表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/114

わりと長い兎の話①

 きっかけは天地創造だ。そう、言わずと知れた、神様による世界の創作。とは言え、その最初の段階で神がやったのは、ただ一つ、「光あれ」と呟いたことだけだ。……笑えるよな、ただ呟いただけだ。わしでもできる。だが神がそうすると、本当に「光があった」っていうんだから、すごすぎだよな。要するに、「レベルが違う」ということであり、まさしく「神の御業」として申し分ない。

 だが、問題はその先にある。

 ところで、「光がある」こと、それは言うならば「単独」で成立する事態ではない。それと対になる別の事態を必ず伴う必要がある。その「別の事態」とは、「闇がある」こと、だ。『創世記』にも次のようにある。


   はじめに神は天と地とを創造された。

   地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。

   神は「光あれ」と言われた。すると光があった。

   神はその光を見て、良しとされた。神はその光と闇とを分けられた。


 つまり、「天地創造」の時点で、世界は早くも「光」の領域と「闇」の領域とに二分されたということだ。

 こうして原初の「二分法」が成立したわけだが、ここで重要なのは二つに「分けられた」こと自体ではない。その「二つ」が、成立と同時に早速ある種の「ヒエラルキー」を構成し出したということにこそ着目すべきだ。つまり「光」の「闇」の両者は例えば「フラット」に並列されるのではなく、「光>闇」という「上下関係」を纏いつかせたものとして現出してきたということだ。

 もちろん今ここで述べている内容は、わし自身の恣意的な解釈の産物ではない。やはり「天地創造」の瞬間の、神の恐らく何気ないアクションにより、絶対不変の原理として、定まってしまったことである。先の引用箇所の最後の一文をもう一度ご参照されたい。


   神はその光を見て、良しとされた。神はその光と闇とを分けられた。


 ここから読み取るべきことは2つある。1つ目は「神」が「光」に「良し」というお墨付きを与えていることだ。その「判断」により、「光が良いものである」という命題が確定する。そして2つ目は「その光と闇とを分けられた」との記述である。ともすれば、何となく流してしまって記憶にも残らなさそうなこの箇所は、実際には「光が良いものであること」・「光が闇に先行すること」・「光と闇が異なる性質を持つこと」という3点が総合されているという意味合いにおいて非常に重要である。なぜならそこには「光(=善)⇔闇(=悪)」という決定的な対立図式が隠されているからだ。

「光>闇」という価値形態はこのようにして導き出される。まさしく神の何気ない行動が、「光」と「闇」との関係性を未来永劫変わらないものとして確定してしまったのである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