6月30日(金)③
一抹ではあるものの、強烈な不安に襲われ始めた私をしり目に、ナカムラは話題を変え、今度は授業中にグラブの手入れを始めた野球部員に制裁を加えてやったとか何とか、弁舌豊かにひとしきり喋り散らした後、「じゃあ、部活行くかなぁ」と言ってようやく踵を返した。
「また、暇になったら来るわ」
「いや、もう来なくていいよ」
「まあそう言うなよ、……そうだ、プール入れねえとその分運動不足になるだろ、だったら一緒にバドミントンやろうぜ」ナカムラが軽く腰を落とし、レシーブをする時のような動きで右手を振る。悪気はないのだろうが、頭が締め付けられる感じがしてひどくムカついた。
「……俺は顧問どころか教員でさえねえんだぞ? いったいどの面下げて顔出しゃいいんだよ、おかしいだろ」
「いや、お前の実力なら」
「あのなあ」私は思わず大きな声を出していた。書棚の陰で集まり、何やらいかがわしいことに精を出しているらしい何人かのクソガキが、こちらを見た。私は目線を落とし、カウンターに設置された貸借処理のための機器を眺めながら続けた。
「……やりたくねえんだよ、わかるだろ」
こちらの怒気に気づいているのかいないのか、わからないがナカムラは冷静な口調を崩さず、淡々と返答した。
「ふうん、まあいいや、あとそれとは別に一ついいか」
「なんだよ」顔を上げると、ナカムラと目が合った。意外と真剣な眼差しに一瞬たじろぐ。
「おまえ、『アキレスと亀』って知ってる?」
「え?」
「これ、どういうことかわかるか?」
そう言ってナカムラはカウンターの上に薄い本を載せ、ページを開いた。ここは図書館なので、難解な蔵書の内容でも尋ねに来たのかと思ったが全然違った。端的に言えば、見せられたのは「学級日誌」だった。言うまでもなく、教師が日直の生徒に書かせ、一日の終わりに回収し、コメントを付してから翌朝別の生徒に渡すという、存在自体が茶番めいた代物のことだ。少なくとも、私がそれを見せられる謂れなど、本来どこにもない、はずである。
「……これがいったい、どうしたんだ?」
「ここ、見てくれ」
そう言って、ナカムラが黒糖のように太く黒い人差し指で示したのはページの下部、ちょうど生徒の感想を記した箇所だった。四センチ四方ぐらいの、わずかに縦長なサイズの欄に、今にも消えそうなヨレヨレの文字で、ただ一言、次のように書かれていた。
アキレスは、ついに亀に追いついた
「……見たけど」
「それで、意味、わかるか?」
「いや、わかんねえけど」
「……そうか、だよなあ」
「……いやいや、何真剣になってんだよ、こんなの所詮クソガキどもの戯言だろ? どうせ書くことないから適当に欄埋めただけだって、気にする方がどうかしてるよ」
私の知るかつてのナカムラは、細かいことに全く頓着しない奴だった。大会の日にラケットを忘れて誰かから借り、そのまま優勝してしまったこともある。よく言えば、「豪放磊落」、悪く言えば「無神経」ということであり、お互い社会人となった今でもなお、その印象は大きくは変わらないままだった。だから逆に、そんな男が学級日誌の文言ごときにこだわっている理由がわからなかったし、何より意外に思えた。
「まあそうなんだけどさあ、ちょっと訳ありの生徒でなあ、知ってるか? イマイっていうんだけど、図書館にもよく来てるはずだ」
「いやあ、俺は基本、生徒を視界に入れることがないからなあ」
私がそこまで言い切った時だった。
幼馴染同士の所謂「たわいもない会話」は、突如中座を余儀なくされることとなる。
例によって私の腹が尋常ならざる痛みを訴え始め、私及び肛門がそれに耐えられなくなったのではない。いや、腹痛が兆したのは事実だが、ここでの問題は痛みそれ自体ではなく、その原因にこそ求められなければならない。
場を一変させたのは、たった一つの声である。
「あらぁー? 余裕ですねえ」
私は反射的にびくつき、次の瞬間には全身に鳥肌が広がっていくのを感じていた。無意識のうちに小さくため息が漏れている。顔を上げて確かめてみずともわかっていたので、うつむいたまま目線だけをわずかに左斜め前に動かした。要するに目をそらし、マズイことが起こったということを暗にナカムラに伝えようとしたわけだが、そのナカムラはと言えば、珍しく焦ったような声で「ああ、じゃあ俺部活に戻るわ、じゃあな」と早口で呟くと、その場から立ち去っていった。薄情なことこの上ないが、反面、反応としては正常であり正解である。なぜならその時、気色悪い猫なで声とともに唐突に我々の目の前に現れたのは、可能な限り接触を持たないに越したことがないような、そんな極めて厄介な人物だったからだ。
だが実際のところ、その人物は初めから、私のことにしか興味がなかったのだろう。
「そんなしゃべってて大丈夫なの? もう4時53分だけど、あと7分で、出られるの?」
「……」
声をかけてきた人物はヤマギシという女性教諭だった(以下、「K」と記載)。年齢は正確には知らないし知りたくもないが、少なくとも五十歳は下らなく、また担当教科は確か社会だった。だがしかしそれよりも何よりも、最も重要なのは、そいつがあまりにも、度を超えてクソすぎるという点だった。