第三十六話 女医さんと格差を見せつけられる。
「ただいま。今日は早く帰れましたわ」
「おかえりなさい」
翌日、定刻通り、午前中だけで診察が終わり昼過ぎに京子先生が帰宅してきた。
「今日は早く帰れて良かったですわ。ねえ、英輔さん」
「なんですか?」
帰ってくるや、京子先生は俺の腕に絡みつき、
「ねえ、今日はこれからデートするんですよね?」
「え? はは、そんな約束しましたっけ?」
「まあ、またしらばっくれて。でも、いいんですよ。私達、もう正式に付き合っているのですから」
と、俺の腕に頬ずりしながら、京子先生は甘えてくるが、こんな所も可愛いなぁ。
つい、数時間前まで、何人もの患者の前で診察していた女医さんとは思えないくらい。
俺も京子先生みたいな綺麗な女医さんに診察されたいんだけど、彼女は産婦人科なので、よくやっているお医者さんごっこじゃなくて、正式に診察される事は多分、永遠にないんだろうな。
「さあ、出かけますわよ。支度してください」
「あの、何処に行くんですかね?」
「何処でも良いじゃないですか。英輔さんと一緒なら、私は何処だって楽しいです」
行先くらいは教えてくれても良いじゃないかと思うんだが、まあここは京子先生を信用してみよう。
多分、ホテルとか婚姻届けを出すために役所とか……まあ、その辺は想定しておいた方が良いだろうな。
「すみません、今週は当番なので、あまり遠出は出来ないんですけど、いいですか?」
「当番って?」
「急患が入った時は待機してないといけないんです。たとえ、寝ている時であっても、呼び出しがくれば、すぐに病院に駆け付けないといけなくて……ああん、こんなんじゃ、英輔さんとゆっくり夜も過ごせませんわね」
と、車を運転しながら、京子先生はちょっと残念そうに語るが、それが彼女の仕事なのだから、仕方がない。
そりゃ、お産なんていつ来るかわからないんだから、常に待機してないといけないんだよな。
前に勤めていていた俺の会社より、多分キツイか、重圧はずっと上だと思う。
(はあ……情けない限りだ)
京子先生は仕事をいつも頑張っているのに、今の俺は情けない限りだ。
いや、ただでさえ、俺とは天と地ほどの差のスペックの差がある訳だしさ……。
「さあ、着きましたわよ」
「ん? ここは……」
車を走らせると、一軒の高級そうな寿司屋に到着した。
「ここ、お寿司屋さんですか?」
「はい。今日はお寿司にしましょう」
何とも意外な所に着いてしまったが、まあ寿司は好きなので、良いか。
「はい、どうぞ」
「どうも……めっちゃ高そうな部屋ですね」
「ええ。私も初めて来たので。メニューこちらですね。どうぞ」
「どれどれ……う……」
やたらと高級そうな座敷の個室に案内され、メニューを見ると、ちょっとドン引きするくらいの値段でビビってしまった。
「コースで一万円以上しますね……」
「それはもう。英輔さんとのデートですので、あなたが恥を掻かないような場所に行かないといけないと思いまして、ここを予約したんですわよ」
「いや、気持ちは嬉しいんですけど、俺、あんまり持ち合わせが……」
「何を言っているのですか? 私が全部出すに決まっているでしょう」
やっぱり……というか、あんまり高い店に行くの、ちょっと気が引けちゃうんだよなあ……。
「あの、流石にそれはちょっと……」
「何を遠慮する必要があるんですか? 英輔さんと私は、もうすぐ夫婦になるんですよ。夫婦なら、財産を共有するのですから、私のお金はあなたのお金と同じじゃないですか」
「それは……一般論だとそうかもしれないですけど……」
さも当然のごとく、正論パンチを言い放つ京子先生に更に引いてしまうが、ここまで経済力の差を見せつけられちゃうと、俺もプライドがですね。
「わかっていないようですわね。英輔さん、私と肩を並べようとか、釣り合いがどうとか考えているのかもしれないですけど、そんな事を気にする必要はないのです。私の方が年齢も上なのですし、今は収入も上なのですから、私が負担するのは当たり前じゃないですか」
「いえ、そうなんですけど、京子先生に……」
「はい、そこまで。英輔さん、このコースで良いですわよね? すみません」
有無を言わさず、京子先生は一番高い握り寿司のフルコースを注文してしまい、俺も溜息を付いてしまう。
こういう所は、本当に強引なんだよな、京子先生……。
俺との経済力の差をわざわざ見せつけて、何が楽しいのよ?
「うーん、美味しいですわね」
「はは、そうですね」
何て考えている間に、注文した寿司が来てしまい、二人で食べていく。
うん、確かにいつも食っている回転すしとは、ネタの鮮度も違うってのは素人の俺でもわかる。
「ふふ、気に入っていただけたようで何よりですわ。ああ、英輔さんとの婚約記念ですもの。これでもまだ質素なくらいですわ」
「それは、どうも……今更ですけど、婚約しているんですよね、俺達?」
「まだ現実を受け入れてないんですか。呆れてしまいますわねえ。英輔さんと私はもう結婚しているも同然の仲なんですわよ」
寿司を食いながら、一方的にそんな事を告げてしまうが、やっぱり結婚する気なんかい。
「くす、帰りにでも婚姻届けを出しちゃいますか?」
「いえ、もうちょっと待ちましょうよ。その……愛を育みたいんですって」
「あらあら。まだ、焦らすんですねえ。どうして、そんなに嫌がるのか理解に苦しみますわ」
だって、まだ結婚なんて考えたくないんだって。
付き合う事には了承したけど、結婚はとても考えられないって言うか、性急すぎるんですわよ。
「英輔さん。結婚してからはあなたは全て私の扶養の元に置かれるのです。そこを自覚してくださいね」
「えーっと、それって京子先生に養われるって……」
「そういう事ですわよ。当たり前じゃないですか。私の方が上なんですから。あなたに養われる必要はありませんし、そんな気もありません」
だから、そこまでハッキリ言われちゃうと傷つくんだって。
そりゃお医者さんだから収入はあるのはわかるよ?
でもさ……もうちょっと俺を一人の大人として見てくれないと嫌なんだって。
「こういうお店。入った事あります? 流石に毎日は無理ですけど、お好みなら、また連れて行きますよ」
「考えておきます……俺、回転寿司とかばっかりだったんで」
「くす、そんな物ですわよね。ごちそうさまでした。じゃあ、もう出ましょうか」
「はい……」
そんな話をしている間に食べ終わり、二人で店を出る。
当然のごとく、会計も京子先生がキャッシュで済ませてしまい、彼女に支払わせた俺に対する店員の視線が心なしか冷たく感じてしまった。
うおおお……情けなさすぎるだろ、こんなの。
「はい、それでは次、行きましょうか」
「何処行くんですか?」
先生とまた車に乗り込み、何処かへ走らせていく。
「くす、あなたのよく知っている場所です」
「ん? 俺のですか?」
何処だろうと、首を傾げながら、何処だろうと思っていると、京子先生はクスクス笑いながら、
「すぐわかりますよ」
とだけ告げた。




