「仕事」について②
血とわけのわからない液体とが混ざって広がった中に倒れていた父親だったが、「幸いにも」と言うべきなのか、結局、大事には至らなかった。
というかそもそも、病院に行くことすらしなかった。
母親との電話を傷心の状態で終え、気持ちを切り替えて、というよりも「気持ち」と名の付く全てを殺し、「現実」と向き合おうとし始めた私の目の前で、その「現実」の「主」である父親がゆっくりと身を起こしたのである。まるで図ったかのようなタイミングだった。
顔のあたりに付着しているらしい液体を袖口で拭い、私と目を合わせると、開口一番こう言った。
「おお、リョウヘイ、帰ってたのか? うがい手洗い、ちゃんとしたか?」
「……」
……この期に及んで「うがい手洗い」だと? たわけている、あまりにたわけていすぎ……る。
要するに、つい先ごろまで血まみれで倒れていた(という設定にあった)のがウソのように、いつも通りのイカれっぷりをいきなりいかんなく発揮してくれたわけだった。……逆に問いたいのだが、お前はそこに寝そべって、いったい何をしていたのか? 何がしたかったのか?
ちなみに、「うがい手洗い」をしたかどうかを執拗に尋ねてくるのもまた父親の特徴だった。風邪をこじらせることは、下手すると死に直結する可能性がある。そのような想定のもと、残り2人となった「家族」を失ってしまうことを過剰なほど恐れているのだ。極めて低確率でのみ発生する事象を看過せず、むしろしっかりとそれを見据えて心を砕くことができるというところに、父親という人間の稀有な特性が現れている……の、だろう、が……、残念ながら私からしてみれば、それもまたストレスの要因にしかなり得ない。
しかし反面、以上の通り、「変わらない」ことに固執しているらしい父親の中でも、実際にはその「血染め」の夜を境に、確実に何かが変わっていたようである。
なぜそう言えるかと言えば、頭にケガしてからしばらくの間、「治療に専念する」とかいう名目で仕事を休んでいた奴は、かと思うとそのままの流れで職場に行くのを辞めてしまったからだ。
もちろん初めは気づかなかった。気づかずに、でも違和感だけが、ほんのわずかずつではあるが確実に蓄積していった。
そして父親がめっきり外出しなくなったことで、必然的に顔を突き合わせる機会が増え、日常生活のそこここで名状しがたい種類の耐え難さを感じるようになった頃(厳密には流血沙汰からちょうど一週間後にあたる週明け月曜日3月27日だったと記憶する)、私は、昼過ぎになってようやく起き出してきた父親に尋ねてみたのである。
「ねえパァパァ、いつから仕事いくの?」
父親は一瞬目を大きく開き、その阿部寛似の顔をさらに阿部寛っぽくしたかと思うと、すぐに口を尖らせてこう言った。
「は? 仕事? なんで俺がそんなことしなくちゃいけないんだ? お前がやれよ、毎日毎日家にいて、それでタダ飯ばっかり食いやがってよお、そうだお前が働け、たまには世のため人のため家のために、少しぐらい貢献しても罰は当たらねえだろ」
「……」夫婦そろって同じような戯言を吐くのはやめてくれ……、本当に気が狂いそうになる……。
もちろん普通の企業に勤めているのであれば、「辞職」するにもそれなりに面倒な手続きが必要となるのだろう。「働く」ことには本来、そのくらい大きな責任を伴うはずである。
だが父親の勤務先は個人経営の小さな塾で、代表者も塾経営自体に精魂を傾けているというよりも、それを通じて「いかに自分を世間に向けてアピールできるのかと言うことしか考えていないクズ」(←父談)だったため、辞める(行かなくなる)ことのハードルはそれほど高いものではなかったようである。というよりもあの父親のことだから、実際には塾でも奇行をお披露目してしまいその結果退職勧告を受け、辞めさせられたというのが真実なのかもしれない。いずれにせよ、戯けていると言うほかないが、とにかくこうして事実として、「我が家」の収入は途絶え、結果的に私が「転職」しなければならないという運びとなった。
人生についてどれだけ高い理想を掲げようとも、金がなければ人間は生きることが出来ない。
そしてもう一人の「家族」である姉に、何らかの形で「金を作る」ことを求めるのは、様々な意味合いにおいて困難だった。
つまり消去法で考えて、私しかいない、わけである。




