は勿論この人物を知っている。
「あの、あなたも今日からここで働くって聞いて……」
ああ、なんと可愛い声。しかし油断してはならない、こんな可愛い恰好や声をしておいて、この娘は確か……。
「きゃ!」
そんな悲鳴と共に、突然壁の一部が爆発四散する。
彼女が拳で壁を殴ったのだ。
なにがあったのかと俺は目を見開いて見ていると。
「ごめんなさい! 蜘蛛、苦手なんです!」
「あー、蜘蛛がいたんですねー、それは仕方ない」
棒読みとなった俺の声の先には、人一人くらいなら通れそうな穴の開いた壁。
それを拳だけで空ける目の前の少女。
怖いよ! とても怖いんだよ!
そうなんだ、ゲームで彼女は両手にハンマーを装備して、主人公の率いる兵士達をまるでボールか何かのようにぶっ飛ばすのだ。
接近戦がやたら強いから遠距離攻撃でなんとかしようにも、ハンマーをぶん投げて対応してくる殺人メイドである。
人知れず足が震えそうになる俺に、その少女はハッと何かに気付いたように言う。
「すみません。私、名乗ってなかったですよね。ミーシャ・ノルドと言います」
「えっと、俺は」
とりあえず、今敵対するのはまずい。仲良くしないと。
そう言えば、俺は何と名乗ればいいんだろう。
めんどくさい、本名でいいか。
「アオイ・トミシマと言います」
「珍しい家名ですね?」
「あーそうなんですよ。あの両親がとてもなんというか、そういう感じでして」
俺がなんとか必死に誤魔化そうとしていると、ミーシャは口元を抑えて笑う。
「面白い人ですね、アオイさんって」
「アオイでいいですよ。一応、俺はミーシャさんの後輩って事になるんでしょ?」
「じゃあ、私の事もミーシャでいいです。早速これを着て仕事に来ていただけますか?」
手渡された使用人の服。多分シンスとお揃いっぽいそれに着替えながら、心の中で、いきなり呼び捨てっていうのは日本人としては難しいよなあ、などと思っていた。