7月7日(金)⑬
「は? タケダ? え? 戦国武将の? なんでいきなり」
「知ってるか?」
「はあ……、まあ知ってるよ、てか人間なら、だいたい小学生でも知ってるんじゃねえかなあ、というか逆になんでお前が知ってるの?」
クソでできた兎と信玄……、共通点が全く見当たらない……。私にはそう思われたが、反面、Uは自信満々に言い切った。
「当たり前だ、わしが憑依してあいつを天下統一直前まで導いてやったからな」
Uがしゃべればしゃべるほど、そのセリフの内容からは理解可能性が失われていくように思われた。私は相手のペースに飲まれないよう、意識してゆっくり言葉を区切りながら、自らに言い聞かせるようにして尋ねた。
「……それは、いつの、ことだよ、亀に敗れてからついこの間まで甲羅に封印されてたっていう設定はどこ行ったんだ?」
「それは……、まあ、あれだよ……、信玄が、いい奴でな、しかも力も強くて、それで囚われの身になってたわしを発見し、いったん解放してくれたんだ、すぐにまた捕まって封じられたけどな……」
「すごく苦しい言い訳だなあ……」
Uはそこでようやく足を組んでふんぞり返る体勢をやめ、今度は身を乗り出すように前かがみになった。
「まあ聞け、そういう事情で恩があって、だから一時期、力を貸してやってたんだ、その証拠に、あいつが兜をかぶってる絵あるだろ? クワガタのハサミみたいな飾りがついてる兜な、あれは実はわしの耳を模したものなんだ」
「? ……明らかな作り話とは言え、よくそんな設定を考えついたな、こんなところで油売ってないで、小説でも書いた方がいいんじゃないのか?」
「……あくまで信じられないと、そう言いたいわけだな?」
「そう言いたいも何も、信じられる要素なんて、どこにもないじゃないか……、だが、まあ、そうだな、じゃあなんで、信玄は天下統一できなかったんだ? というかなぜ、お前は最後まで恩人を支えてやることをしなかったんだ? もしお前の言っていることが全て本当なら、お前はとんでもない恩知らずということになるが……、それで構わないということなのか?」
「やっぱり貴様は……本物のバカなんだなあ」
「……」……いや、極めて正当な疑問だと思うが……。
「仕方ない、貴様のバカさ加減に同情して、バカでもわかるように、極力バカっぽく説明してやるかなあ」
「……」
「いいか、この世に存在する森羅万象にはそれぞれ生まれながらにして『運命』が備わっている、兎が亀に負けたことだけが唯一の例外だ、あれは言うならばバグだな……、いずれにせよだからこそ、所詮『外部』の者でしかないわしが、必要以上に強力に支援することで以て、『運命』にまで影響を与えてしまうわけにはいかんのよ」
「……それらしいことを言って気持ちよくなってるみたいだが、残念ながら、言ってる意味が俺にはさっぱりわからない……」
「まあわからないならわからないでよい、わしは結局、亀を倒せさえすれば、それでよいのだからな……、で、決心はついたか」
そこで言葉を止めたUには、造形上「目」に当たる部位は存在しなかった(何しろ私の排泄物が兎のシルエットを取っているだけなのだから)。だが、にも拘わらず私は、鋭い視線で以て睨みつけられているという気が強くしていた。
「……ケッシン……って、何?」
「まだ逃げようとする気か? 貴様はそれで恥ずかしくないのか?」
「ハズカシイ?」……いや、お前とおしゃべりしなきゃなんないこの状況こそが、個人的には一番恥ずかしいわけなのだが……。
「そもそも勘違いするなよ、わしも貴様に頼みたくなどないんだ、かわいらしい女の子とかならまだしも、貴様だもんなあ、筋骨隆々なのはよろしいですが、さすがに限度というものが……、わしとしても、本当はぜひともお断りしたいのだ、できるものならなっ!」
Uが急に声のボリュームを上げる。
「……」
「だが仕方がない、思い返してみろ、そもそもわしはもとは魂だけの存在なんだ、それが今、それこそ『甲羅』ならいざ知らず、よりによって貴様のクソなんかを依り代にして、かろうじて形を保っている、この意味が、わかるか?」
「……わかると思うのか?」
「さっきも言ったが、あの時、ちょうど亀の甲羅が粉砕され、外に出られた時、わしは本当は貴様に憑りついてやろうとしたんだ、信玄の時と同じように、貴様自体に憑りつき、そのまま身体を完全に乗っ取って、自分で亀を探してやろうとそう考えていた、信玄とは違って貴様には特別何か恩があるというわけでもないからなあ、しかも甲羅が壊されたという状況を鑑みれば、亀は魂の状態のまま彷徨っているか、もしくは甲羅以下の強度を持つものに一時的に憑りついているかのどちらかしかない、いずれにせよ千載一遇のチャンスだと思った、だが」
Uはそこで言葉を切り、上を向いた。芝居じみた動作と引き換えに、突然場に静寂が下りる。換気扇の作動音やどこかで水が落ちる音、さらに自分の全身を血液が巡る音などが、通常よりも強調されて耳に届く。望んで手に入れた静けさではなかったが、それはそれで、あまり悪い気持ちではなかった。
だが結局のところ、それはただ一時の安寧にすぎない。




