6月30日(金)②
いずれにせよ、「プール」という場所が私にとって、いかに重要な位置付けを持つかについては、これで十分すぎるほど知れたことだろうと思う。
しかしナカムラはと言えば、あえてそうしているのか、もしくはこちらの深刻さが認識できないほど本当に馬鹿なのか、あくまで「軽口」というスタンスを崩さず私に接し続けた。
「どうするんだよってったって、どうしようもねえだろ、というかお前の仕業じゃねえの」
「は? なんで?」
「だってどう考えても、この学校でプール使ってる時間が一番長いのお前だろ」
「……」言いがかりをつけるようなナカムラの口ぶりには、こちらとしても思うところがないではなかったが、私は何も言えなかった。なぜなら奴の発言は、確かに一面において真実を突いていたからである。
この学校は、以前は水泳部がかなりの強豪で、全国優勝などもしていたらしい。それゆえ、プールは屋内にあって、しかも温水ということで、季節に関係なく泳ぐことが可能だった。ただの学校の一施設としては、この上なく贅沢だと言えるだろう。
しかし部は徐々に衰退し、今では部員がいなくなってしまった。がむしゃらにとにかく練習させ、泳力向上を目指すスパルタ指導が時代にそぐわず、一人また一人と、やめていったのだそうである。学校の魅力という点からすれば、部員減は由々しき事態なのかもしれないが、そのおかげで私は好きなだけ水の中を揺蕩うことができ、やがて「プールの影の支配者」との称号を冠せられるまでに至ったわけだから、個人的には、まさしく「願ったり叶ったり」という感じだった。
だが、反面その最終的な帰結が「大腸菌」とあっては、素直に幸運を享受してただひたすら喜んでばかりいるわけにもいくまい。
答えに詰まった私をよそに、ナカムラがさらに続ける。
「お前が水ん中でウンコ漏らしたんじゃねえのかよ、それならそれで早く申し出ろよ、その方がプールの再開も早くなるかもしれないぞ」
「えっ? 大腸菌って、本当に人間の大腸が関係してるの?」
「……さあ? 俺もよく知らねえけど、そうなんじゃないの」
「……そうか、そうなのか……だとすると」
私はそこで言いよどみ、再び口をつぐんだが、今回の沈黙は、単なる当惑によるものではない。端的に言えば私は、ナカムラの言う通り自分こそが大腸菌の温床なのではないかと、ひそかに思い始めていたのだ。なぜなら私は確かに、それなりに近い過去の、それも不特定多数の時点において、何度も何度もプールの中にクソを放り出していたからだ。
もちろん「そう」したかったわけではない。もし仮に「そう」したくて、意図的に「そう」したのであれば、早いところ心療内科にでも通った方がよいだろう。だから結局のところ、悪いのは私ではなく、腹である。
そう、何の衒いもなく正直に告白すれば、ここのところ、俺の腹は、マジであまりにヤバすぎる程度にあまりに痛すぎてヤバすぎるのだ。
唐突だが、ご存知だろうか? 普通考えられているのとは恐らく異なり、現実に腹がヤバくなると、音が鳴る場所が移動する。腹部の真正面ではなく肛門のあたりから、まるでマグマが噴火寸前の状態で煮えたぎっているかのような不穏な音が鳴り響き始めるのだ。しかも時場所場合を考えず、ひっきりなしにだ。今回が初めての経験というわけではないが、何回経験したところで、慣れることはできない。音を聞くたびに、冷や汗をもたらすような嫌な感覚が、一瞬で全身を駆け巡る。
もちろん問題は、音それ自体ではない。その音が、あたかもダムが決壊するかのように、限界を超えたクソが肛門を突き破って撒き散らかされるタイミングを告知していることこそが重要である。つまり「腹痛」及び「音の発生」という一連の現象は、つまるところ、好き放題「周辺にクソをまき散らす」という事態の前座にすぎないのだ。
実際ちょうど金玉の真上ぐらいの位置から発生する重機の稼働音のような夾雑音と痛みとのシンフォニーを堪能しながら、私はプールの中で何度も何度も、繰り返しケツから実入りの屁、すなわちクソをひり出してしまっていた。
こう言うと、高潔であることを自認する世間一般の偉い偉いお上品な人間様たちは、不潔だの、気色悪いだの、トイレトレーニングからやり直せだの、口々に痛罵していい気持ちになるのだろう。そして私も生来、極度の潔癖症なので、同じ類いの文句を口にしたくなる気持ちは十分理解できる。
しかし、だからと言って私に「泳がない」という選択肢はなかった。
なぜならそもそも私の泳ぐ目的は、例えばただの「暇つぶし」ではなく、「治安維持」のための「身体づくり」だからだ。
つまり巡り巡って考えれば、私が「泳ぐ」ことは、続ければ続けるほど、それだけ「世のため人のため」につながっていくわけだ。
そしてだからこそ、ただ単に「腹が痛い」などという極めて個人的で腑抜けた理由で、自らに課したメニューを中座し、トイレに駆け込むということを、私は決して自らに許してしまうわけにはいかなかった。まさしく「プロ」である。
ただ一つ、私に落ち度があったとすれば、それは「塩素の力を高く見積もりすぎていた」ということだろう。
プールの水が高濃度の塩素によって殺菌されていること。それは、テレビゲームのセーブデータが消えただけで人生が終わったのも同然なレベルで大騒ぎできるほど愚かなクソガキどもでも知っている「一般常識」である。だからこそ私は「どれだけ激しく放屁しても大丈夫だ」と高をくくり、最近に至って私は、格別意識することなくごく自然に、泳ぎながらガスやその搾りかすだけではなくてクソそのものがケツ穴から漏れ出るに任せるようになっていた。つまり全ては塩素に対する全面的な信頼が為させた業ということである。
にもかかわらずこの期に及んで「大腸菌」だと? マズい、非常にマズい、それが仮に本当に人間の腸内に由来するものであるとすれば、その「人間」として最も可能性が高いのは、ぜったいにこの俺じゃねえか……。