「仕事」について⑩
ほんの一瞬、場に沈黙が下りた。そのわずかな隙を見逃さず、明後日の方向を見ながら「もう、行っていいか」と言いかけた私は、またしてもナカムラにより進行を妨げられることとなる。
「なあ、リョウヘイ」
目を向けると、ナカムラは怖いほど真顔だった。いろいろな意味合いで我慢の限界を超えていたのでかなり迷ったのだが、結局こう返した。
「……なんだよ」
「リョウヘイ、お前、学校で働く気、ないか?」
「ガッコウ?」全く予想外の言葉に、思わず聞き返した。
「そう、学校、……ちょうど今、うちの学校の図書館に司書が一人足りなくてさあ、あ、なんかこの前やめちゃったんだわ、それで今まさに募集してるみたいなんだけど、お前どう?」
「え? ……いやいやいやいや、何が『どう』なの? 無理だろ、何の免許も持ってねえよ」
「いや大丈夫、確か図書館で働くのに免許いらないから」
「ほんとかよ、そんな話聞いたことねえぞ」後から調べたところによれば、確かに本当だった。ただし扱いが「司書」ではなく、ただの「職員」ということになるらしい。
「大丈夫だって、しかもうちの学校、男子校だから、ほとんどまともに本読む奴なんていねえんだよ、正直、たぶん、誰でもいいんだ、さらに俺は校長の弱みを握ってる、だから、まあ俺が頼めば大丈夫だろ」
「いい加減なことばっかり言いやがって……、勝手に話を進めるなよ」
「で普段は図書館で暇つぶしといて、気が向いたら、部活に教えに来る、完璧だ」
「……それだけは絶対にない」
正直なところ、その時のナカムラに対してはありがたさよりも面倒に思う気持ちの方が勝っていたが、最後には結局私は提案を受け入れることにした。いったいなぜだろうか? その時は「収入を得るため、背に腹は代えられまい」と、ありきたりなことだけを考えていたように記憶するが、よくよく振り返ってみれば、私が件の選択を行った理由は、つまるところ、それが「学校」に関する仕事だったことが大きかったように思う。
恥ずかしさを忍んで赤裸々に告白すれば、昔からずっと、私は学校が好きだった。
どうでもいいことを取り締まる校則や、一部の生徒だけが盛り上がる行事、さらにわけのわからない話を延々聞かされるだけの授業など、学校生活やそれにまつわる諸々の大半は面倒くさく、さらに学生時代を通じて出会った教師にはまともな連中が全くいなかったが、それでも「学校」という空間及び「学校に行く」ことは、「家」及び「家にいる」ことよりも、よほどマシだった。大げさでなく、学校は天国みたいなところだと思っていた。ただそこに所属し、指示された通りに、与えられたことをひたすらこなしてさえいれば、嫌なことを何も考えずに時間をやり過ごすことができたからだ。
そしてだからこそ血まみれになった父親が仕事を辞め、それを機に「我が家」の状況がさらに加速度的に悪化していく徴候を見せ始めた時、私は降ってわいた「学校で働く」という話に、再び活路を見い出そうとしたのだと思う。
もちろんこちらは一応雇ってもらう立場なので、ただ「提案を受け入れ(ることにし)た」だけで働けるようになるわけもなく、面接を初めとする様々な手続きを経る必要はあった。しかしそのいずれもが、私からしても「大丈夫か?」と思えるほど、ほとんど形だけのようなものばかりで、すぐに採用されることが決まった。よほど働き手が欲しかったと見える。もしくは本当にナカムラが口をきいてくれたということなのか……。




