3月20日(月)②
春の夜特有のねっとりとした感じが漂う暗闇の中にあって、何が起こっているかを完全にはっきり認識できたわけではない。肩ぐらいまでの高さのよくわからない植物(「植え込み」のつもりなのだろうか……?)がその公園の周囲を不完全に取り囲んでいたとあればなおさらだ。
だから私はとにかくまず敷地内に入ってみることにした。車両の進入を防止するための柵を颯爽と乗り越える。途端に何か見えない境界を越えでもしたかのように、薄暗さとひんやりとした感じとが増し、それに伴って所謂「嫌な予感」もまた顕著に増長し始めていたが、努めてそれら全てを無視してさらに先へ進んだ。その頃には濁音を多く含む耳障りな物音と、不特定多数の嬌声とが入り混じるようにして耳を突き、鼓膜と意識とを同程度に震わせてくれていた。もちろん非常に不愉快だったが、私は感情を押し殺し、人の気配のする方へと進んでいった。
そしてほどなくして私は改めて「連中」、つまりYの姿を視界に収めた。
最初に離れた位置から目撃した時、私はそいつらが「何かを全力で蹴り合」っている、と述べたが、実際にはどうやらサッカーをやっているらしいということがわかった。つまり「何か」はただやみくもに蹴られていたわけではなく、ゴールを目掛けて移動させられていたということだ。もちろん、その認識の転換が、特に何か重要な意味を持つわけではない。ただ闇雲に何かを蹴りまくろうが、サッカーのプレーに精を出していようが、いずれにせよ深夜の公園で実施されて然るべきイベントではない。
だが、「警備員」として2年近く名を馳せてきた私が、例えばただ単に「物珍しい」ということだけを理由に蛮行を見逃しなどしてやるはずがない。そもそも思い返していただきたいのだが、私にはその場所でトレーニングを行うという崇高な使命があった。イカれた奴らが占領しているからと言って、すごすごと引き下がるつもりなど毛頭なかった。
しばらく様子を見ていると、どうやら「ハーフタイム」が始まったらしく、Yどもが走り回るのをやめ、ゆっくりと敷地の端の方へ移動し始めた。かと思うと今度は水場で互いに水を飛ばし合ったりして大喜びすることを開始する。私は胸のあたりを苦しくさせるようなムカつきに駆り立てられるようにして、「制裁」への助走を開始した。
距離を詰め、手を伸ばせば届くぐらいのところまで近づいたところで声をかけた。
「あのお」
四人のYはそれぞれ➀金髪+タンクトップ+大ぶりのネックレス、②ニット帽+大量のピアス+メタルバンドのTシャツ、③坊主頭+サングラス+上半身裸、④パーマ+整えられた口髭+デブ、といったキワキワの特徴を備えており、私が声をかけたのは、そのうちの③の坊主だった。その「選択」の理由は、たまたま自分に一番近い位置にいたから、というだけだが、しかし反面その一言は、実際には③だけでなく、Y全員に対してまずまずの効力を発揮したようだった。
奴らは図ったかのように同時に動きを止めると、どいつもこいつもが一様にあまりに小さすぎて、起きているか寝ているかわからないような目を頑張って凝らし、やはりほぼ同時にこちらを見た。
ほんの一瞬だけ、場に静寂が下りた。どこかで響き始めた自動車のエンジン音みたいなのが、その空白を充填すべく忍び寄ってくるのを肌で感じながら私は続けた。
「その顔で、よく笑えるなあ」
「……喧嘩売ってるのか?」そう返してきた③の声は、見た目とは裏腹にひどくか細くて、実に子どもじみて聞こえた。
「ケンカ? ……ああ、いや、そうじゃない、テメエらみてえなザコと喧嘩しても疲れるだけだ、だからそうじゃなくて、俺はただ忠告してやってるんだよ、鏡見たことねえか? もともとあまりにデカすぎる鼻の穴が、笑ってるせいで余計に膨れ上がってるんだよ、手の親指が二本ぐらい一気に突っ込めそうだ……、まあいい、とにかく冗談は顔だけにして、そろそろ社会のために黙ってここから消えたらどうなんだ」
「……死にてえらしいな」
そこで誰も予想しなかったことが起こった。
「ナアセンタクシトイタルデソコカケトキャアッ!」
ちょうど私の背後に当たる位置で、誰かがバカでかい声でわけのわからないことを言い放ったのだった。
生まれてこの方、まさしく「温室」に擬せられてしかるべき生温い生活を送ってきたせいで、あらゆる点で弛緩していると言って決して過言でない世間一般の偉い偉い人間様であれば、すぐさま取り乱し、そこらへんに落ちている大きな石を拾って声の主に殴り掛かっていたことだろう。かく言う私も、「殴り掛かる」ことはさすがにしなかったものの、全く動じないままでいることもできず、気づくと反射的に振り返ってしまっていた。
一瞬後、ごく控えめに言って、驚愕した。完全に打ちのめされた。
背後には何とも形容のしようのない生き物が敢然と立ちはだかっていたからだ。
もちろん、「人間」ではあるのだろうが、外見的特徴の数々がそれぞれあまりに強烈すぎて、「一つの対象」に集約されていくことから逃れていた。だからこそ私はすぐ前で、その「対象」を敢えて(「人間」ではなく)「生き物」と表現したわけだが、反面、初対面の相手の人物像を把握するためには、「外見的特徴」を手掛かりとするしかないというのもまた事実だった。だからここではひとまずその極めて特徴的な「特徴」について、箇条書きの形で列挙しておくことにしよう。
・小学生が登校時にかぶるような黄色い帽子
・毛玉だらけのピンク色の長そでパジャマ
・口の周りをうっすらと覆う髭
・毛皮を模したような白色のマフラー
・首から下げた大振りの携帯ラジオ
・赤子の人形を載せ、その周りにお菓子の袋や箱を敷き詰めたベビーカー
たわけている、あまりにたわけていすぎる……。
要するに、なかなかどうして芸術的としか形容のしようのない生き物(以下、Pと記載)が、私を急襲してくれたわけだった。もちろん実際には風貌に加え、先に示しておいた通り、非常に芸術レベルの高いセリフ(「ナアセンタクシトイタルデソコカケトキャアッ!」)も伴われている。大音量で垂れ流されるラジオ放送の合間を縫うように、いやむしろそれを押さえつけるように、さらに何度も何度も繰り返し届けられたPの不可解な音声は、やがて私に対して以下のような整合的な文句を形作るところに落ち着いた。
「なあ、洗濯しといたるで、そこ掛けときゃあ」
つまりPは私に対して初めからずっと、「洗濯をしておいてやるよ」という提案をしていたことになる。そう、相当に集中して精神を研ぎ澄ませ、厳密に音声を分析し、かつ適切な方式を選んで組み合わせていった結果、私は見事、そのセリフに辿り着いた。そうして抱いた感想が以下である。
……だからどうした?
要するに、ただひたすら純粋に、ひどく困惑させられたということだが、反面「困惑」はそれほど長く続きはしなかった。
「おーおーおーおーおー」
知性の欠片も感じさせない、野獣の唸り声みたいな音声がいきなり挿入されてきたためだった。いや、「みたい」なのは「音声」だけではない。それを発したのは、実際に「知性の欠片も感じさせない」「野獣」のような見た目の野蛮人どもだった。そう、Yである。




