第六話 女医さんと新居に引っ越すことになり……
翌日――
「まだかな……」
ベッドに寝ころびながら、京子先生が帰ってくるのを待つ。
今日は午前診のみと聞いたので、昼過ぎには帰ってくるはずだが、既に午後の二時になろうとしているのに、京子先生は帰って来ない。
忙しい方なのはわかるけど、俺は早く外に出たいんだけどな……。
「ただいまです。すみません、遅くなってしまって」
「あ、先生。おかえりなさい」
「はい。ああ、やっぱり、紀藤さんにおかえりなさいって言われると、良いですね。一日の疲れもこれで、半分は吹き飛びます」
「ど、どうも」
そんな事で疲れが吹き飛ぶなら何回でも言ってあげたいが、意外と単純な人なのかも。
「今日は外出するんですよね。早速、支度しましょう」
「はい。まずは、俺の家に一旦、戻りたいんですけど」
「わかりました。あの、私もご一緒しても良いですか?」
「いいですよ。お隣さんなんですし」
「ありがとうございます。ああ、紀藤さんのお家、楽しみです」
楽しみと言われても、同じマンションのお隣さんなので、間取りだって変わりはしないと思うんだが、そんなに俺の部屋が見たいのかね。
「ここです」
「お邪魔します。わあ、ここが紀藤さんの……ちゃんと、綺麗に掃除されていますね」
「いえ、京子先生の家に来る前に大掃除したんで、綺麗になっているだけですよ」
何日かぶりに、我が家に帰宅し、京子先生も俺の部屋に入ると、目を輝かせながら、俺の部屋を見渡していく。
別に変ったものはない。
本棚には好きな漫画や、雑誌なんかがちょっとあるだけで、壁には贔屓の野球チームのポスターが張ってあるくらいで実に味気ない独身男性の部屋だと自分でも思ってしまった。
「えっと、まずは着替えに洗面用具に……あと、これもあれも……」
着替え用の下着や衣服に、暇潰しの為のゲーム機や、漫画本、文庫本などを持ち出して、段ボールに詰めていく。
取り敢えず、持てる物は全部、持ち込みたいが、京子先生の家もスペースが限られているからな。
「ここが、紀藤さんのお家なんですね。ああ、いい匂いがします」
パシャパシャ。
荷物を整理している間、京子先生は何故か、俺の家中を物色し、スマホのカメラで部屋の写真を撮っていた。
「あのー、先生。何で俺の部屋の写真を?」
「はっ! す、すみません。紀藤さんの生活環境がどんなものか、記録しておきたくて……今後の、診療の参考になればと思ったのですが、駄目でしょうか?」
「いえ、別に……特に変わった物はないので」
「ありがとうございます。ご協力、大変感謝いたしますわ」
別に部屋を撮影されるのが嫌だったわけではないのだが、俺の部屋などを撮影して、何の参考になるんだろうか?
まあ、俺の家に興味を持ってくれたのはちょっと嬉しいかも。
「お荷物はそれだけで宜しいですか?」
「はい。んしょっと……」
段ボールに荷物を詰め込み、隣にある京子先生の家に持ち出す。
何だか引越しの準備みたいだが、この部屋に戻る事はあるのだろうか……。
ていうか、今、肝心な事を思い出したのだが、部屋の家賃や光熱費はどうしよう?
もう無職になってしまったのだし、貯金もそんなに残っている訳ではないので、このまま彼女の家に療養生活となると、いずれ家賃が払えなくなって、退去させられちゃうんだが。
「あ、あのー、京子先生」
「何でしょうか?」
「えっと、俺、近い内に転職活動しないとまずいと思うんですよ。収入がないと、その……家賃とか払えなくなるんで」
京子先生の部屋に荷物を持ち込んだ後、先生にこのことを相談すると、
「ああ、それでしたら、心配はいりませんよ。契約を解除して、私の家に住みましょう」
「い、いや……流石にそれは……」
あっさりととんでもない事を言ってのけた京子先生にビックリしてしまったが、そうなると、本格的に彼女のヒモになってしまうのではないか?
