第四十四話 京子先生のご機嫌取りをしつつ……
「お風呂あがりました」
「はい。じゃあ、俺も入りますね」
京子先生がお風呂から出て来たので、俺も入れ替わりにお風呂に入ることにする。
今日は葉山さんとの事で、ヒヤヒヤしてしまったが、何事もなくてよかった。
「あ、そうそう英輔」
「何ですか?」
「あなた、本当に大胆な人よね。婚約者がシャワーを浴びている間に、不倫相手とコソコソ電話するなんて……ああ、本当に腹立たしい」
「え!? ふ、不倫相手と電話って……」
葉山さんの事か?
確かに電話はしていたけど、何でそのことを京子先生が……。
「とぼけるんじゃないわよ! わかっているんだからね! 違うって言うなら、スマホを寄越しなさいよ」
「い、いえ、何も疚しい事は話していないですよ」
「やっぱり、電話していたんじゃない! 私が目を離している間に、他の女と話していること自体が、不倫なのよ!」
し、しまった……また、カマをかけられたのか?
別に監視カメラで見ていた訳ではないのか……。
「ああ、どうしてくれるのかしら……私、英輔の事、愛しているけど、たまに無性に憎たらしくなるのよね。それこそ、殺したくなるくらいに」
「落ち着いてくださいって。俺、本当に何も疚しい事はしてないんですよ。今日の事、ちょっと話しただけです」
「そう。一体、何を話していたって言うのかしら? 一言一句、お姉さんに話して御覧なさい」
だから、そんなのは無茶だってのがわからないのかね……
「別に会う約束とかはしてないですよ。ちょっと今日、驚かせてごめんって話しただけですって」
「へえ、何で彼女に謝る必要があるのかしら?」
「それはいきなり押しかけたからですよ。もう良いですか? 信用出来ないって言うなら、彼女に連絡して確認してくれても構わないですから」
「そんなの信用できると思う? 口裏を合わせるとか、不倫の常とう手段じゃない」
まあ、そうかもしれないけど、本当に浮気している訳じゃないんだから、そう言うしかないじゃない。
「俺は京子先生だけですよ。何も心配しなくて良いです」
「まあ、上手い事を言うわね。英輔がそういう事を言うの、珍しいから、凄く嘘っぽい」
京子先生を優しく抱きしめながら、キザな言葉を吐くと、先生も満更でもなさそうな顔をして、そう言ってくる。
こうされるのは嫌いじゃないんだな……口だけでも、『愛している』といえば、コロっと騙されちゃうのであれば違う意味で心配だ。
「口だけじゃなくて、行動で示してよね」
「どうするんですか?」
「んもう、わかっているでしょう。今夜も相手してもらうんだからね」
今日は実家まで行って疲れちゃったので、さっさと寝たいのだけど、京子先生の相手をさせられることになってしまった。
よくやるよな……先生も、仕事で大変だろうに、意外にタフな女性なんだな。
ま、そうでもなきゃ、激務の産婦人科医なんて務まりはしないんだろうが、仕事に差し支えがないのか心配だ。
翌朝――
「じゃあ、行ってくるわね」
「いってらっしゃい」
「ふふ、英輔さん、すっかり私を見送るのが日課になりましたわね」
「そうですかね……まあ、先生を見送るのは好きですよ」
朝食を済ませた後、出勤する京子先生を元気よく見送るが、先生もすっかり機嫌が直ったようで、何よりだ。
昨夜はかなり怒っていたけど、もしかして、結構単純な性格をしているんだろうか。
「わかっているでしょうけど、くれぐれも他の女に連絡を取ったりしないように」
「しませんよ。そんなに信用ありませんか」
「ないわね。信用ゼロ」
「ですよね、はは……」
あんなに優柔不断な態度を取っていたら、信用されないのはしょうがない。
しかし、葉山さんとは別に何もないのだから、いくら疑われてもシロと言うしかないのだ。
「ヘラヘラして、まあ憎たらしい。何て、駄目な夫なのかしら」
「そんなダメな彼氏なら、別に無理しなくて……」
「もういいわ。その手には乗らないから。じゃあ、もう遅れるから行ってくるわよ」
別に無理に俺みたいな男を無理に結婚しなくても良いと思うのだが、京子先生も意地を張っているのか、俺とは何が何でも別れる気はないみたいだ。
何でそこまで執着しているんだろうな……京子先生ほどのスペックなら、男なんて選び放題だろうに。
いや、スペックが高いから逆に男が集まらないってのもあるのか。
俺の親父とお袋に紹介した時の二人の微妙な反応を思い出してしまったが、明らかに京子先生に引いていたしなあ。
不釣り合いな女子と付き合ってしまうと、周囲の反応がこんなにも冷たいものになってしまうとは予想もしてなかった。
だけど、今更どうにもならないじゃん。
俺が医者になるとか、今から無理に決まっているんだし、釣り合いが取れるとか背伸びすることはなく、彼女の支えになる事だけを考えるしかない。
女々しいと言われようが、それがベストだろうし、京子先生もそれを望んでいるんだと言い聞かせて、
「えっと、今日の夕飯は……あ、石鹸もなくなりそうだから、買わないと」
昼間になり、近所のスーパーに買い出しに行くと、あれもこれもなくなってきた物が出て来たので、どんどん買い物かごに入れる。
トホホ……すっかり、専業主夫が板についてしまったな……今の時代、そういうのも有りだとは思いたいけど、微妙に周囲の視線が冷たい気がする。
あー、やっぱりそろそろ社会に出たい。
てか、普通に働いて、いっそ一人暮らしに戻りたい。
京子先生と一緒に暮らしていて、最初は楽しかった気もするけど、今は本当に生き甲斐を感じなくなりつつあり、ダメ人間まっしぐらで恐ろしい気持ちになっている。
ちょっと帰ったら、将来の事話し合わないとな。
「ただいま」
「おかえりなさい。あの、先生、ちょっと良いですか?」
「何?」
夜中になり、先生が仕事から帰ってきたら、早速相談してみる。
「もし、結婚したら、俺にどうして欲しいですか?」
「ん? そうね……家事をやってくれると嬉しいわ。あと、何かあった時に送迎とか」
「あのー、それっていわゆる……」
「くす、なーに? 不満なの?」
やっぱり、先生は俺を外に出す気がなさそうなので、ガッカリしてしまう。
「先生、それで良いんですかね?」
「不満みたいね。英輔、あんたはもう信用されてないの。わかる? 働きに出たら、絶対浮気するわ。昨日ので確信したわ」
いやいや、そんなに信用無いのか俺は?
前の会社でも彼女なんか出来なかったのに、そんな事を言われてもなあ。




