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7月20日(木)④

 もちろん先に述べておいた通り、私は携帯電話の類を持っていない。だから外出中とあっては連絡しようにも手段がなかった、と言えば聞こえはいいが、実際にはただの欺瞞であり、怠慢に過ぎない。なぜなら「携帯電話を持たない」ことは、「連絡ができない」ことと同義ではないからだ。本当に本気でそれを遂行しようという気があれば、例えばそこら辺に掃いて捨てるほどウロついている有象無象が猿のような表情を浮かべながら四六時中弄んでいる端末を奪い取ることだってできたはずなのだ。

 だからそうしなかったのは、ひとえに私の「ミス」以外の何物でもない。しかも取り返しのつけようのない、あまりに大きすぎる失態だ。なぜなら私の優雅な「重役出勤」は、私のあずかり知らぬところで、確実にKの発狂を誘発したに違いないからだ。

 あの「存在」自体が人類の敵であるといって過言でない怪物は、ただでさえ、つまりこちらが何も特別なことをしていなくとも、予期せぬタイミングでブチ切れ、精神面に立ち直れなくなるぐらい大きなダメージを与えるのを日課としているような奴なのだ。「無断遅刻」などした暁には、どのような羽目に陥ることになるか……、ほんの少し想像しただけで、脇の下から冷たい汗が滴り落ちてくる気がする……。

 だがそれでも、私は生活費のため、そして何より、「自宅に戻りたくない」という強いな思いから、出勤するしかなかった。


 校門をくぐってまず事務所に立ち寄り、息苦しさを堪えながら出勤簿に印を押した。その際、「事務局長」を名乗る小太りの男が近寄ってきて、しかし何も言わずにただひたすら気味の悪いニヤ付き笑いを顔に浮かべていたので思わず殴り倒してやりそうになったが、寸でのところで堪え、重い身体を引き摺るようにして図書館へ向かった。階段を一段一段上るたび、嫌な予感がそれと比例するように加速度的に増していく……。 

 そしてその「予感」が最高潮に達したのは、図書館入り口の扉が外に向かって完全に開放されているのを見た時だった。

 今現在、図書館職員は私一人しかいない。「先輩」がいなくなってから結構時間が経ったはずなのだが、人員が補充される様子はなく、そもそもなぜだかまだ募集さえかけられていないようだった。それの持つおかしさについてはここではいったん措いておくとして、重要なのはだからこそ私が出勤しなければ、本来図書館を司る者は誰もいなくなるということだ。1−1=0、単純な引き算である。

 にもかかわらず、私不在の内に「図書館の扉が開いていた」ということは、それは私以外の誰かがそれを開けたことを意味する。そしてその「誰か」として最も可能性が高いのは、「アイツ」でしかあり得ないだろう。

 だがいずれにせよ、「進む」意外に選択肢はない。

 いったん成立してしまった「現実」に対しては、それがいかに厳しいものであろうとも、目を逸らすのではなく自らに密接に関係するものであるとして直視し、受け止めることから全ては始まるのだ。

 私は自らにそう言い聞かせながら、萎えそうになる気持ちと足とを奮い立たせ、館内に入った。すぐにカウンターのところに居座る人影が目に飛び込んでくる。瞬間、心臓が跳ねる。……いつも私が座っている位置を占領している「人影」、の正体、は、確かめるまでもなく、やはり、「アイツ」でしか、あり得ない……。

 しかし幸か不幸か、結局のところ、それは私の思い込みでしか、なかった。

「おお、やっと来たか、遅かったじゃないか」

「……なんで?」

 向けられた声に反応する形で視線を上げると、予想外の人物と目が合った。

 私の前に現れたのは、Kではなく、ナカムラだった。そう、あのナカムラである。


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