「実は、私ももっと広い家に引っ越そうと思っていたんです。流石に、あの部屋に二人となると、ちょっと狭い気がしまして。紀藤さんとのより良い同棲生活……じゃなくて、療養生活をもっと快適にするために、あなた専用の部屋もあった方が良いです。いえ、今すぐ探しましょう」
「は、はい? 今すぐですか?」
「そうです。さあ、不動産屋に行きましょう。二人の新居を探しましょう」
「え、え……ちょっと、先生?」
何だか一方的に先生が話を進めてしまい、俺の手を引っ張って、外へと連れ出してしまう。
いやいや、そんな急に言われましても……てか、この先生、いくら何でも強引すぎない?
「あのー、本気なんですか?」
京子先生の自家用車に乗って、助手席に乗り、本当に引っ越すつもりなのかと訊くと、京子先生はあっさりと、
「ええ、もちろん。少なくとも、紀藤さんの部屋はもう契約を解除しましょう。もう住むことはないのですし、家賃に支払いで無駄になります」
「す、住むことはないんですか?」
「はい。紀藤さんのパニック障害は思ったより、重症みたいなので、まだまだ私が付きっ切りで経過観察する必要があります。ですので、今すぐ療養のための広めの部屋を私が提供して、一日でも早く治る様にサポートして上げないといけません」
「う……あの、引っ越しの費用とかは……」
「もちろん、私が持ちますよ。当たり前です」
実に頼もしい返答が帰ってきたが、何だかめっちゃ怖くなってきてしまった。
もしかして、俺はこの先生のモルモットにでもされようとしている?
いや、良いんだよ。京子先生みたいな美人の女医さんに、そうされてもさ。
でも、ちょっとだけ不安になってしまうというか、このまま彼女の部屋から逃げられない状況になったら、どうしようかという、不安に襲われてしまったのであった。
「ちょっと、家賃が高めですが、良い物件が見つかって良かったですね」
「はあ……」
「後は引っ越しの準備をして……荷物の
二人で近くの不動産屋に行き、ここから車で十分ほどの3LDKのマンションと賃貸契約を結ぶことに決まってしまい、引っ越しの準備もどんどん進めていく。
家賃が十五万とかするとんでもない高級マンションなんだが、医者ってのは相当収入があるんだな。
「と言う訳で、引っ越し祝いに今夜は行きつけのフレンチでディナーにしましょう」
「いえ、そこまではちょっと……」
「まあ、フレンチは苦手でしたか? どんな料理がお好きなんです? 和食でしょうか? それともイタリアンとか?」
「よく行くのは、ラーメン屋とか、ファミレスとかですかね」
フレンチが行きつけなんて、やっぱり京子先生は俺とは生活水準が違うんだなと思いつつも、そんな高価な物を奢らせてしまうのは申し訳ないという気持ちでいっぱいになり、敢えて安い店を言っておく。
まあ、実際フレンチなんぞ、生まれて一回も行った事はないのだが、そもそも俺の入院祝いってのがおかしいわけでしてね……。
「くす、紀藤さん、本当にお優しいんですね」
「え? どうしてです?」
「私に気を遣ってくださったんでしょう? 心配はいりませんわ。ご迷惑をおかけしているのは、私の方なのですし、もっと頼ってください」
と、京子先生は胸をポンと叩いてそう言うが、完全に見透かされていたようだ。
「ですが、入院祝いにフレンチというのも失礼でしたね。今夜は、紀藤さんの行きたい店で、夕飯を摂ろうと思います。ファミレスで良いんですね?」
「は、はい……フレンチなんて行ったことないので、その方が緊張しないで、助かります」
京子先生の方が俺に気を遣ってくれ、夕食は二人でファミレスに行く事にした。
何というか、色々と敵わないな……